アッシュ・テイラー、出逢う
よろしくお願いします。
「アッシュ、いったいどれだけ寝る気? もう帰るよ」
「……アルトか」
締まりのない俺の声に、アルトは怪訝そうな表情を浮かべている。
「ん? まだ寝ぼけてるの?」
「……甘い匂いがした」
「? 何も匂わないけど……それより、はい」
彼女の手が触れていたふさふさの首に、ネックレスが掛けられる。
抜け出す前にアルトに預けていたものだ。
これがあれば、彼女が何を言っていたのか分かったのだが、残念だ。
元の姿に戻った俺はアルトと共に他の奴らに合流するため、最初にいた建物の方へ向かう。
「明日の参加者は50人だそうだよ。男女25人ずつ。いい子と出逢えるといいね」
「そうだな」
アルトの言葉に、先ほどの彼女の顔が頭をよぎった。
きっと彼女はこの世界の人間なんだろう。
明日のパーティーに参加するのだろうか?
また会いたい――そう思った時だった。
明日のためにテントの設置された会場。マークやカナタがいるのが見える。
そして、ワタラセの女性、ツムギ、と言っただろうか、彼女の横に見覚えのある黒髪の女性がいた。
俺ははっと息をのむ。
こんなに早く会えるとは。
しかも、狼ではない姿の俺で会えることも好都合だ。
彼女に近づいて親しくなろう。
警戒心のない瞳で俺に近付いてきた、先ほどのことを思い出す。
純真そうで獣人にはなかなかいないタイプだし、味見したくなるというものだ。
思わず上がる口角を片手で隠すと、隣にいるアルトが疑問の表情を浮かべた。
「どうしたの?」
「いや、別に」
「……そう」
「あー。アッシュおせーぞ!!」
俺たちの姿を見つけたマークが声をかけてきた。
その声につられたのかニホンの仲人と彼女が振り返り、目が合った。
吸い込まれそうな瞳と触れれば蕩けそうな、ぽってりとした唇に目線が奪われる。
どんな味がするのだろうか。
思わず、自分の唇をぺろりと舐めた。
何食わぬ顔を装いながら彼女の隣に立ち、マークに返事を返す。
「悪かったな」
マークとアルトが驚いた顔で、互いに顔を見合わせた。
頼むから余計な事、言うなよ。
心の中でひたすらそれだけを考える。
ツムギが俺たちを見て、彼女に声をかけた。
「桜、こっちがさっき言ってた明日のパーティーに出る異世界の人たちだよ!」
「私、やっぱり……」
「大丈夫だって! 皆さん、桜も明日参加するのでよろしくお願いしますね!」
「回覧板持ってきただけだったのに……」
彼女は眉をㇵの字にして溜息を吐き、小さく何事か呟いたが、よくわからなかった。
それにしても彼女、サクラというのか。綺麗な響きだ。
狼の姿で見ると気付かなかったが彼女は案外小さい。
俺の胸下位の身長だ。
先ほども感じた甘い匂いが何とも言えない気分にさせる。
食べてしまいたい、直感的にそう思った。
そして、隣にいた俺と目が合った瞬間、サクラは仲人の後ろに隠れてしまった。
「あ~ごめんなさい。桜は結構人見知りで」
その姿に俺は雷に打たれたような衝撃を受けた。
サクラを庇うようなツムギの声も一瞬で耳を通り抜ける。
何故だ!? 声をかけようとしただけだ。
あわよくばごにょごにょ……そんな俺の胸中などつゆ知らず、アルトがサクラに近付いた。
アルトは腰を折りサクラと目線の高さを合わせて話しかけた。
「驚かせてごめんね。僕はアルト、こっちがマークで、あっちがアッシュって言うんだ」
「あ、あの、桜と言います」
サクラはツムギの肩からひょこっと顔を出して、自己紹介している。
しばらく話して、アルトへの警戒心が解けたのかサクラはツムギの後ろから出てきた。
アルトは初対面の人との距離の詰め方が上手い。
サクラは少し笑みを浮かべ始めている。
「そっか、サクラは20歳なんだね。僕はエルフだから、こう見えても、200歳越えてるんだよ」
「ええっ! 200歳!?」
可愛らしく目を真ん丸にして、驚くサクラ。
くそ。アルトその会話代われ。
そんな俺の想いが通じたのか、アルトが話題を振ってきた。
「マークは人間なんだけど、アッシュは獣人なんだよ。だから体格も良くて。おっきい奴が隣に立ったらびっくりするよね。さっきはごめんね。でもちゃんと仲間想いのいい奴だよ」
アルト!! 俺はお前を誤解していた。お前は優しくした女の子を骨抜きにして堕落させる天然タラシのダークエルフじゃない!! 俺の優しい友人だ!!!!!
サクラがこっちをちらりと見て口を開く。
「いえ。私こそびっくりしちゃってごめんなさい。なんだか悪寒が……それにイケメン過ぎて近づきがたいというか、そもそもイケメンが苦手で……」
サクラの言葉にショックで目の前が真っ暗になった。
イケメンが……にがて……?
正気に戻った俺は、とてつもない後悔に襲われていた。
自分の世界なら俺の顔が好きな子は大勢いる。
だから、異世界でも自信はあった。
人型の俺を見れば、きっとサクラも、俺に惚れるんじゃないかと期待していた。
さっきみたいな笑顔を見せてくれるんじゃないかと――それが苦手だと?
先ほどの自らの痴態を思い出し、恥ずかしさと腹立たしさが沸き上がる。
今まで一夜の相手をしてきた女の子たちとでさえ、こんなことは一度もなかった。
女の子1人に好き放題されて、腹まで撫でられて、誇り高い狼人族の俺が『かわいいわんちゃん』になり下がるなんて許せない。
こうなったら明日のパーティーでサクラは俺が必ず落とす!!
俺の闘志に火が付いた瞬間だった。
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アーニメルタに戻ると、俺たちはカナタと分かれ、寮へ戻る前にと手近な飯屋に入った。
俺たちは席に着くと、酒と適当に食い物を注文する。
頼んだジョッキを作法にのっとり、互いに軽く合わせたところで、アルトが口を開いた。
「ねえアッシュ」
「ん?」
「今日さ、サクラと何かあったでしょ?」
「ごふっ! はぁ? べつに?」
思わずエールを吐きかけたが、平静を装う。
アルトの顔は珍しく気持ち悪いぐらいニヤニヤしている。
それに便乗したマークも同じような腹の立つ顔でジョッキを煽っている。
「好きになっちゃったんじゃない?」
「はっ。そんなわけないだろ」
好きになってなどいない、自尊心が傷ついたので落としてやろうと思っただけだ、そう思いながら酒を口に運ぶ。中身は一気に半分以下になった。
そんな俺の態度に、アルトとマークは顔を見合わせる。
2人そろって、驚いた顔で俺の背後を指さした。
「マジか。だってお前、今日あの子がしゃべってる時、めっちゃ尻尾、揺れてたぞ」
「ぶはっ! ごほっごほっ」
「僕が折角話振ったのに、イケメンが苦手って言われて、尻尾垂れてたし」
「ごふっ!! ゲホゲホ、ゲホッ」
尻尾! しまい忘れていたのかー!!
慌てて自分の尻に手を当てる。
手には本来なら隠していたはずのふさふさが触れた。
小さく変身したせいか、普段よりもずいぶん短いが、確かにそこには尻尾があった。
信じられない!! 全く気付かなかった!!!
今すぐ穴掘って冬眠したいぐらい恥ずかしい!
獣人を見慣れたこいつらなら、尻尾の動きで俺の気持ちが筒抜けだったに違いない。
今度からは絶対に異世界では尻尾も耳も隠す、俺は心に誓った。
観念した俺は、寝ている時にサクラに会い、少し撫でられたとだけ説明した。
「あの子、甘い匂いがするんだ。なんだか味見したくなったんだよな。だから落とすことにした」
そう言うと、目の前の友人たちは何とも言えない表情を浮かべる。
「……最近第一部隊班長から聞いたんだけどさ、そういうの異世界で何て言うか知ってるか? 『フラグ』って言うらしいぜ」
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