アッシュ・テイラー、抹茶を飲む
よろしくお願いします!
通されたのは、絨毯の様なものが敷かれた部屋だった。
木でできた黒い長机と長椅子、そして同じように黒く艶のある台の上に、小さな竈の様なものがあり、釜らしいものが白い湯気を出しているのが見える。
そして、釜のある台の向こうに座って何か作業をしているのが、サクラだった。
「あ、来ましたね」
サクラは集中していたのか、ツムギの声で俺たちに気付いたようだ。
慌てて道具を置いて、立ち上がった。
「アッシュさん。お着物、似合いますね!」
「ありがとう。……サクラも、とても似合っている」
サクラの『キモノ』は華やかなものだった。
ピンクの無地かと思ったが、立ち上がったことで下の方にある柄が見えた。
色とりどりの花が描かれた美しい模様だ。帯も男物よりも分厚くコルセットのようだ。柄も派手かと思うぐらいの華やかな美しいものだ。
サクラの変化で何より驚いたのは、普段は下ろしている長い髪を1つにくくって、後ろで丸く留めていることだ。
サクラが動くたびにうなじが見えて、なんだか気が気じゃない。
いつも隠されているものが見えると、何故こんなにもドキドキするのだろうか。
可愛らしい姿のサクラが見られるのは素晴らしい。ますます『キモノ』を好きになれそうだ。
「さ、どうぞ。こっちへ来て、道具を見てみてください」
ニコニコ笑っているサクラに釣られるように、釜の前にある道具を見ていく。
円筒型の筒と柄杓、中に何か詰められている茶碗など、何が何だかさっぱり分からない。
近付いたサクラのうなじが気になってしょうがない。ちらちらと見てしまうのは許してほしい。
「ざっくり何をするかというのを話しますと、この筒の中に入った粉が抹茶というお茶の粉末で、これをお湯で溶いて飲むんです。ただ、溶いて飲むのではなく、道具の扱い方とかが細かく決まっていて、儀式みたいなものがあります。それが、茶道です」
そう言ってサクラは筒の中身を見せてくれた。緑色の粉が小さな山を描くように盛られている。
「これがお抹茶ですよ。アッシュさんが初めて飲むには苦いかもしれないので、一応牛乳も用意してます。試して無理だったら、抹茶オーレにして飲みましょう。私、お友達とお稽古するの初めてで、楽しみにしてたんですよ!」
そう言って笑うサクラに、胸が高鳴ると同時にずきりと痛んだ。
当初に比べて警戒心が薄れてきたサクラ。可愛らしい笑顔を見せてくれることも増え、気まずそうに隅っこに逃げてしまうこともなくなった。
理由は明白、友達になると言ったからだ。俺が彼女を害さないと思っているから、無防備になっている。
もちろん確実に落とすための作戦だった。サクラの性格的にも長期戦になるのは目に見えていたし、理解していた。
だが、いざ彼女の口から友達だと言われると、胸の奥が感じたことのない痛みを訴える。
サクラの説明してくれる道具の話は、申し訳ないが何も頭に入ってこない。
それよりも、せわしなく動く甘やかで柔らかそうな唇が目に入って、どんな味なんだろう、感触は? とサクラの唇を食みたい、キスがしたいという欲望で一杯だ。
俺はそれなりに女性と遊んできたが、未だかつてこんなにもキスしたい、触れたい、でも傷つけたくないと、相反する気持ちを抱えて悩むことがなかった。
「――さん! アッシュさん!!」
サクラに至近距離から覗き込まれて、慌てて我に返る。
「あ、すまない」
「体調悪いですか? つまらない話ばかりしちゃってすみません。私ってば興味のある事はついつい長く話しちゃって」
「いや、違うんだ。その……何でもない。大丈夫だ、続けてくれ」
「言いかけられると気になります」
サクラはジトっとした目でこちらを見てくる。しばらく我慢しようとしたが、そんな可愛い目をされては話してしまう。
「いや、その、かわいいなと思ったんだ。サクラは楽しそうに『サドウ』のことを話すから、きっと好きなんだなと」
俺がそう言うとキョトンとしていたサクラだったが、少しだけ頬を染めて、満面の笑みになった。
「はい! 大好きです!!」
その笑顔を見た瞬間に、何かが凄まじい音を立てて、胸を射抜いたような気がした。
ああ……くそ。
何が、惚れさせてみせるだ。プライドがどうした。
俺の方が、サクラを好きになってしまっているではないか!!!!
サクラは、俺のことを言ったわけじゃないのに、こんなにも胸が苦しくて仕方ない!!!
ああ……いますぐ、『サドウ』になりたい。
好きと言ってほしい!
「……そ、そうか。続きも教えてくれ」
何とかサクラにそう告げると、サクラは嬉しそうに説明の続きを始めた。
もう、その姿を眺めるだけで至福! サクラ好き!!!
道具の説明の後は、サクラがお茶を点ててくれることになり、一緒に可愛らしい形のお菓子を食べる。
お菓子に喜んでいる可愛い姿も、道具を扱う真剣な表情も、全部愛しい。
サクラのコロコロと変わる表情に、もう、好き以外の言葉が出てこない。
「はい、アッシュさん。抹茶飲んでみてください」
俺とサクラの目の前にはそれぞれ緑の液体が泡立てられた茶碗がある。
茶碗もそれぞれ違う色で興味深い。
俺の茶碗は黒の重厚な焼き物でありながら、温かみを感じる一品で、内側の緑色とのコントラストが美しいし、サクラの茶碗は花の絵が書かれたクリーム色の薄い器で、これもまた美しい。
サクラが茶碗を手に取る方法や、飲む前に感謝することを教えてくれる。
「それで、絵が正面に来ない位置から飲むんです。回して、そうそう。無理に飲みきらなくていいですからね。抹茶はカフェインが強いから、慣れてないと眠れなくなっちゃうかもしれないので」
「分かった、えと、『オテマエ』頂戴します」
「ふふ、はいどうぞ」
「ゴクッ」
両手に持った茶器を傾け、緑の液体を口に含んだ俺は、あまりの苦さに衝撃を受けていた。
濃厚な苦み、確かにこれは寝られなくなりそうだ。
サクラには悪いがこれ以上は飲めそうにない。狼の本能的にこれはきついと分かる。
だが、サクラの好きなものだ。サクラに褒めてもらえるのなら、やってやる!!
その後ももう一口飲んだ。う、苦い。
そこで、俺の顔色がサーっと悪くなったのを感じたのだろう。慌ててサクラが止めに来た。
「アッシュさん! 無理しないでください! ホントに、日本人でも苦手な人はいるんです。異世界人のアッシュさんなら飲めなくて当然です! もうやめてください!」
「……すまない。これ以上は飲めそうにない」
サクラに泣きそうな顔で止められては、これ以上強行することは出来なかった。
俺が茶碗を置くと、すぐに茶碗が回収された。
サクラはホッとした顔で、別のお茶にしましょうと炊事場に向かっていった。
しかし、抹茶に慣れるのは難しそうだ。苦すぎて美味しさが分からん。薬湯のような味だった。
「お待たせしました。ほうじ茶とお口直しのお饅頭です」
「ありがとう。すまないな、折角入れてくれたのに少ししか飲んでやれなかった」
2人でほうじ茶を飲みながら饅頭を口にする。
ぽつりと、後悔の言葉が出る。
それを聞いたサクラは、優しく微笑んだ。
「なんで謝るんですか? アッシュさんは、私の好きなことに付き合ってくれただけなのに。抹茶はきついし薄めに入れてもダメな人はダメなんです。アッシュさんは多分、抹茶オーレも飲みなれないと難しいと思います」
「だが、俺が『サドウ』を知りたいと言った。サクラが悪いんじゃない」
「いえ! 私が!」
「俺が!」
そのまま謝り合いになってしまったが、どちらも譲らなかった。
激しい攻防の末、折れたのはサクラの方だった。
「アッシュさん頑固! じゃあこうしましょう。抹茶、二口も頑張って飲んでくれて、ありがとうございます。よく頑張りました。いい子いい子」
そう言って俺の頭をなでる。
いい子いい子、馬鹿にするなと言いたいようなことのはずなのに、サクラのその手や褒められたことが嬉しくて、暫くはされるがままでいい、そう思って目を閉じた。
読んでいただきありがとうございます!
アッシュ君、ついに……。
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