アッシュ・テイラー、異世界ホームステイする⑦
よろしくお願いします!
雨の切れ間に、サクラの家を後にする。
すでに辺りは真っ暗な時刻だ。
サクラとの別れは名残惜しかったものの、せっかく手入れをしてもらった体を濡らすことは避けたかった。
また明日も会える、そんな気持ちを込めて、玄関先でサクラの頬をペロリと舐める。
「もう帰っちゃうんだね。……また明日ね、アッシュ」
「わん!」
手を振るサクラを何度も振り返りながら、俺はケイの家に向かって走りだす。
走っている最中、嗅ぎ慣れない花のような香りが鼻腔をくすぐる。
風に靡く俺のもふもふになった毛から香るそれに、先ほどの逢瀬を思い出した。
まるで、サクラがずっとそばにいるみたいだ。そう思うと緩む口元を抑えることができなかった。
俺がケイの家に着くと、窓から光が漏れている。
みんな帰っているらしい。
「アッシュ、おかえり。タオル使って、ん?」
玄関に近づくと、ケイがタオルを持って立っているのが見えた。
ケイは驚いた顔をしたものの、タオルを玄関の床に敷く。
「助かる」
タオルに飛び乗り、肉球をこすりつける。
雨は止んだものの、道路には水たまりが多く、足には跳ね上げてしまった泥が付いていた。
念入りに泥を落としていく。
「ご飯食べてないならあるから。あ、ちゃんと手は洗ってきて」
ケイは特に何も聞くことなく、子どもたちのいる部屋へと戻っていった。
食事を終えて子どもたちと遊んだ俺は、疲れ切った子どもたちが寝静まると風呂に入る。
風呂で思い出すのは、記憶から消したはずのサクラとの時間。
身も心もとろけてしまうような妙技だった。
「はぁ~」
感触を思い出してうっとりしてしまう。
サクラは動物が好きだからなのか、俺の扱いがとても上手い。
仕上がりも美しいし、惚れ惚れしてしまう。
今日のサクラとの時間を思い浮かべると、恥ずかしくもあり、幸せでもあり顔も体も熱くなってきた。
そろそろ考えすぎてのぼせそうだ。風呂を出ることにする。
風呂を出て、飲み物を取りに台所へ向かうと、『リビング』から話し声が聞こえた。
子どもたちはとっくに寝ているし、ケイともう一人。男の声だ。
声のほうへ向かい、扉を開ける。
そこにはケイとワタル・ワタラセがいた。
テーブルにはつまみと酒が置かれ、手のひら2つ分ほどの平たい画面が斜めに立てかけられていた。
「ああ、こんばんは」
「よかったらアッシュも一緒に飲まない?」
2人は笑って、持っていたグラスを揺らす。
「そういうことなら」
グラスを受け取り、テーブルに着く。
「それでは、乾杯」
室内に3つのグラスの合わさる軽い音が響いた。
そこからはたわいもない話で、盛り上がる。
「アッシュくんは、どうして『あえ~る』の婚活パーティーに参加したんですか?」
ワタルがチーズのお菓子を摘みながら俺を見る。
「ああ、もともとは王命で……レオナルド陛下がエレクタラの国王に自慢されたことがきっかけでな」
「え……」
途端にケイの顔が曇る。
疑問に思ったものの、ワタルに促され経緯を語った。
「何だったか……あ~『わが国にも尊いを!』だった。で、婚活することになった」
「あ~」
「いや、それは、何というか……」
俺の話を聞き終えたケイは何とも言えない表情を浮かべ、そんなケイをワタルは苦笑交じりに見ている。
「どうしたんだ?」
「あぁ、いや、うん。ごめん」
その後聞いた衝撃の事実に俺は、眩暈がするような心地がした。
俺にはとても口に出すことのできない事案だ。
え、気軽に手料理とか振舞ってもらったけど大丈夫か?
「——そんなことがあったのか……だから今回のホームステイの受け入れを?」
衝撃の発言に疑問が漏れる。
「ううん。アッシュが婚活し始めた原因は今まで知らなかったし。ただ、みんなから君のことを聞いてたんだ。そしたら、なんだか昔の僕みたいだなと思って。応援したくなった」
ケイがグラスの中の氷を指でつつきながら、やんわりと穏やかな声で話し始める。
それはケイと奥さんの馴れ初めの話。
話を聞くと、ケイと奥さんは結婚に至るまで、いろいろあったらしい。それはもう本当にいろいろ……映画化される程度に。
「大恋愛だったんだな」
「ふふ。僕は一度、自分から彼女を手放そうとした。彼女が追いかけてくれなかったら今の幸せはない。彼に罪悪感もあったし。アッシュはまだ追いかけてないし、諦めるつもりもないんでしょう?」
「ああ、だがこちらに来て、少し迷ってしまった。同じ世界の人間と添い遂げるのが、彼女の幸せなんじゃないかと。俺は正体を隠してばかりで、サクラに何も言えていないから余計に、な。」
酒に映る自分は随分と情けない顔をしている。
「男心もなかなか複雑ですよね」
そう言ったワタルが、グラスを煽る。
「残りは2日だね。後悔しないようにね」
ケイがそう言ったのを境に、話は今日の天気に移っていった。
「そう言えばアッシュ。今日の雨、濡れなかったの?」
「濡れたが、乾かしてもらった」
「へぇ? 随分毛艶もいいし、朝子どもたちと遊んでた時よりもふもふしてない?」
ケイが意味ありげな視線を俺に向ける。
「……風呂で、洗ってもらった」
そこからは、もう……根掘り葉掘り穴掘り。
だが同僚たちとの時とは違い、時間はしっぽりと緩やかに過ぎていく。
ケイもワタルも聞き上手であり、同時に話し上手だった。
人生の先輩、俺にはいないが、兄に相談しているような気になりながら、穏やかな時間を過ごした。
ありがとうございました!




