アッシュ・テイラー、母に負ける
よろしくお願いいたします!
俺の職場仲間たちとの飲み会に巻き込まれた帰り道。
俺とサクラは、すっかり日の落ちたサバナの街を歩いていた。サクラの希望で転移装置のある広場までの間だけでも、街を見ることになったのだ。
そんなに気になるなら明日はこの街を見て回ろう、と提案すると彼女はとても嬉しそうに笑った。
「さっき、奥様たちにおススメのカフェを教えてもらったんです」
「そうか。明日行ってみよう。それにしても随分楽しそうにしていたな。何を話していたんだ?」
「いろいろ、この国のことを教えてもらってました。アッシュさんの事とも、兵団の事も……あの、アッシュさん」
彼女は、ためらう様子を見せた後、呟くような小さな声で言った。
「……アッシュさんも、戦争に行ったりするんですか?」
「? ああ、機会があればそうだな」
「どうしてですか?」
「この三国全てに隣接した北の敵対国家とは、戦争を繰り返していてな。長く冷戦状態なんだ。もしも、戦争が始まってしまえば……俺も出る事にはなるだろうな。それに兵団の話を聞いたのならわかるかもしれないが、訓練だけではなく魔獣が出れば戦うし、戦闘は割と多いと思う」
「そう、ですよね……」
「どうしたんだ?」
俯き顔を隠したサクラに尋ねる。
「……少し……考えたいです」
「……ああ」
彼女が何を考えたいのかわからない。
ただ、思いつめたような表情のサクラに、俺はそれしか言えなかった。
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転移装置を使って実家へ戻った頃には、割と夜も遅くなっていた。
きっと両親や他の家族も各自の部屋で寛いでいるはずだ。
サクラを今日泊める予定の部屋へ案内する。
扉の前でサクラに向き直る。
「サクラ、今日は疲れただろう。ゆっくり休むといい。風呂は準備してもらっているから好きに使ってくれ」
「ありがとうございます」
「アッシュ、サクラさん帰ったのですね。おかえりなさい」
俺達の声を聞きつけたのか、母が現れた。
顔合わせの時とは違い、ゆったりとした部屋着を着て、髪も緩くまとめているだけだ。風呂に入った後なのだろう。
「ああ、ただいま」
「お義母様ただいま戻りました」
サクラが挨拶すると、母の目が獲物を前にした時のようにキラリと輝いた。
まずい、直感的にそう思った。
「サクラさん、お風呂が終わったら私の部屋へいらっしゃい。ゆっくりお話ししましょう」
「サ、サクラは慣れない土地で疲れてるんだぞ? 止めた方が」
「慣れない土地なのにこんな遅くまで振り回した馬鹿はどこのどいつです? 酒と沢山の人の匂いと食事の匂い。また飲み会ですか? 年若い女性をあんなむさ苦しい所へ連れて行ったなんて我が子ながらデートのセンスがない」
「なっ! 俺だってあいつらに捕まらなければ絶対連れて行かなかった!」
そう弁解すると、母はつんとそっぽを向いて「お黙り!」と言い放つ。
「それもこれも、貴方の詰めの甘さが原因なのでしょう? 全く誰に似たのやら」
そう言って嘆く母にうぐっと言葉に詰まる。
この家で一番強い母の前で、俺は何とか打開策はないかと思考を巡らせていた。
険悪な親子喧嘩の中、サクラがあの、と口を開いた。
「あの、私、お義母様とお話したいです」
途端に母の顔が明るくなる。
「まぁ! そう! そうよね!! 後でお部屋にいらっしゃいな」
そう言って母はサクッと自分の部屋に戻って行った。
残された俺とサクラ。
俺は腑に落ちなくて、サクラに尋ねてみた。
「本当にいいのか? 母の相手はめんどくさいぞ?」
「大丈夫です。アッシュさんのお母さんですし、優しそうな方ですから。だから、アッシュさん、心配しないでください」
サクラは俺の腕を引いて、しゃがんでと言った。
言われたとおりに少しかがむと、彼女はつま先立ちになって、懸命に腕を伸ばし、俺の頭を撫で始めた。
「ふふ、大丈夫ですよ。よしよし……いい子いい子」
「!!!」
俺は衝撃のあまり言葉を失った。
ボンっと顔が爆発したように熱くなる。
柔らかい彼女の手が、髪の上を滑る。時折、もふもふの毛で覆われた耳に触れ、付け根を撫でたり、心地よく蕩けそうな感覚が全身に走る。
尻尾が揺れるのは、仕方のないことだった。
「あ、よかった。だってアッシュさん、耳と尻尾がシュンってなってたから」
そう言ってふんわりと笑ったサクラが、俺の頭から手をどける。
わずか10テンチ程の距離にある彼女の顔。目が合った瞬間、いつも抑えていた触れてしまいたい欲が沸き上がった。
彼女の顔に手を添え、あ、と零した彼女の唇が欲しくて顔を近付けた。
「すまない」
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翌朝。
昨日の夢を見て飛び起きた俺は、ベッドで重いため息を吐く。
「ああ……もう」
昨日の自分に後悔が募る。
握り締めたシーツがクシャリと音を立てた。
あの後、紙一重で我に帰った俺は、慌てて離れ、逃げる様に部屋へ戻った。
サクラが可愛すぎるのがツライ。
日に日に我慢できなくなっていく俺。
告白したあの日からも、さらに成長している俺の想いは、もう今にも溢れそうだ。
まあもうすでに気持ちは周知されているし、溢れているようなものだが。
それでも、サクラに無理強いはしたくないと、我慢しているのだ。
しかしもう初日でキスしそうになるとは、俺の理性が脆すぎて信じられない。
「はぁ~」
でも、今回も我慢できただけ、褒めてほしいぐらいだ。自分で褒めておく。
サクラは、あの後母のもとへ行ったのだろうか?
どんな顔をして会えばいいのか。
重くなる感情に項垂れながら、重たい瞼をこじ開けるため洗面台へ向かった。
身支度を整えてサクラの泊まっている部屋へ向かう。
ノックをして声をかけるも、返事がない。
「サクラ? 起きているか?」
ドアに耳を近付けても、サクラのいる気配はない。
「ん、いないのか? どこに行った?」
実家なので誘拐の線はないだろうが、心配になる。足早に屋敷内を捜索しようとした時だった。
「きゃはは!」
中庭に面して開いた窓から、一緒に暮らしている親戚の子どもたちの笑い声が聞こえてきた。
窓から下を覗くと、何とサクラと子どもたちが遊んでいるではないか。
何故か俺の父母も親戚たちも、庭に大きな日傘を出してお茶を飲んでいるようだ。
「はぁ??」
全く状況が理解できないまま、俺は大急ぎで中庭に飛び出した。
「サクラ!」
「あ、アッシュさん、おはようございます」
サクラは、にこにこと甥っ子を抱っこしている。
「おはよう。サクラ、この状況は一体なんだ?」
「私が昨日お願いしたのよ。昨日お話して子ども好きと聞いたから、朝食の準備をする間、子どもたちのお世話をしてほしいと」
母が昨日と打って変わった満面の笑みで近寄ってきた。
俺の人生史上、ここまで笑顔の母を見たことは、ほとんどない。
サクラも腕の中に1人、腰に子どもを3人程くっつけたまま、幸せそうな笑顔で
「そうなんです! 昨日の夜、お義母様とそんな話になって。みんなもふもふで可愛くていい子で、ついつい遊びすぎてしまいました」
「子どもたちも遊びたいようだったから、いっそ朝食もお庭で摂ることにしたのよ。たまにはいいでしょう。ねぇ、貴方?」
「うむ」
父はふんわりと焼かれ、香ばしい匂いのするパンに夢中だ。一心不乱に口を動かし、それ以上の返事は返ってこなかった。
この状況に体の力が抜ける。
「なんだそれ……」
サクラが母さんと仲良くなるのが早すぎて驚いた。
昨日の夜、一体何があったのか。何を話したのか。
気にはなるが、聞かない方がいいような気がするので、俺はそれ以上掘り下げることはなかった。
サクラを置いて先に部屋に戻ってしまったのは自分だし、後悔しかない。
昨日の失態を彼女が母に訴えていれば、俺は今頃、はく製にされて玄関に飾られていただろう。
それがないということは、サクラは昨日のことを話さなかったのだろうと思う。
懸案事項がなければ、両親と彼女が仲良くしているのは好ましい。
そう思った俺は、難しく考えることを放棄して、家族団欒の朝食に混ざったのだった。
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