第23話 幻獣
マスター・キヨコ……巨漢のオカマ、占い師、霊能力者
鶴田繭子……キヨコの助手。
クリスティーナ・ヘイズ……超のつくお嬢様、科学者。
田守喜一郎……通信科学大学大学院教授、
濃霧に包まれた本栖湖湖畔のホテル敷地内の《本栖湖ドーム》
の外では、大勢の米軍関係者や自衛隊関係者がひしめき合っていた。
本栖湖湖面上空に浮かぶ《太陽》いわゆる太陽並みの放射線量を内包した高エネルギー体の膨張によって、すでに時空は分断され、時空の反転と崩壊が始まっていた。
米軍が用意した最新鋭の観測機器は磁場の急速
な変動によって使用不能となり、各機関の関係者たちはなす術もなく、皆一様に分厚いサングラスをかけて、
誕生して1週間半足らずの《太陽》をただ見つめる他なかった。
「なんかさ、80年代のさ、ELOのLIVEって感じすんね、」
クリスティーナ・ヘイズが、一様にサングラスをかけた軍人たちをキョロキョロ見回しながら、田守教授へ耳打ちした。
「う、うん……まあね」
と、田守教授は半分呆れたように返事を返した。
「タモさん、サングラスやっぱ似合うね」
クリスティーナは、田守のメガネを外してサングラスを掛けさせると大変満足気に微笑んだ。
「うん、まあね、よく言われる──」
と、田守。
「──でも、度が入ってないと何にも見えないんだよな…」
「そうなんだ、私ら白人はさ、色素が薄いせいか光に極端に弱いじゃない、サングラスが無いと何にも見えない…」
クリスティーナは田守教授の手をとってぶらぶら揺らしながら至って楽しそうであったが、
その会話の中身は、白人の色素以上に薄かった。
「で、この状況、どうすんのよ、」
と突然クリスティーナの背後から巨漢でオカマで霊能力者のキヨコが妙に殺気立って話しかけて来た。
クリスティーナとの会話中は、終始ニヤついていた田守教授も、キヨコの冬眠明けの雄グマのような形相に一瞬で真顔になった。
「だから、それをいまプロフェッサーと話し合ってたのよ……」
クリスティーナは唇をツンと尖らせてアヒル口のまま、キヨコを見つめて笑顔でそう誤魔化した。
「嘘つけコノヤロー、どうせわかんねぇんだろ───」
そして、キヨコは堰を切ったように喋り始めた。
「───あんた、いつもそうだよ、こんな大仰な施設おっ建てたかと思ったら日米両政府巻き込んでさ、国家予算使って研究するだけ研究して、わかんね〜ってなったらまたポイだろ、超がつくお嬢様だか何だか知んないけどさ、巻き込まれる方の身にもなってみなよ、こっちは東京で細々と占いしてりゃ幸せなのよ、普通に暮らしていたかったのに、こんなとこまで呼びつけやがってさ──」
キヨコの血走った目には、薄らと涙が浮かんでいた。
そんなキヨコに対してクリスティーナは冷静に言い放った。
「だって、世界の危機なんだよ、あんたが居なくちゃ──」
と、言いかけて、
「─── あんただって、細々なんて、どの口が……デカい図体して、大物の太客、いっぱい抱き込んでんじゃん政治家とかユー○ューブ成金……」
「─── まま、そうだけど、デカい図体は余計だわよ、とにかくこのままじゃ、みんな、ここにいる人たち、み〜んなが死んじゃうの、本栖湖ごと蒸発しちゃうんだよ、本当どうすんのよ」
クリスティーナは、口を尖らせたまま更にほっぺたを膨らませて、しばらく黙ってキヨコのそんな話を聴いていたが、
徐に口を開いた。
「いっぱい日本語、早口でよくわかんない」
「急に外人ぶるんじゃねーよ、コノヤロー」
「じゃ、キヨコは予知できないの、この先、どうなるか…霊視とか」
「霊視“とか”ってなんだ、“とか”って」
興奮したせいか、若干息が上がってしまったキヨコは、助手の鶴田繭子に背中を撫でられながら、凪いで穏やかな本栖湖の水平を眺めた。
ふと見ると、数キロ先、湖岸の砂浜にある仏岩(
ほとけいわ)の上に白いワンピースを着た少女の姿があった。
「あの娘よ、あの娘だけが見えない──」
キヨコは、仏岩の上の少女を指差して俄かに騒ぎ出した。
「私には見えてるけどね」
とクリスティーナは眼を細めた。
「── 違う、霊視できないってこと、多分あの娘が鍵なのよ」
そう叫んでキヨコは、急に仏岩へ向かって走り出した。
しかし、10歩も進まないうちにゴロンと地面に転がった。
「足つった……」
キヨコの断末魔にも似た悲痛な叫びが本栖湖畔に響いたが早いか、鶴田繭子が浜に打ち上げられたセイウチのようなキヨコの身体に駆け寄った。
「キヨコさん、無理ですよ、走るなんて自殺行為ですよ……」
繭子は、キヨコの広い背中の一部にしがみつくと何故かワンワンと泣き出した。
「繭ちゃん、ゴメン…」
キヨコの肉厚な掌が、か細い繭子の手を握り締めた。
キヨコは繭子に手を引かれて立ち上がろうとするが、まったく身体が動かない。
「どうしたの、キヨコさん、まさか腰?」
そう言う繭子の身体も微動だにしない。
「やだ、すんげぇ鳥肌、嫌な予感しかしない」
キヨコは地面に突っ伏したまま泣きべそをかいた。
「お嬢様がた今夜は月蝕ですぞ──」
深い霧の中から、満面の笑みを浮かべた男がヌーっと顔を出したかと思うと、音もなくキヨコの眼前スレスレまで近寄って来た。
キヨコは魚のように口をパクパクさせるばかりで、声を出すことすらできなくなっていた。
「── これより先は是が非にでも、ご静観願いたいものですなぁ」
灰色の背広を着たその男が、いま履いている革靴がイタリア製で高級ブランドのものであることは、ブランド物に疎い鶴田繭子にもわかったが、
その男の足は地表から10cmほど浮かび上がっていた。
キヨコはその男の背後で蠢く、白い霧に映った黒く巨大な影を見た。
それは四つん這いで歩く、尻尾の生えた獣。
犬か、犬しては大きすぎる。
突如として、
彼女たちの目の前に現れたその男は、断じて人間では無いとキヨコは確信するのであった。




