表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/29

第4話 悪夢からの脱却

主な登場人物


道草 正宗……25歳、フリーター


園蔵 権三……88歳、元内閣総理大臣


園蔵 阿佐子…49歳、権三の実娘


園蔵 誠一……52歳、警察庁警備局局長





青木ヶ原樹海。

湿り気を帯び、菌を含んだ土の臭い。

折り重なった倒木の隙間に、

まるで隠れるようにして、

道草正宗は地面に横たわっていた。

《フニャー、フニャー》

(猫?)

猫の鳴き声のようなものが微かに聴こえる。

繰り返し、繰り返し

まるで自分を呼んでいるように鳴いている。

道草は目を開けた。

地面に無数の(こけ)

胞子を吸い込んだのか、

ヤケに咽せる。

咳き込みながら、道草はその場に立ち上がった。

あたりは無数の樹木が乱立し、日光が遮られているせいか薄暗い。

Tシャツの中で、何か蠢めくものがあった。

イモリだ。

「うわっ」思わず声が出た。

虫が嫌いな訳ではない、が道草もさすがに湿ったニュルニュルが自肌に張り付くのは気持ちが悪い。


道草はふと自分の着ているシャツが、穴だらけである事に気がついた。

《フニャー、フニャー》

またあの鳴き声だ。

猫に似ているが、少し違う。

(赤ん坊?)あらぬ想像が道草の脳裏を掠めた。

まさか、こんな森の中に赤ん坊が…

(捨て子?)

よく、富士の樹海なんかで、自殺しようなんてする人があると言うが、森の中に子供を産み捨てる母親があっても、おかしくはない。

道草はそんなことを考えながら、その声の主を求めて歩き出していた。

こんな森の中で、生まれて初めて目覚めた赤ん坊の心中は、いくばかりのものか……孤独で、孤独で、仕方ない。

《フンギャー、フンギャー》

その小さくも力強い声へ近づくにつれ、それが間違えなく赤ん坊の泣く声であることを道草は確信した。

最悪は、自殺した母親の股蔵から生み落とされたなどということだ。

この世に生まれて初めて見たものが、自分の母親の遺体なんて、絶対あってはならない。

妙な想像ばかり浮かんでくる。


道草は、さっきから、何かに背中を押され、腕を引かれているような感覚にとられていた。

この森に棲む何か霊的な力なのだろうか、道草は歩きながら段々と記憶が蘇ってきた。

(……待てよ、富士の樹海だと、)


昨夜、自分は必死で車を運転していた。

追手(おって)から逃れるためだ。

ならば、なぜ逃げていたのか?

《フンギャー、フンギャー………》

泣き声は、まるで倒れた古い樹木の中から聴こえているようだった。

その樹木は完全に地面まで倒れ切っていた。

「どうする、精霊か何かのまやかしじゃないだろうな……」

(“まやかし”と言えば、俺はそんな女に会ったことがある、あれは誰だったのか?)


道草はとりあえず、木の表皮を素手で剥がしてみる事にした。

思いのほか、木は腐食が進んでいて、皮が水分を含んでブヨブヨしている。

表皮は厚かったが、柔らかかった。

爪で引っ掻いたぐらいでできた表皮の裂け目から、両手の指を突っ込み、隙間を開けてみると、樹木の中は腐りきっていて腐葉土のような状態だった。

泣き声はその中からハッキリ聞こえていた。

「頑張れ……いま出してやる……」

道草は巨木の上に馬乗りになり、更に隙間を広げると、そこに腕ばかりか、頭や、遂には上半身すらネジり込んで、赤ん坊の姿を探した。

「どこだ、出ておいで」と叫ぶと、小さな腕が2本、土の中からまるでニョキっと芽のように生えて出た。

その小さな手は道草の首に掴まり、

道草も土の中に両腕を突っ込んで、

赤ん坊の体を抱き上げた。

「おいで、おいで、やった……よかった、助かった」

赤ん坊を抱いたまま、道草は倒木から転げ落ちた。

「痛って…」

木の皮に皮膚が擦れ、多少切れたが、

地面を覆う苔がクッション代わりになり大事には至らなかった。

そのまま地面の上へ横たわり、腕の中の赤ん坊を見ると、腐った木の中から出て来たと言うのに、泥がどこにも付いていない。

それどころか裸でもなく、大きな白い布に体を包まれていた。

「何だおいどうなってるんだい……」

かたや、道草の手は泥だらけで、指先には血が滲んでいた。






世田谷区にある、とある総合病院。


園蔵権三は、病室のベッドの上で目覚めた。

長い悪夢を見ていたような気がする。

しかし、覚えていない。

点滴の管のついた節くれ立った手で、人口呼吸器のマスクを自ら外した。

首を少し起こすと、こじんまりとした部屋の中が見渡せた。

黒服のSPらしき男が、部屋の隅で椅子から立ち上がった。

「先生、お気づきですか?」

その男が、声をかけた。

「誰も、呼ぶな…」

かすれ声で権三が言うと、

「いや、そう言うわけには……」

と言って、ドアを開け外のSPへ声を掛けた。

すると、間もなく権三の娘の阿佐子が顔を出した。

「お父さま、よくぞご無事で、お分かりですか、阿佐子です」

阿佐子は愛おしそうに権三の枯木のような指を自らの頬へ押し当てて、ほろほろと涙を流した。


「阿佐子、……心配かけた、大丈夫だ、これしき……大事ない」

権三は、絞り出すように呟くと、目を細めた。


阿佐子は、胸がいっぱいな様子で、権三を見つめたまま、うなづいては涙を流した。

「阿佐子、もっと強く、強くなりなさい、私は、もう守ってやれない」


「お父さま、(ワタクシ)がお守り申し上げる番ですわ」


「ありがとう、ありがとう阿佐子……」


権三はそれだけ言うと、疲れたのか、

少し目を閉じた。


「阿佐子、お父様と少し、お話したいんだが……」

権三の娘婿の園蔵誠一が、阿佐子の背後から現れた。


「後の方がよろしいかと、いまお父様は、少々お疲れになられて……」

そう阿佐子が不安気な顔で言うと、

誠一は、笑顔で喰い下がった。


「私もね、官僚とはいえ、警察庁の人間として、お父様に御確認せねばならん事があるのだよ」

阿佐子は困った顔のまま、権三の袂から渋々身を引いた。

「捜査機密なので、阿佐子は廊下で待っていてくれ給え、お父様のご負担にならないよう直ぐに終える」


「はい、」

阿佐子は、権三の半開きの目に向かって手を振った。


「さて、お父様……」

阿佐子が病室から立ち去ったのを見計らって、誠一が話し始めた。

「……困りますよ、裏切ってもらっちゃ……」

誠一は不敵な笑みを浮かべた。

「やはり、お前がそうか……」

と、権三。

「あと数日で月蝕です、お父様が老体に鞭打たれた努力も、徒労に終わるでしょう、いずれ扉は開かれ、月世界は目醒める……かの姫が何処にいるのか、ご存知なんでしょう、お父様……」


誠一は権三の白髪をゆっくりと撫でた。


「貴様らには、見つけ出せまい、絆深き者と共にある……」


「何を仰っておられるのか……」


「分からぬか………、分からぬなら、分かる者へ伝えろ、残念だが、姫は今世も貴様のものにはならんと……、私は永きに渡って探し出した、姫の守護者たりうる男を……、姫は再び、その男を愛するであろう……と」


傍らで、そのやり取りを眺めていたSPがベッドへ近寄り、点滴の管を持ち上げ、その管へ注射器の針を刺し込んだ。


「殺しはしません、阿佐子が悲しむので……事が終わるまで眠ってて頂きます、また、お目覚めになれるかは、保証は致しかねますがね」


権三の狭まりゆく視界の中で、咽せ笑う誠一の顔は歪みながら闇に消えていった。



つづく

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ