アッシュ・テイラー、異世界ホームステイする⑩
よろしくお願いします!
異世界ホームステイ最終日。
今日の子どもたちは朝から大号泣である。
「うぇぇん!! アッシュおうちにいて!」
「かえっちゃやだー!!!」
「やゃー!」
「うわぁぁぁん!!!!!」
この1週間で随分懐いてくれたらしい彼らは、俺が帰ることをとても悲しんでくれた。
俺も惜しんでくれることが嬉しくてもう泣きそうだ。
名残惜しいが子どもたちをそれぞれ抱きしめ、また遊びに来ることを約束し、何とか出発する事になった。
お世話になったケイ一家を後にし、俺はワタルの言いつけ通り、早めに『ジンジャ』へ向かう。
『トリイ』をくぐり、草木の茂る中を濡れた石の階段を上り、ワタラセ家の方へ向かう。
建物が見えてきたとき、俺は自分の目を疑った。
玄関近くの木の陰に、サクラがいる。
俺は思わず足を止めてサクラを見た。いったい何故ここに?
サクラは木に背を預けて俯いている。
ふと、視線に気づいたのかサクラが顔を上げてこちらを向いた。
「アッシュさん! よかった!」
ぱあっと笑顔になって駆け寄ってきたサクラに驚く。
「サクラ。どうして……」
サクラは俺の声にハッとした様子で顔を赤く染めた。
「あ、その、昨日はごめんなさい!」
「え?」
勢いよく頭を下げるサクラに俺に困惑するが、サクラはかまわず話を続ける。
「アッシュさんに助けてもらったのに、私失礼な態度を取ってしまって……昨日、もやもやしてしまってやたちゃんに相談したんです。やっぱり勇気出して謝ろうって思って」
「そういうことか」
合点がいった。昨日のワタルが言っていた客というのはサクラのことだったのだろう。
サクラが悩んでいる原因が俺がらみだと考えて、今日は早めにここに来るように言ったのか。
全く。どこまで知っていたのかわからないが、一杯食わされた気分だ。
「サクラは気にしなくていい。俺が勝手にしたことだ」
俺がそう言うとサクラは焦ったように声を上げる。
「あ! その、それだけじゃなくって!!」
「ん?」
「……昨日、言ってくださったことについてなのですが」
サクラは俯いてしまい、ほとんど聞き取れないような小声で話す。
それでも狼の耳には、はっきりと聞こえていて、言われた言葉に逆に自分の耳を疑った。
前髪で彼女の顔は見えないが、髪をかけて露わになっていた耳は紅色に染まっていて、俺は自分の耳が正しかったことに衝撃を受けた。
「その……あ、アッシュさんが、私のことをす、す、すっぅう……」
「好きだと言ったことについてだな?」
何度も「す」を繰り返すサクラに助け船のつもりでそう告げると、サクラは勢いよく顔を上げる。
正面から見る彼女は気の毒に感じるほど真っ赤な顔で、恥ずかしさからか目は潤み、心なしかプルプルと震えている。
サクラには言いたいことがあるのだろう。
しかし困り顔できゅっと口を引き結んで、目で訴えるようなその姿は、もう俺の理性を試しているとしか思えない。
こんなかわいい生き物がいていいのだろうか!?
まるで狼の前に差し出された哀れな羊である。もう、今すぐ食べてしまいたい。
俺の邪な葛藤を知らず、決意の固まったらしいサクラは震える唇を動かした。
「は、はい。私、その小さい頃にクラスのイケメンらしい人からいじめられて、それ以来イケメンが嫌いになってしまって」
サクラのトラウマを聞いていると、そいつは虫を渡したり、スカートを引っ張って泣かせたようだ。
聞いている限り、恐らくそいつは、サクラのことが好きでちょっかいをかけていたようだ。
未だに伝わっていないそいつが、若干哀れに思えてしまった。
「……そうか」
「そ、それ以来、男の人と話すのも苦手で、こ、恋なんて全然、したことなくてっ」
真っ赤なサクラは、何度も詰まりながら必死に言葉を紡いでいる。
俺の全神経がサクラの挙動にくぎ付けだ。
「あ、アッシュさんのこともイケメンだから苦手でっ。昨日のこともあってどうせ、私のこと、からかってるだけって思って、信じられないなって思って……」
「つっ!」
俺は心にオリハルコンの槍を刺されたような心地がした。
わかったから、いっそ、一思いに振ってくれ。
このままでは立ち直れなくなりそうだと俺の心が折れかけていた時だった。
「だけどっ、やたちゃんに相談しながら思い出したんです! アッシュさんと一緒にいる時のこと」
「……ん?」
「アッシュさんは優しくて、お茶とか着物とか私の好きなことに沢山付き合ってくれました。昨日だって庇ってくれました。だから、その……」
「え?」
まさかと思う。
ゴクリと生唾を飲んだ。
そうして発せられたサクラの声は、今までで最も小さく、しかし最も俺の耳にはっきりと残った。
「……き、きらいに……なれるわけないです…………こんな気持ち初めてでっ……わたし、どうしたらいいですか?」
羞恥心でこれ以上ないほどに紅色に染まったサクラは、うるんだ瞳でそう言った。
俺よりも随分背の低いサクラは、自然と上目遣いで俺を見る。
「っ!!!」
俺の言葉にならないような吐息が漏れる。
一瞬で全身の血液が沸騰するかと思うほどの衝動が襲う。
許されるなら、もう、本当に——ああっくそ!!
ずるい!!!
俺が好きなことを知ってて、身を委ねてくるところがずるい。
無意識にだろう、俺がサクラを害しないとわかっているのだろう。新手の拷問か。
しかし、俺はそれでも、この無垢な瞳を濁らせたくない。サクラに嫌われたくない。
「っすぅ……はぁ…………」
大きく息を吸って、吐いて、なんとか踊り狂うような衝動を押さえつける。
頑張れ俺。落ち着け……俺はやればできる子だ。
何とか体裁を整えて、震えない様に言葉を紡ぐ。
「……それは、俺の気持ちに応えてくれるということか?」
「わ、わかりません。私、人を好きになったことがなくて……でも、アッシュさんがもう会いに来てくれないと思うと、いやでっ、大事なお友達だからって」
サクラと視線を合わせて、そっと彼女の片手を握る。
「つまり、これからも会いに来てもいい、ということだろうか?」
口から心臓が出そうだ。
サクラは今にも泣きそうな赤顔でこくりと首を縦に振った。
きゅっと心臓が締め付けられ、息ができなくなる。
「……俺は、サクラのことが好きだ。会う限り、好きでいることに変わりはない。気持ちを伝え続けてもいいということだろうか?」
サクラは更に泣きそうな顔で、またこくんと頷いた。
俺は喉がカラカラに渇くのを感じ、少しかすれた声で問う。
「——俺にも振り向いてくれるチャンスがあると、自惚れてもいいだろうか?」
もうサクラは俺の目を見ることもできず、きつく目をつぶって、顔をそらした。
サクラは小さく、首を縦に振った。
目をつぶったせいで溢れた涙が、サクラの赤く染まった頬を濡らす。
俺はあらゆる衝動と欲を押し殺してサクラの涙を指で拭う。
ずっと手を握りながらサクラが落ち着くのを待つ。
衝動のままに触れてしまわないよう、理性を総動員している俺は、深く考えることを放棄する。
そしてサクラは真っ赤にはなるものの、何とか俺と話せるようになった頃。
俺は落ち着いたサクラに「また連絡する」と伝えて、早々にサクラを自宅に帰した。
なんとか別の意味で狼にならずに済んだことに安堵し、半ば放心状態のままアーニメルタへ戻ったのだった。
読んでいただきありがとうございました。
今回で異世界ホームステイ編は終了です。次話より新章突入です!




