第7話 飴屋金五郎商店
千代田区永田町首相官邸。
待ち受ける大勢の報道陣を横目に、矢沢総理を先頭とした一団が、ロビーを早足で横切ろうとするが、たちまち取り囲まれてしまった。
「矢沢総理、豊洲市場爆破事件からすでに5日経ちますけれども、いまだ犯人が特定されていないと言う現状をどうお考えですか、海外のテロ組織の犯行という噂も出ております、政府の公式見解をいい加減発表しませんと、国民は納得しないんじゃないですかね」
「お答えください総理……」
押し寄せる報道陣は口々に叫び、矢沢総理たちは揉みくちゃにされた。
SPや秘書官らが、壁となり報道陣を堰き止めると、
矢沢総理は独り人込みをさっさと抜け出し、階段を駆け上がった。
今度はそれを補佐官の一人が後を追って咎めた。
「総理……報道陣へ一言、何か申されませんと……」
「あそ……」総理は登りかけた階段から降りて来た。
「総理、総理のご見解をお聞かせください……」
報道陣が総理めがけて押し寄せた。
「……只今の時点で、私個人の見解を述べることは、得策ではないかと……このように存じます」
記者たちは、総理の言葉を遮るように激しくまくし立てる。
「時局の混乱をどう収められるおつもりですか、各都道府県から原発への自衛隊配備を切望する声が上がってます……何のための…有事法制ですか……」
総理は冷静に話し続けた。
「まず豊洲の爆破テロ……あ、爆破事件に関しまして……」
「テロとお認めになるんですか……国内でテロ事件が起こったということで宜しいんですね……」
記者たちが、口々に“テロ”を連呼する。
「テロ認めたぞ」「今日の夕刊一面“総理テロ認める”で……」
総理は少々狼狽した。
「いえいえ……まだテロと、き、決まった訳ではございません、事件の真相につきましてもですね……鋭意捜査中でありまして……各専門家や関係各省庁と連携して迅速に事に当たりたいと思います……」
「……迅速に動いてないから、言ってんですよ、これは有事じゃないんですか?……それも専門家に聞かなければわかりませんか?」
「……今後の対応につきましても……関係各省庁と連携して……」
首相官邸内では、絶え間なく怒号がなり響いた。
一方、
霞ヶ関、警察庁庁舎、警備局局長室では、局長の椅子にどっしりと座った園蔵誠一が、ほくそ笑みながら、ノートPCのモニターを眺めていた。
「このアホ面を見られるのも、あと僅かだね……北さん」
モニターの中では、矢沢総理が報道陣に揉みくちゃにされている。
暗がりから浮き上がるように、北吉輝が現れた。
北は足音もたてずにゆっくりと誠一の居る窓際へと近づいて行った。
上等な革靴を履いた彼の足は、2㎝ほど宙に浮いていた。
モニターを覗きこんだ北も軽薄な声をあげて笑った。
「虫ケラども……巣穴を掘り起こされて、慌てふためいてますな……滑稽ですな、ヒャヒャヒャ」
誠一はパソコンを閉じて、懐から携帯を取り出した。
「もう、そろそろ米国の調査隊が本栖湖畔へ現れる頃でしょうね、我らが姫も……無事であれば、そこへ向かうはずだ」
北は無言で誠一の肩へ手を置いた。
誠一は携帯電話を耳へあて、 話し始めた。
「ああ、明智です、そろそろ“イの2番”を発動して頂けますか……現着ですよね……はい、ではお願いします」
誠一は電話を切ると、優しく見つめる北の顔を、見つめ返した。
遡ることその前日、午後6時。
本栖湖にほど近い《飴屋金五郎商店》の前で、
一台の白いワンボックスカーが停車した。
《ゆうあいの里》と書かれた側面のスライドドアが開き、
電動車椅子の宇佐木徳治がリフトで降ろされた。
「……おじいちゃんお帰りなさい」
商店の軒先で、宇佐木優子が出迎えた。
「でわ、また明日9時にお迎えにあがります」
と青いジャンパー姿の男性が会釈した。
「宜しくお願い致します、いつも助かります」
と優子が深々とお辞儀をすると、
「もう来んでいい……」
と徳治は不機嫌そうに言い放った。
青いジャンパーの男性が苦笑いを浮かべると、
「こら、おじいちゃん何言うの、いつもお世話になってるのに」
優子が甲高い声で怒鳴ると、徳治は車椅子の中で小さくなった。
「あまり、叱らないであげて下さい、単なる照れ隠しですから……」
と諌めると、男性はまた会釈して、車へ乗り込んだ。
「ちょっと待って……」
ドアを閉めようとした男性に声をかけて、優子は店の中へ入って行った。
そしてすぐに出て来たかと思うと、何やら大量に詰め込んだビニール袋を男性に手渡した。
「これ、また売れ残ったやつで申し訳ないんだけど、ひと月ぐらい楽に保つから……施設の皆さんで食べて、」
「ああ、月餅ですね、これ、みんな大好物で……」
と男性が満面の笑みで言うと、
「嘘つけ……」
車椅子の徳治が口を挟んだ。
「ありがとうございます」
男性は車の中で、やたらと何度も会釈を繰り返し、白いワンボックスカーは去って行った。
それを笑顔で見送る優子だったが、車が見えなくなった途端に怪訝な表情に変わった。
「本当、おじいちゃんいい加減にしなさいよ、皆さん遠いところを、わざわざ送り迎えして下さってるんですからね……もう、来ないって言われちゃうよ」
優子がプンプンと文句言いながら店に入ると、電動車椅子を操作しながら徳治もその後を追った。
「ワシが何した」
「何も……もっと愛想よくしなさいって言ってんの……」
「しとるよ、施設では、徳ちゃんイケメンねーって、ジェントルマンねーって皆言っとる」
「あら済みません、そんな風に見えなかったもんで、じゃあ、ウチでもそうしてね〜」
「やだ〜」
そんな2人の会話が、店の中へ消えて行ってまもなく、樹海の方から道草が赤ん坊を抱いて現れた。
足取りはヨロヨロと覚束ない。
顔からは血の気が引いていた。
腹が鳴った。
店先のガシャポン機に寄りかかり、ジュースの自動販売機を見上げた。
「あー、あー」と地獄の亡者の如く呻きながら、ジーンズのポケットに指を突っ込み弄った。
だが裏地の布が出るばかりで、一向に小銭が出てこない。
両尻のポケットも探るが、枯れ草の切れっぱしが引っかかていただけだった。
「ごめんよ、ごめんよ、お金が……お金が……」
赤ん坊の頭に生えた柔らかな産毛に頬を押し付けながら、
彼は悲痛な声をあげた。
財布を何処かへ落として来たのか、
はたまた元から持っていなかったのか、
なぜ金があると思ったのか、
それすら分からない事に今頃気付いた道草は、混乱とショックのあまりその場に座り込んでしまった。
そうとは知らず、
宇佐木優子がシャッター棒を持って奥から店頭へ出て来た。
「ほんと、口の減らない年寄りだわ……まったく」
と、ブツブツ独り言を呟きながら、シャッターを閉めようと軒に向かって棒を伸ばすと、ふと店先に異様な気配を感じた。
「……ふんが、ふんが」
赤ん坊がぐずっているような声が聞こえる。
優子は不審に思い、店の外へ出て、一応辺りを伺った。
すると、自動販売機の陰から白い上等な布に身を包んだ赤ん坊が、地べたを這い這いしながら、こちらへ向かって来た。
優子は一瞬ゾッとして、目を丸くしたが、その赤ん坊のあまりに美しい顔立ちに、妙な安心感を覚えた。
「え……やだ、かわいい、何処から来たの……」
優子は、無心に赤ん坊を抱き上げた。
「迷子?…んな訳ないわよね、ママはどこ?」
と優子が尋ねると、
赤ん坊は自分が今来た方向を見ながら、
「まんまんまんま……」と声を上げた。
優子は、軒先に並ぶ自販機の陰を、恐る恐る確認した。
すると今度は、自販機とガシャポン機の狭い隙間に頭を突っ込んで蹲ったまま気絶している道草正宗の残念な姿を目撃してしまった。
「ひやー……」
優子は思わず、悲鳴をあげた、
「おじいちゃん、おじいちゃん、行き倒れの人」
赤ん坊を抱いた優子は、一目散に店の奥へと駆け込んで行った。
つづく