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最初のゴール

作者: 帝王

とある夏休みの一コマ。

「4分……よんじゅーご。ろく、なな……」

 タイムを読み上げる声が聞こえる。

遠い。ここからゴールまでの百メートルと少しが、今の僕にはあまりにも遠い。

「ごじゅう! いち! にーい、ほら頑張れー!」

 高橋さんの声だ。聞こえた。情けない。それでいいのか男子高校生。

 もう少し、あと少し……。必死に前に進もうとする。

 急げ急げと急かす頭とは裏腹に、段々と腕も足も上がらなくなっていって、

「5分! ……あー」

 軽い落胆の声が聞こえたが、それに答えるだけの気力もなかった。

 歩いてるんじゃないか、というくらいのスピードで、なんとかゴールを通り過ぎる。

 長い距離を走った後すぐに座り込んではならない。脚に乳酸がたまってしまうからだ。僕は座り込みたくなるのをなんとか堪えて、必死に黙々と歩いた。

 ただただ悔しくて、情けなくて、涙が出そうだった。


 泉南高校陸上部。

 全国常連、とは言わないまでも地元では有名な強豪で、特に混成競技では毎年県大会の優勝者を輩出している。

 小学校から陸上を始めた僕は、中学校で混成競技に出会い、県大会に出場した。これはいけるのではないか、と浅はかにも考え強豪校に入学したが、そこで思いもしない課題にぶつかることになった。

 それは高校の混成競技の種目が倍になる、ということである。しかも最終種目は1500m。中学の頃は無かった、中距離走が入ってきたのだ。

 中学校と同じように考えていた僕に、「体力不足」という重い壁が突き付けられた。

 困った先生が、僕専用に夏休みの特別メニューを組んでくれたのだが……。

「いやー残念だったねえ! 惜しい!」

 そう声をかけてきたのが今の僕の悩みのタネ、高橋マネージャーである。

「はは……」

「でもでも、2週間前! 始めた時に比べたら10秒縮んでるよーいやすごい!」

「……うん、ありがと。でもあと少しがなかなか、ね」

「またしかに、ここ二、三日のタイムに変化がないね。うーん何が足りないのかなー」

 元気いっぱい、笑顔が素敵な女の子。歩くたびにポニーテールがぴょこぴょこ揺れて、それがまたとてもかわいらしい。部の清涼剤で、人気者。

「ごめんね、なかなかタイム出せなくて」

 そんな彼女を、僕のせいで二週間も部から引き離してしまっていることが、とても心苦しいのである。


 先生の作ったメニューには、一番下に

『これらを毎日繰り返すこと。1500mのタイムが五分を切ったら戻ってきなさい』

 とあった。その時の僕の自己記録は5分12秒。すぐに達成できる、とも難しすぎる、とも言えない納得のいくタイム設定だった。

 夏休みが始まり、朝。自主練習をするために共有グラウンドに向かった僕を待っていたのが、

「今日から専属マネージャーだよー! よろしくねっ」

 お察しの通り、高橋さんだった。部の男たちの例に漏れずることなく、ほんの少し彼女に憧れていた僕は大いに戸惑った。部の練習に戻るよう説得したのだが。

「だって先生が行けって言ったんだもん」

 と言われては返す言葉がない。ちょっとした幸運に、神と先生に感謝をしながら、僕は練習に励んだ。

 それがまさか、明日で二週間になるとは流石の僕も想像できなかったのである。


「私は陸上部のマネージャーなんだよ。だから、君のマネージャーでもある。君の練習を支えるのは、当然のお仕事です。気にしなくていいんだよ」

 気持ちのよい笑顔を浮かべながら、高橋さんはそう言った。僕はその笑顔が眩しくて、そして、そんなことを言わせてしまった自分が情けなくて、顔を逸らした。

「うん、ありがとう」

 辛うじてそんな言葉だけは、僕の口からも出てくれた。




 翌日。僕は制服を着て、職員室に来ていた。父親から、親の会の書類を先生に渡すようにと言われていたのだ。高橋さんには昨日のうちに、午後からの練習にすると伝えておいた。

「先生。この書類、お願いします」

「ん……おっ。どうだー練習は? あ、書類サンキュな」

「5分切ったら戻ってこい、と言われてたのに、それより先にこうして会うことになっちゃいました。もう少しではあるんですけどね」

「ふむ。高橋の報告聞いてる感じだと、あとはもう気力の勝負って感じがするんだけどなあ」

 気さくな感じのこの先生は田山先生といって、陸上部の顧問をしている。学生時代は投擲専門だったとだけあってすごくガッシリとした体格だ。年齢も若く、生徒にも人気がある。

 そういえば高橋さんも「あの筋肉素敵!」とか言ってたな、なんてことを思い出しつつ、いい機会だから謝っておこうと思った。

「そうそう、高橋さんがいてくれて本当に助かってます。先生が寄越してくれたんですよね、ありがとうございました。そして長々と拘束することになってすみません」

「いやいや、俺は行かせるつもりはなかったが、何せ本人が行きたいと言ってきたからなー。それはしょうがない。うーんそうだな、1500mのコツは、最後の直線でもう一段階ペースを上げる感覚だ。余力を残せって話じゃないぞ、もう無理だと思ったそこから上げるつもりで行くんだ。それでとっとと5分切って、こっちの練習に合流してこい」

「――――――――はい、わかりました」

「今日もこの後練習するんだろ? 頑張ってな」

「はい。失礼しました」

 礼をして、職員室を出た。いやあ廊下は涼しいな。ここで少し頭を冷やしたほうがいいそうだそうしよう。落ち着いて思い出すんだ僕


 せんせいいまなんていった?


 先生は行かせる気なかったって? んで本人が行きたいって? おかしい。高橋さんの話と違うじゃないか。高橋さんが嘘をついているとは思えない、が、しかしそれは先生もだ。もし、先生の言うことが本当だとしたら、高橋さんは、どうして――

「あっ、来た来た! おーつーかーれー!」

「うゎ!?」

「わ!?」

 突然の高橋さんの声にびっくりして、それが更に高橋さんをびっくりさせてしまったようだ。二人とも、驚きのまま硬直。ボーっとしたまま、どうやらもうグラウンドに着いていたようだ。

「ごめんごめん。お疲れ様、高橋さん」

「うん、おつかれー。ボーっとしてた? 練習の前に顔でも洗ってきたらー?」

 ニヤニヤとからかってくる高橋さん。こんな表情を見るのは初めてだな、とまたトリップしそうになって

「うん、そうするよ」

 なんとか現実にとどまる。いかんいかん。さっきの話を引きずっている、切り替えないと。今日もタイムを切れないと、また高橋さんを部に戻せなくなってしまう。

(でも、それもいいかも。このまま二人で……)

 そう思ってしまう自分を、否定できなかった。


 結局練習中も高橋さんのことばかり考えていた。

 残すところは最後の、1500mのタイム走だけだ。

「集中してるとこごめんね。ちょっといいかな」

 準備をしていると、高橋さんが話しかけてきた。

「ほら、今日の午前中時間あったじゃない? だから私ね、インターネットでいろいろ調べてきたんだ、1500mのコツ。役に立つかわからないけど、よかったら見てみて。ある程度まとめてはある筈だから!」

 そう言って数枚の紙を僕に渡し準備に走る高橋さんを見て僕ははっとした。

 午前中は部活の練習に顔を出したとばかり思っていた。僕のために調べ物までしてくれていたんだ。僕がタイムを切れるように。陸上選手としての、僕のために。

 はっとして、そしてすぐに、一緒にいたいから記録を出さなくていい……一瞬でもそう考えてしまった自分自身を恥じた。

 昨日から、いや、そのずっと前から僕は、恥じてばかりだ。

 情けないと貶してばかりだ。

 そんな僕のままで高橋さんと一緒にいても、意味なんてないじゃないか。

 僕は高橋さんがくれた資料をしっかり読み、からだをほぐして、グラウンドに出た。




「いやーすごい! すごいよ君は! 伸び悩んでたタイムを、たったの一晩で三秒も縮めて見せた! やったぜ、4分59! 目標達成だよー!」

「はっ……は、うん、いや、待って……いま無理……」

 ゴールのすぐそばで、僕は倒れこんでいた。

 立ち上がって、歩かなきゃいけないのはわかっている。それでも体が動かなくなるくらい、全部を出し切っての記録達成だった。

 すぐ隣で高橋さんがはしゃぎまくっている。狂喜乱舞、とはまさにこのこと。というか踏まれそうで怖いのでジャンプはやめていただけませんか高橋さん。

「いやー本当によかった。ラストの100m、ペース落ちなかったね! あれが勝負を分けたんだと思うなーさっすが私の資料!」

「はあ、はあ……そうだね。高橋さんの、おかげだよ」

 最後の直線。田山先生に言われて、そしてほぼ聞き流してしまっていたそのポイントが、高橋さんのくれた資料にも載っていたのである。

 直前に資料を読んでいなければきっと思い出すことはなかった。この結果は先生と、そして間違いなく、高橋さんのおかげなのだった。

「ねえ、高橋さん」

「んー? なんだいなんだい」

 僕は整ってきた息を一度大きく吐き、そして吸う。目を開いて、起き上がって、言った。

「次はきっと、大会で勝ち残って。僕が一人になるまで、ずっとずっと勝ち残るから。そしたらまた僕の練習に、付き合ってくれるかな」

 高橋さんはちょっとびっくりしてから、いーよ、と笑った。

作品初投稿です。素人の文章ですが、楽しんでいただけたら嬉しいです。

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