第21話 黄昏
本栖湖畔のホテル敷地内に設けられた通称《本栖湖ドーム》の管制室内では、米政府関係の職員らが、俄かに慌ただしく走り回っていた。
「──周波数、チャンネルを切り替えて」
「──アンテナ電源をリセットして来い──」
困惑し取り乱す職員たちの背後で、クリスティーナ・ヘイズが腕を組んで仁王立ちしていた。
「諸君、ちょっと落ち着きなさいよ──」
と言う、クリスティーナの流暢な日本語が聞き取れなかったのか理解できなかったのか、多くの職員たちは依然として、彼女の周囲を蝿のように無駄に飛び回っていた。
「──Hey! Save your breath!」
そう壊れた職員たちを怒鳴りつけたクリスティーナの、鬼のような形相を観るなり、その場にいた職員たちは皆一斉に口を押さえた。
フリーズしたモニター。
警告音を発したままランプを点滅し続けるスーパーコンピュータたち、それら機械たちの微細な操作音。
打って変わって静まり返った職員たちは、ジッと固まったままクリスティーナの動向を伺っている。
「──誰か報告せよ!」
アイリス・レーゼンビーが、彼女に変わって口火を切った。
「数分前から段階的に、本国への通信回線が遮断されていったので、横田(基地)からの回線をバイパスして通信していたのですが、今しがた横田との通信も完全に途切れました」
職員のひとりが速やかに状況を報告した。
「衛星との交信は?」
とアイリス。
「全滅です、このままでは、高エネルギー体の状態をモニターできません」
と職員。
その会話を聞いていたクリスティーナは、深く溜息をつきながら首を傾げて言った。
「貴様らボンクラどもは、私と田守教授の説明を全く、全然、理解できていなかったようだな──」
すると、更にその背後から、野太い声で
「──おい、アメリカ産のボンクラども、いつまでも“殻”に閉じ籠ってないで外に出て、自分の目で見てみな!」
アイリスが、その声の主を一目見て腰を抜かした。
その視線の先には、ピアノに被せるカバーのような漆黒のドレスに身を包んだ巨漢のオカマが、米軍備品の台車の上でセイウチのように寝そべって、わりと細い小指で鼻の穴をほじっていた。
クリスティーナもすぐにその声の主を見たが、
「何だ、お前か──」と言ったぐらいで、顔色ひとつ変えなかった。
まもなく、その向こう側の廊下で階段を駆け上がって来た職員が叫んだ。
「光線が可視化しました!──本栖湖上空の高エネルギー体が可視化してます」
「どう言う事だ⁈」
と他の職員たちも挙って部屋の外へ出ていった。
それに続くように徐に歩き出したクリスティーナを、オカマが大判のハンバーグのような手で制止した。
「なんだバケモノ、──じゃなかった、キヨコ!」
クリスティーナがそう声を上げると、アイリスが素早くキヨコへ銃を向けた。
「──ちょっと待ちなさいよ、お嬢さんがた、──アンタたちに聞きたいことがあんのよ!」
キヨコは銃にビビりながらも、険しい面持ちでクリスティーナを睨みつけた。
「何よ、── 忙しいんだから、早く言って」
クリスティーナは面倒くさそうな顔でキヨコを睨み返した。
「──あの、湖畔に突っ立ってる小娘は誰よ、とんでもない異常な気を発してるんだけど──」
キヨコは急に小声になって、クリスティーナの耳元で吸い付くように言った。
「──小結?──あんた?」
「誰が相撲とりよ失礼ね、コムスメ!──アンタさ、急に外人ぶって惚けるんじゃないわよ!──私らになんか隠してんでしょう、あの娘のこと、何か知ってんでしょう、教えなさいよ!」
そうキヨコが声を荒げると、そのムチムチの腰目掛けてアイリスが、グイグイと銃身を差し込んで来た。
「やめなさいよ、感じちゃうじゃない!──ここんとこ、ご無沙汰なんだから!」
とキヨコは腰をくねらせながら、その銃を割とアッサリかわした。
「さぁね、知らない──得意の占いで探り当ててごらんなさいよ──」
そう言うとクリスティーナは、キヨコの巨体を易々と押しのけて管制室を出て行ってしまった。
「アンタね、ホテルでの一件といい、あの変なプカプカ浮いてるピカピカといい──状況が普通じゃないじゃない!──危うく死にかけてんだよこっちは、ちゃんと説明しろ!」
キヨコの悲痛な叫びが、彼らの去った廊下中にこだました。
するとその廊下を、
鶴田繭子がのんびりと歩いてキヨコのもとへやって来た。
「やっぱ、米軍の施設だからウォシュレット付いてなかったっす──」
とヘラヘラ笑う繭子を、キヨコは少々蔑んだ目で見やった。
「オマエ、ウ◯コして来ただろ!」
「え、してないっすよ、ヤダ、臭います?」
と股間を覆い隠し狼狽える繭子に、キヨコはニヤリと微笑みかけた。
◇
濛々と立ち昇る白い霧の向こうで、2つの太陽が輝いていた。
そのうちのひとつが、赤く色を変えながら夕映えの空の中で消えてゆこうとするのに対し、もうひとつの太陽は、より一層、金色の輝きを増して行くのだった。
「なんか、不吉だな──もうすぐ夜になる、今夜は月蝕だ」
漁業組合事務所の戸口でぼんやりと空を眺めていた組合長がポツリと呟いた。
彼はタバコを咥えると、玄関近くの応接ソファへ深々と座り、卓上ライターで火を点けた。
「──ダメだ」
と橘がハンディー無線のスイッチをカチカチ押しながら舌打ちした。
「え?」
と組合長は、いまだ戸口で突っ立ったままの橘を見た。
「──さっきの津田って奴と交信がつかなくなりました」
「ふむ、ふふ──」
険しい顔の橘をよそに、組合長は半笑いで首筋を掻きながら、プカプカと煙を吐いた。
「──橘さんも座ったら、世界の終わりじゃあるまいし、一服ぐらいしたら?」
そう朗らかに言う組合長へ深く一礼して、橘はすぐに事務所を出て行った。