第25話 エンジン始動。
「カフェラテ、ホット、ラージサイズで」
真西瑛が、
休憩所のコーヒーディスペンサーへそう話しかけると、小型のマニピュレーターがディスペンサー本体の背面からLサイズの紙コップをひとつ取り、注ぎ口の下へ置いた。
まもなくカフェラテが注がれると、真西は白く細い手でそれを取り、口へと運んだ。
「へー、じゃあ僕も…」
と隣でその光景を見ていた道草正宗がそう言うと、
「じゃあ、僕も…何ですか?」
とコーヒーディスペンサーが若い女性の声で返して来た。
「カフェラテのラージ、ホットで、」
と道草が付け加えると、
「お兄さんは、じゃっかん血圧が高いので、ブラックコーヒー以外はお勧めできません」
そう言ってコーヒーディスペンサーは沈黙した。
「カフェラテ、ラージ、ホットで」
道草が譲らずにそう言い続けると、
「ブラックコーヒー以外はお勧めできません」
コーヒーディスペンサーも譲らなかった。
「職員の健康維持管理もAIの福利厚生プログラムの一環ですから」
真西はそう苦笑いして、さっさと自分はテーブル席へ行ってしまった。
「何だよ、俺がカフェラテ飲みたいんだよ」
道草は構わず吠え続けた。
「勧められません」
「いいから出せ」
道草がディスペンサーの載っている台を力任せにドンと叩くと、
じょぼじょぼじょぼーっとコーヒーディスペンサーは何らかの液体をLサイズの紙コップへと注いだ。
道草は訝かしげにその紙コップを手に取り、中身を覗き込んだ。
その液体は温度こそ高いものの無色透明であった。
「白湯です」
そう言ったのち、コーヒーディスペンサーは自ら電源まで落として沈黙した。
真西瑛が、小さな口を窄めて美味しそうにカフェラテを飲んでいるのを、
道草正宗は物欲しそうな顔で、熱い白湯を啜りながら眺めていた。
「カフェラテ、美味しそうですね」
「はい、美味しいです、白湯は美味しいですか?」
「ただの熱いお湯ですよ、よ、よくわかりません」
そう言ってから、押し黙った道草は、
俺は何故、本栖湖の地下深くで白湯を啜っているんだろう…
と思いながら、只々熱いだけの白湯をすすった。
すると、
「富士山の湧き水、天然の地下水、硬度60mg/L未満の軟水です、ただのお湯ではありません、温度設定は100度未満、過度には沸かさず…」
コーヒーディスペンサーが道草の背後で、勝手にその白湯の解説を繰り広げた。
「それはそうと、宇佐木の爺さんの言っていた《モノリス》って石盤は、湖底よりも更に地下深くにあるって、それって何なんですか」
説明を続けるコーヒーディスペンサーを無視して、道草は瑛へそう質問を投げかけた。
「私が知る限り、その昔、およそ1500年ほど前、《かぐや姫》がこの地に月延という集落を作ってまだ間もないころ宇宙から飛来した隕石の一部だそうです、《かぐや姫》とは道草さんが連れ回してた《カヤちゃん》のことですが…」
と瑛が答えたが、
道草正宗はいまいち腑に落ちない様子だった。
「カヤは、《モノリス》つまり、その隕石を湖底の更に地中深くへ沈めた、なぜ?」
「さぁ、それは今となっては、本人しか知らないことです、しかし私が考えるにカヤさんは、特殊なチカラを持った隕石から月延集落やこの国の人々を守ろうとしたのではないかと……」
そんな瑛の話を聴きながら、
道草の脳裏にほんの数日前の光景が蘇っていた。
カヤが道草を守るために、ツクヨミ教団の黒い男たちへ、自ら投降しようとした時の、あの凛々しい後ろ姿。
今思えば、銃で撃たれたぐらいでは、なかなか死なないような女の子であることは判明しているが、あの時の彼女の決断に一点の迷いも無かった。
他人の命を守るためならば彼女は、
自分の命を投げ出すことも厭わない。
そして、それがカヤにとっては、恐ろしく当たり前のことなのだ。
「お主はカヤを信じて居らぬのか?」
ごくごく近くで、宇佐木徳治の声がした。
道草がその声のした方を向くと、彼の鼻先数ミリのところに徳治の顔が、こちらをジッと見つめていた。
「ジジィ、いつからここに……」
「ずっとじゃ、おお、白湯飲んどって気づかんかっんか、ワシの諜報員としての腕も鈍って居らぬと言うことじゃな……」
「勝手に俺で腕を試すな」
徳治と間近で見つめあったまま硬直している道草は、正直そんな徳治の行動を気色悪いと激しく思ってはいたものの、カヤと自分の出自について、彼に問いただしたい事が山ほどあったので、その奇怪な登場が、ちょうど良いとも感じた。
「徳治さん」
「何じゃ」
「近い……ちょっと離れてくんない」
道草がそう言うと、
徳治はちょっと照れ臭そうに道草と距離を置いて椅子に座った。
「《かぐや姫》、カヤは、いったい何者、人間?」
「知らん」
「俺が不老不死ってことはずっと生きてたわけ?……なぜ過去の記憶がないの?」
「知らん、…けどワシだって80年間生きとって色々忘れとる、千年以上も生きとる“お主ら”が、なにも覚えて居らんでも、ワシは不思議とは思わんがな、」
そう豪語した徳治の、ニコニコ笑っているその口元の前歯が、数本無いままになっているのを見て道草はなんとなく納得した。
「じゃあ、徳治さんは、何で俺が不老不死の《竹取の翁》だって知ってたの?……」
「知らん……けど、園蔵権三が、そうじゃと言ってた」
「園蔵さんってあの豪邸の主人か、その人が嘘を言ってたら?」
道草正宗の脳裏に、上野毛で見たあの大豪邸が蘇った。
とんでもない大富豪なのだろうが、その園蔵権三なる人物にさして興味は湧かなかった。
「園蔵はワシに嘘は言わん、あいつとワシとは無二の親友じゃ」
自身の胸をたたく徳治の得意気な顔を眺めながら、道草正宗は、ある重大なことを思い出した。
「あ、50万円、そうだ、俺に50万円払うって、言ったのは、徳治さん?それとも、その園蔵権三?」
道草は思わず立ち上がると徳治のシャツの襟を締め上げた。
「5、50万円って何のことじゃ?」
徳治は、急にスウィッチが入ってしまった道草をどうすることもできず、激しく動揺した。
見かねた真西瑛がズボンのポケットからスタンガンを取り出して、ビリビリっと光らせてから、一言、
「ハウス!」とだけ怒鳴って、
部屋の片隅に置きっぱなしの、猿轡の乗っかった車椅子を指差した。
道草は、途端に静かになって徳治の襟元から手を離した。
徳治は落ち着きを取り戻すと、
何やら思い出したようだった。
「そう言えば、石神が、お主の借金がどうの言っておったな……もとはと言えば、ワシがどんな手を使ってでも、お主を誘き出すよう強要したせいじゃろうな……」
「やっぱり、全部嘘だったんじゃねーか!
何が宮内庁じゃ、このブラック公務員どもがー!」
再び激昂した道草が椅子から立ち上がると、
真西瑛が咎めるような鋭い視線を道草へむけて、
「ハウス!」
と怒鳴りつけた。
道草は、再び怒りを鎮め、椅子に座り直した。
「しかし、石神が、お主が山梨入りした時点で、お主の借金は全て肩代わりして完済したとか言っておったぞ……」
「え、」
すぐさま徳治の発言の真偽を確かめるため、道草は、嫌がる真西瑛を必死で説得して、真西のスマホで自身が借金しているサラ金のアプリへアクセス。
更に道草自身のアカウントで借金残高照会を行ったのであった。
「0-ゼロ-」
道草は、思わず感涙の雄叫びを上げた。
そして、嫌がる徳治のハゲ頭に何度も何度も
接吻を施したのであった。
徳治のハゲ頭が、茹でダコよろしく真っ赤に腫れあがったのは言うまでもなく、
あまりの嬉しさに我を忘れ、道草はあろうことか、そばにいた真西瑛にも近づくと熱い抱擁を繰り返したのである。
最初は、微笑ましく、道草のテンションに付き合っていた瑛だったが、
さすがに危機感を抱いたのか、
「ハウス!」
を遂に発動してしまったのであった。
どこからともなくゴリラ顔でゴリラのような図体の鞘木職員が現れ、勝手知ったるように、数分とかからず、道草正宗を拘束衣で拘束、その口を猿轡で塞いだ。
「フン、フフフン…」
道草が、そう言うのも聞かずに
真西瑛と鞘木は、冷酷に彼を車椅子へ乗せ、縛り付けたのであった。
ちょうどその時、館内に非常サイレンが鳴り響いた。
「宇佐木室長、中央司令室までお越しください」
館内放送は、宇佐木徳治を呼んでいた。
「奴さん、遂においでなすったか…」
と言って、自前の車椅子へ座った徳治は、
鞘木の介助で高速非常用エレベーターのカゴ内へ収容された。
ついでに、真西瑛の介助で道草正宗の拘束車椅子も同じカゴへ収容された。
四人を乗せたエレベーターは可及的速やかに、
中央管制司令室、通称: 《コマンダーデッキ》へと向かった。
エレベーターが到着した場所は、とても暗く狭い部屋であった。
「現状を報告せよ」
と言う宇佐木徳治を乗せた車椅子は、鞘木によってデッキ中央にあるリフトへきっちりと輪止めされた。
「敵艦5隻が、第四モノリス海底神殿の発掘用掘削機を攻撃、第一モノリス海底神殿の防衛線へ侵入、当方の自動迎撃装置が作動しました」
ヘッドセットを着けた職員の1人が、複数のモニターを刮目しながら答えた。
「敵艦の映像を大型モニターへ…」
と徳治は、鋭い視線を眼前の巨大なモニターへと向けた。
まもなく巨大モニターには暗い湖底の映像が映しだされた。
確かに黒い船影が五つ、小さく浮かんでいた。
「ソナー」
と徳治。
「── 魚雷音感知しだい迎撃」
「了解、迎撃態勢に入ります」
「全艦迎撃態勢」
副長らしき男性が、マイクに向かって命令を伝えると、どこか遠くから伝令を復唱する声が聞こえて来た。
「敵艦一隻が、急速旋回、こちらへ向かって来ます」
と《ソナー》監視を行う女性が声を上げた。
「引きつけろ、充分に引きつけろ、」
徳治は、大型モニターをじっと睨みつけたまま、ぴくりとも動かなくなった。
モニター上では、黒い点が微かに動いている程度にしか見えない。
「奴さんも、バカじゃない、一隻では突っ込んで来まい」
そんな徳治たちの姿を、その背後から固唾を呑んで見守る真西瑛の、白衣の袂をひっぱるものがあった。
「フンフン、」
それは猿轡で口を塞がれたままの道草正宗であった。
正宗は大型モニターを指差していた。
「あれは、敵の小型潜水艇です」
瑛は周囲を気にしながら、極めて小さな声でささやいた。
「フンフン、フンフン」
と、道草。
「はい、敵に第四モノリス神殿を攻撃されました、現在、我々は迎撃準備態勢です」
と、瑛。
「フン、フンフンフン…?」
と道草は首を傾げた。
「はい、確かに、しかし敵は強大です、こちらも被害は最小限にとどめる必要があります」
瑛は、道草の率直な問いにひとつひとつ丁寧に
答えた。
「敵さん、こちらが見えているようだな……見えていないにしても、察しがいいようだ、衝突は避けられんようだ──」
徳治は、そう言ってしばらく俯くと、
「── 伊四百改、エンジン始動、全速前進」
「全速前進」
副長が復唱すると、操舵手らしき男性が操縦桿である舵を回した。
「フンフン?」
と道草は、緊張している真西瑛の横顔を恐る恐る見上げた。
「はい、この潜水艦が動き出します、戦闘態勢に入ったと言うことです」
と瑛は静かに答えた。