アッシュ・テイラー、異世界ホームステイする⑨
よろしくお願いします!
「その声、アッシュさん……ですよね?」
降りしきる雨の中。
激しいはずの雨音が、聞こえなくなった気がした。
息が、止まるかと思った。
一瞬遅れて頭が動き、どうするべきか考え始める。
しかし、サクラの真剣な顔を見ていると、誤魔化すことはできない。いや、したくない。
そして俺は……サクラの前で人の姿に戻ることを選択した。
毛で覆われていた四肢は、たちまち人の手足に変わり、みるみるうちに俺の体は人の姿に戻る。
アッシュの姿でサクラを見据える。
しかし決定的に違うところ、今の俺は隠してきた獣耳と尻尾を出しているのだ。
「サクラ、黙っていてすまない……」
俺は勢いよく頭を下げる。
「頭、上げてください。あのわんちゃんは、アッシュさん……だったんですね。助けていただいてありがとうございました」
恐る恐る顔を上げてサクラを見ると、サクラはうつむいていて、表情もよく見えない。
「ああ、そうだ」
「どうして黙ってたんですか? 私のことからかってたんですか?」
「っ、からかうなんて、そんなつもりはなかった!!」
顔を上げたサクラの表情からは、怒りは読み取れないが、困惑や不信感を感じる。
「じゃあどうして?」
「それはっ! その……」
サクラの問いに言葉が詰まる。
どうする、俺!? 誤魔化すのか?
「やっぱり、私のことからかってたんですね。……イケメンは意地悪です」
サクラが悲し気に眉根を寄せて、俺から顔をそらす。
そんなサクラを見て、胸が苦しくなった。
ええい!
好きな人に悲しい顔をさせるぐらいなら、俺の恥やプライド等些細なことだ!
俺は覚悟を決めた。
走ってサクラとの距離を詰める。
そのままの勢いで、俺はサクラを抱きしめた。
雨でひんやりとした体に伝わるサクラの暖かい体温。
サクラの香りが肺いっぱいに広がる気がして、胸を焦がすような愛しさがこみ上げる。
しかし、堪能したい気持ちを押し殺して、すぐに彼女の両肩に手を置いて離した。
しっかり視線が合うようにサクラを正面から見つめる。
「きゃっ、アッシュさ」
「俺はサクラのことが好きだ!」
「えっ!」
サクラの顔が真っ赤に染まる。
「初めてジンジャで君に撫でられた時から、サクラのことが気になっていた。俺を撫でているサクラの顔が可愛くて、君と犬の姿で遊ぶのが楽しくて、言えなかった。だが決して、からかったわけじゃない!!」
肩から手を離して、サクラの手を両手で握る。
「以前に言ったな、サクラの友人になりたいと。だが、俺はもう友人では我慢できなくなってしまった。俺は、貴女の運命の人になりたい」
俺は真剣さが伝わるように、サクラの瞳を見つめる。
「俺は明日国に帰るが、返事は今すぐじゃなくていい。ただ、これからもサクラに会いに来ていいだろうか?」
真っ赤に染まったサクラは、声にならないのか口をはくはくと動かしている。
プルプルと震えるピンク色の唇が可愛いが、ここで手を出すなんて馬鹿。
サクラに嫌われたくないなら、耐えるのだ、俺!
雨の中で見つめ合い、我慢できなくなったのはサクラの方だった。
「その、わ、わかりませんっ! ごめんなさいっ!!」
「あっ、サクラっ!!」
サクラは俺の手を振り払って、走って行ってしまった。
え? ごめんなさいって…………おれ、きらわれた?
しばらく俺はその場にポツンと突っ立っていた。
あれから、どうやって帰ってきたのかわからないが、気付けばケイの家にたどり着いていた。
玄関で放心していたところを、子どもたちに発見されてケイを呼ばれた。
「パパ~。アッシュがびしょぬれ~」
「アッシュ!! ちょっと何やってるの!? 風邪ひくよ!」
「……ケイ、か。ケイ、俺、やっちまったかもしれん……サ、サクラにっ、き、きら、きらっ! ふくぅ!」
「あ~、なんとなくわかった。でも後で聞くから、とにかくお風呂に入って温まって。満、悪いけどアッシュが溺れない様に見ててあげて」
「わかった」
俺は放心状態のまま、4歳児に見守られながらなんとか風呂で温まった。
そして、4歳児に手を引かれながら『リビング』まで引率される。
ソファに座ると、ミウの小さな手が水の入ったコップを差し出す。
「アッシュ、おみずのんで」
「……ミウ、ありがとう」
手渡されたコップに口をつける。
冷たい水が喉を通り、ぼやけていた思考が僅かに鮮明になった気がした。
その間も子どもたちが抱き着いたり、「よしよし」と言いながら撫でてくれている。
「アッシュどうしたの? おなかいたいの?」
「だいじょうぶ?」
「はやくげんきになってね」
「……っ! ミウ、ミツルありがとな」
優しい子どもたちをギューッと抱きしめる。
ぽかぽかと温かい子供独特の体温に、心もじんわりと温まった。
子どもたちと癒しの時間を過ごして、心に負った傷が癒されてきた頃。
ワタルとケイが俺の送別会もかねて、今日あった話を聞いてくれることになった。
ちなみに子どもたちとは一緒に晩御飯やケーキを食べて送別会をしたので、俺の心は随分平穏を取り戻している。
乾杯を済ませ、いくらか酒を煽ったところでケイが口を開く。
「ワタル、今日は来るの早かったね。何かあった?」
ケイの問いにワタルを見ると、彼は苦笑しながらグラスを揺らした。
「いや、実はやたちゃんにお客様が来てね。やたちゃんに追い出されたんだよ」
「そっか、ふふ。お疲れ様」
「ああ、ありがとう。……それで、アッシュくんはどうしたんですか?」
ついに来た。
俺は気まずくなりながらも口を開く。
「じ、実は、その、サクラに正体がバレて」
「……」
「……うん」
「その、勢い余って、こ、告白、してしまった……」
「え、よかったね」
「ほんとですね。言えないまま自分の世界に帰ることにならなくて、よかったじゃないですか」
「確かにそれは、よかったんだが……ご、ごめんなさいって言われて、逃げられた」
「それは……」
ケイが悲し気に顔を歪める。
「ふむ……何か理由があるのでは?」
ワタルは口元に手を当てて考えるような仕草をして、話の続きを促した。
「それが——」
促されるまま俺は、今日あったことを話した。
公園でサクラが質の悪い酔っ払いに絡まれたこと。
撃退のために狼の姿で言葉を話してしまい、正体がバレてしまったこと。
正体を隠していたことを弁解しようとして、勢い余って告白してしまったこと。
「——というわけだ。ごめんなさいって……はぁ。俺、嫌われたよな?」
全てを話し終えた俺の喉はカラカラに乾いていて、そこに酒を流し込む。
鼻腔の奥に抜けるようなアルコールの香りと、喉にひりりとした痛みが走った。
「そっか、そんなことがあったんだね……つらい、よね」
ケイが慰めと共感の混じる表情を浮かべているのに対し、ワタルの口元はほんのり緩んでいるように見える。
俺とケイはその様子を不思議に思った。
「ワタル、どうしたの?」
「いや……」
ワタルはそう言って口元を隠し、しばらく考えるような仕草をした後にこう続ける。
「まだ、嫌われたと決まったわけじゃないと思うんですよ。嫌いだと面と向かって言われたわけじゃないんでしょう?」
「それは、そうだが……もともとサクラはイケメン嫌いだし」
自分で声に出しながら気分が落ち込んでいくのがわかる。
徐々に狼耳は折れ、自慢の尻尾も力なく垂れさがってしまった。
そんな俺の姿にワタルは苦笑する。
「うーん。あ、明日アーニメルタへ帰るまでに時間はありますか? もしあるのなら、早めに家に寄ってほしいんです」
「時間はあるが、何故だ?」
「あ~、その、やたちゃんが話したいと言っていたので! とにかく早めに来てくれると嬉しいです」
「? わかった」
ワタルは、それ以上話すことはないといった様子で話を切り上げる。
その様子を疑問に思ったものの、俺は特に言及しなかった。
ケイも何か思案しているようだったが、すぐに先ほどまでと同じ雰囲気に戻る。
この話はそこで途切れ、他愛ない話題に移る。送別会はその後1時間ほど続いた。
読んでいただきありがとうございました!
次回、異世界ホームステイ編最終回です!




