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第26話 平安の変なヤツ (前編)

西暦にして820年頃、


とある冬の夜更け、


ひとりの僧侶(そうりょ)が、くたびれた菅蓑(すげみの)姿で、月の明かりだけを頼りに、

雪深い険しい山道を急いでいた。

そこは飛騨国(ひだのくに)

彼は、一ノ(いちのみや)水無(みなし)神社の御神体(ごしんたい)位山(くらいやま)にある、

奥宮(おおぐう)へと向かっている最中であった。


「道に迷った……」

僧侶は、激しく白い息を吐き出しながら、地面を覆う雪を払い、近くのイチイの木の(たもと)へと寄りかかって座った。


旅籠(はたご)の者に道案内させれば、よかったのだ、主人はすると申しておったのに……、とっさに断ってしもうた、恥ずかしいと思ってしもうた、何故(なにゆえ)じゃ」


この僧侶は、この飛騨においても

そこそこ有名であり、

旅好き、修行好きとして知られていた。


位山(くらいやま)には以前にも来たことがあるし、地元の人々もそれを知っていたりする。


「こんなところで、のたれ死んだら……恥ずかしいどころでは済まぬ……」


そう、ぶつぶつ言いながら僧侶は、懐から、宿の主人が持たせてくれた(ささ)包みを取り出し、震える指で、一枚、一枚、何層か重なった笹の葉を解き、中身のにぎり寿司(ずし)を少しだけ口へ含んだ。


「ウマ、これ美味(うま)い」

僧侶は、一瞬でも死ぬことを考えた自分が

情けなくなった。

宿の主人が心を込めて握ってくれたこの寿司からとても強いエネルギーを感じとったのである。

気がつくと、少しのつもりが、幾つもあった寿司を、ひとつ残らずたいらげてしまっていた。


「こんな、お腹いっぱい、食べちゃって、数日で死ぬやも知れぬ、おのれ……我が心に巣食う、邪念(じゃねん)(はら)い、潔める……ふん」


僧侶はその場に坐禅し、お経を唱え始めた。



ちょうど同じ頃、

位山(くらいやま)の反対方向から、煌々(こうこう)と輝く松明(たいまつ)(かかげ)一団(いちだん)が、険しい山道を登りきり、少し開けた場所まで来て、あたりを見まわしていた。


「間違いございません、確かに、ここらへんに御殿(ごてん)がございました」


道案内の者が、イチイの切り(かぶ)を指差して言った。


「ここらへんで、相違(そうい)ないのだな」

馬上(ばじょう)の鎧を着た男がそう言うと、


「相違ございません、あの“切り株”は、先だって朝廷(ちょうてい)献上(けんじょう)(たてまつ)ったイチイにございます、わたくしが惣領(そうりょう)(つと)めたものにございますれば、」


そう語るのは、飛騨国高山(ひだのくにたかやま)(みやつこ)と呼ばれる者で、毎年、(みやこ)(みかど)へ、イチイの木を献上(けんじょう)している、言わば林業組合(りんぎょうくみあい)のリーダー的な存在の人物であった。


「しかし、その屋敷は見えぬ」


馬上の鎧の男は、チッと舌打ちして、松明(たいまつ)を持つ他の鎧の男たちを(にら)みつけて、


「あたりを探せ、香久夜(かぐや)のことじゃ、また妖術(ようじゅつ)でも使っておるのであろう」

と大声で叫んだ。



香久夜(かぐや)……」

僧侶はその名を耳にして激しく反応した。


イチイの林の木陰にて、坐禅を組んでいた僧侶は、何やら煌々と松明を灯し、ジャラジャラと甲冑(かっちゅう)を鳴らして歩く集団を、薄目を開けて横目で眺めた。


配下(はいか)の者に命令を下しておる馬上の者は、確か都の貴族だった。

名は──(たちばな)であった。


橘刑部(たちばなのぎょうぶ)氏人(うじひと)


「ならば、ワシの名も知っておろうか、」

と僧侶が、思い直してイチイの大木から身を現したその矢先、


(かなわ)ぬ、焼き払え」


橘刑部(たちばなぎょうぶ)の配下の者どもが、

眼前のイチイ林へ松明(たいまつ)の火を差し向けた。


「恐れながら、御帝(おんみかど)のイチイなれば、なにとぞ、なにとぞ、」


それを見た飛騨高山の(みやつこ)は、橘の足へ追い(すが)るわ、雪の地面へ平伏(ひれふ)すわ、

パニックに(おちい)った。


「おのれ、邪魔だてするか、我が太刀(たち)(さび)となりたいか、」


火に怯え始め前後に動く愛馬を制しながら、

(たちばな)は、腰元の太刀(たち)を一気に引き抜くと、地面に平伏(ひれふ)す飛騨高山の造の首へ突きつけた。

「ご乱心を、」

(みやつこ)は震えるばかり、


「あいや、(しば)し待たれよ、馬上の御人(ごじん)


そう叫んだ僧侶は、松明(たいまつ)に照らされた明るみに踊り出た。


「なにやつ」

橘刑部(たちばなぎょうぶ)は、薄汚い菅蓑(すげみの)と着物に身を包んだ僧侶を睨みつけた。


「そこもと、(たちばな)刑部(ぎょうぶ)とお見受けいたすが……」


僧侶はそう言いながら、頭からすっぽり被った菅蓑(すげみの)を外した。

明るみにその顔を(さら)した。


「いかにも、何故(なにゆえ)我が名を……」

(たちばな)は、弓を構えた配下の者を静止して、僧侶の顔をまじまじと凝視(ぎょうし)した。


「もしや、弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)様、」

(たちばな)がそう口走ると、

周囲にいた配下の者どもが一斉に膝を折り、地面へ平伏した。


橘刑部(たちばなぎょうぶ)もまた、そそくさと太刀を(さや)へ収め、馬を降りた。


「あい失礼申した」


神妙(しんみょう)な面持ちで、橘刑部は空海(くうかい)へ近づき深々と一礼した。


刑部(ぎょうぶ)いかが致した、其方(そなた)らしくもない、仮にも御神体山(ごしんたいさん)

にて、かような振る舞いを…帝のイチイへ火をかけようとは、感心せぬな」


空海(くうかい)は静かにそう言い放って、

(たちばな)が火をかけようとしていたイチイの林の中の深い闇に目を凝らした。


「実は、薬子(くすこ)怨霊(おんりょう)(おん)(みかど)へ取り()き、内裏(だいり)の祭り事が(とどこお)り……」


橘刑部(たちばなぎょうぶ)は俯きかげんで話した。


「して、それと香久夜(かぐや)と何の因果(いんが)が、」

空海は呆れたように橘を見た。


香久夜(かぐや)は、御帝(おんみかど)宮上(みやあが)りの(ちょく)(したが)わぬばかりか、不老不死の妙薬を授けるなどと(たばか)り、朝廷の追っ手から身を隠し、都を呪い、我らを滅ぼさんと──」


橘刑部(たちばなぎょうぶ)罪状(ざいじょう)なのか(うら)みなのか、香久夜(かぐや)に対する思いのたけを吐き出し始めた。


「待て待て、刑部(ぎょうぶ)──」

空海(くうかい)は橘刑部の話を遮った。


「──朝廷の勅令(ちょくれい)に従わぬは、香久夜は(たけ)ゆえ仕方ないとはいえ、罪ともなろうが、その後半の呪いのくだりは、確証(かくしょう)があろうな、なくして()の者を捕縛(ほばく)せしめるは、

幾らなんでも、向こうも神通力(じんつうりき)の使い手、月の者ぞ、」


証拠(しょうこ)は、御座らぬが、我らには確信(かくしん)がござる、(しか)るにこうして、飛騨(ひだ)まで、わざわざ出向いておる」


そう胸を張る橘刑部(たちばなぎょうぶ)の目に、どこか抑鬱(よくうつ)(そう)を見出した空海(くうかい)は、多くを語らず。


「ならば、本人に聴いてみるが良かろう」


と言って、今来た方から反対側のイチイの林の中へと足を踏み入れた。

彼の目の前には、イチイの木の枝葉が()り合わされ、結ばれた結目(むすびめ)が幾つかあった。

「うん、」

空海(くうかい)はまるで挨拶でもするように、咳払いをひとつして、早口で何やらサンスクリット語の呪文らしきモノを唱えた。

「शीघ्रं कृत्वा बाधां छिनत्तु।」


その途端、幾つかの結び目がたちどころに解かれ、

たちまち、

眼前に広大な屋敷が現れた。


「香久夜に会うには、それなりの作法(さほう)がござる、そこもともよく覚えておくとよい」


空海(くうかい)は、口をあんぐり開けたまま呆然と立ち尽くす橘刑部(たちばなぎょうぶ)とその配下の者を振り返ると、ニヤリと笑った。


「ごめんください」

空海が戸口で、身も(ふた)もなく大声を出すと、


屋敷の正門の木戸がギーッと音を立てて開いた。

まもなく中から、若く美しい女性が現れた。


香久夜(かぐや)か」と(たちばな)は腰の太刀へ手をかけたが、

空海は徐に手を上げてそれを静止した。


「優子さん、お久しぶりですな」


「あら、空海様お久しぶりですー」

優子は満面の笑みで明るく手を振った。


「カヤ様はご在宅かな、」

と空海が軽い感じで言うと、


「はあ、祈祷中(きとうちゅう)というか、うふふ……」

優子は、空海へろくに説明もせず、自分でそう言いかけたところで、妙にウケていた。


「どうぞ、どうぞ、お友達も随分たくさんで来てくださったんですね」


優子は、橘刑部と配下の者たち5人ばかりと飛騨高山の(みやつこ)まで、全員を何の疑いもなく屋敷の中へと向かい入れた。


「昨日、カヤちゃんが、空海さん来るよって、妙にはしゃいでたんですけど、ずいぶん遅かったですね」

優子は屋敷の廊下で、空海へふと尋ねた。


「実はちょっと道に迷いましてな、」

空海は照れくさそうにハゲ頭を撫で回した。


「ハハハ、ご冗談を」

優子は、大声で笑い飛ばした。



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