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第16話 不浄の泉




東京都葛飾区小菅の東京拘置所。

ここには、28年前にツクヨミ教団を率いて同時多発的なテロ事件を引き起こした元教祖“アヌマティ”こと月形翔子が収監されていた。


教団によるテロ行為を含む13件の事件、傷害致死を含む13人を殺害した首謀者として2005年に死刑判決が確定後、

その身柄は警視庁からこの東京拘置所へ移送された。

2018年7月現在まで、

死刑は執行されていない。


東京拘置所へ配属されて日が浅い刑務官の兼定倫子(かねさだりんこ)は、先輩刑務官たち数名と共に、月形翔子死刑囚の担当を任されていた。

「兼定さんは、27歳。と言う事は月形死刑囚が関わった事件の頃にはまだ生まれていないのか、」

倫子は配属後初の夜間交代勤務で、看守主任より訓示を受けていた。


「はっ、事件に関しての知識は資料により知るところが大半ではありますが、有名な死刑囚でありますので、以前から多少は存じております」

倫子は胸を張って答えた。


「宜しい、ではなぜ死刑確定後、13年間、いまだ死刑が執行されていないのかはご存知か?」


と言う看守主任の問いに、倫子は黙り込んでしまった。


「なるほど、そこまでは興味は無いようだ、宜しい、すぐに分かる…」

主任は得意気に笑って言った。


「例の交換は交代後、午前10時、午後は0時 、15時、18時、3回です…」


「了解、発狂などは?」


「0時13分から、ちょうど1時間、発狂と言うか異様な行動が見られました。詳しくは日誌をご覧ください」


「了解、お疲れ様でした」


倫子が独居房の看守室へ入ると、既に先輩看守たちが各々申し送りを行っていた。

昼間の看守たちとの引き継ぎが終わると

倫子は先輩から「準備がある」と看守室の奥へ呼ばれた。


「日勤は3食食事の後、夜勤の場合、朝方だね、オムツとか汚物処理に使う道具は此処にあるから、あと分からない事があったらその都度聞いて下さい」


「汚物処理?」


「あ、そうか……月形は、いま自分で排泄をコントロールする事が出来ない、平たく言うと“お漏らし”ね、オムツを履かせてあるけど、それでも部屋中汚して大変だから床にビニールシート敷いてあるの、その交換とか……、

昼間は別房の職員も手伝ってくれるけど、夜間は我々担当刑務官が対応するしかないから」

「はい……」

倫子は少しぎこちなく返事した。


「塀の中とは言え向こうは凶悪犯だから充分に気をつけて」

先輩看守は笑いながら肩を叩いた。


「あのう……、月形は心神耗弱状態と言う事で、死刑が延期されているのでしょうか?」

と倫子。


「まあ、確かに……心神耗弱と言うか、心神喪失と言うか……色々よ」


先輩看守は、首を傾げて面倒くさそうに言った。


「色々とは……」


倫子が言葉尻を掴むと、

先輩看守は、少々野暮ったい口調で続けた。


「最初は、1600人以上いた元信者の中に殉教者つまり後追い自殺する人が出ないようにと言う配慮もあったようだけど、最近はメディアなどの情報操作もあって、元信者の洗脳も薄れて来たのかな~って感じだし、あとは、主に公安からの捜査継続にまつわる要請ね……」


「でも、心神喪失なんですよね……」


「……そうね、上手く出来た話よね……、他行って絶対言わないでね」


と言って、先輩看守は急に小声になってしゃがみ込み、倫子の袖を引っ張ってしゃがませた。


「薬盛られたって話もあんのよ、ほら、当時から教団は得体の知れない組織と繋がってたって噂もあるじゃない、捜査撹乱のために、連中が裏で手を回したって……」


「連中?」


「警察の上層部にもコネがあるらしいわよ、怖いわよ~、刑務官長く続けたいなら口にチャックよ……」


「はあ、」


「絶対、他で言っちゃダメよ」


先輩のひそひそ話は、それで終わった。


受刑者たちの就寝時間となり、

倫子は先輩に言われ、懐中電灯片手に独居房フロアの巡回を始めた。


簡易照明だけが点々と暗い廊下を照らす中、倫子は受刑者たちの居室をひと部屋ひと部屋入念に調べた。


廊下のいちばん奥。

月形翔子死刑囚の独居房は、鉄格子で仕切られた特別隔離区域にあった。

心神耗弱状態との鑑定結果を受けてから、

月形の身柄は治療設備のある特別病室へ移されていた。


ドアのプレートに“701”と書かれていタ。月形死刑囚の居室だ。


他の居室と違って、扉は重厚なステンレス製だ。

倫子は懐中電灯で、プレートの番号を確認して、

鉄網のついたガラス窓から室内をそっと照らした。


床に布団が広げられてはいるが、本人の姿が確認出来ない。

倫子は扉横に備付られたインターホンから呼びかけた。

「月形、布団から顔を出しなさい」

居室内のスピーカーから倫子の声は確かに響いていたが、

布団はピクリとも動かない。


「月形…聴こえないのか、顔を出しなさい」

倫子は声を荒げたが、動きはない。


倫子は、無線で先輩へ報告した。


「月形が呼びかけに応じないので、入室します」


すぐに先輩の声が、倫子のイヤホンから聞こえてきた。

「人を行かせるから、誰か行くまで解錠は待て……」


「了解、誰か来るまで解錠を待ちます」


倫子は扉の前で、腕時計を見た。

時計はデジタルで、《0:13am》を表示していた。

既に日付けは13日に切り替わっていた。


闇に包まれた鉄格子の向こう、

廊下は静まりかえったままだった。

倫子の気は急いた。

先輩は「誰か行かせる」と言ったが、

一向に人の来る気配はない。

天井の簡易照明の脆弱な光が接触不良なのか、点滅し始めた。


その時である。

「う……、う……」

インターホンのスピーカーから不気味な呻き声が聞こえた。

ボタンを押さなければ、向こう音は聞こえないはずだ。

今の倫子にとっては、些細な不思議などどうでも良かった。

「薬を盛られたって話があんのよ……」

倫子の脳裏に、先ほどの先輩刑務官の言葉が蘇った。


「月形、どうした」


返事はない。


壁のスピーカーから

“ウッ、ウッ”という電気的なノイズとも取れる声。


居た堪れず倫子は再び居室内を照らした。

布団はいつの間に、めくれ上がり、人の姿はない。


「月形、布団へ戻りなさい、戻れないのか……」


やはり、返事はない。



「兼定です、緊急事態です、月形が自傷行為の恐れがあります、誰も到着してませんが入室します」


無線にも返事はない。


「こちら兼定、どなたか応答願います」


応答がない。


倫子は息を深く吸い、

扉にカードキーを差し込み、解錠した。


「月形、月形……」

と叫びながら、彼女は居室の中へ足を踏み入れた。


真っ暗な部屋の中、倫子の目線の高さに青白い物がプカプカと浮かんでいた。


倫子は、空中に浮かんだそれに懐中電灯を向けた。

青白く光を反射していたのは紙オムツだった。

筋肉が削げ落ち骨張った足が二本生えている。

それが、スーッと天井付近まで浮き上がって、ゆっくりと揺れていた。


倫子は壁にある照明のスイッチを入れた。

部屋のLED照明は、電流が流れ出しても、直ちには明るくならず、居室内の鬱蒼とした光景をゆっくりと浮き上がらせた。


そんな中で倫子は確かに目撃したのだ。


床まで垂れた髪の毛に全身を覆われた月形翔子らしき身体が宙に浮かんだまま、闇と共に消えて行くのを……。


「勝手に開けるなと言ったでしょう」


とその時、倫子の背後から声が聞こえた。





一方、ほぼ同時刻、東京都江東区豊洲にある《東京中央卸売市場》通称、豊洲市場。


「そんな、話は聞いてない……」


と口を尖らせたのは、搬入口近くの防災センターに詰めている施設警備員だった。


「……んなこと言われても、こっちは()から発注受けて来てんだ、遅くても朝4時までに作業終わらせろってハッパかけられてんすよね、早く始めないと……人が入って来ちゃったら出来ないしね、朝まで終わらないよアンタ責任取れんの?」

作業服姿の男が、防災センターの小窓の前に張り付いて場違いな大声で叫んでいる。


「いま、ちょっと施設管理の責任者に電話かけてみっから」

初老の警備員は、顔を皺くちゃに赤らめながら受話器を耳へ当てた。


「はい……、でも今晩入る業者リストに名前がないんだよね……、汚水ポンプの設置業者だって、はい……」


電話口に責任者は出たようだが、

一向に要領を得ない。

そんな警備員に、作業員は業を煮やし、受話器を渡すように手を伸ばして煽った。

警備員が「本人と、直接……」と言いかけたところで、作業員は受話器を掠め取った。

「ポンプ屋です、ポンプの増設、え、東京都、東京都の仕事、剛和ポンプ株式会社。聞いたことない?」


《剛和ポンプ(株)》と書かれた箱型トラックの後ろに、他業者の車がズラリと列を作り、その車列は公道まで張り出していた。

「おい、問題になるぞ、早くしろよ、」

車列からも、作業員たちの声が漏れ聞こえていた。


どうやら、市場側職員は、

「入場を許可する」と言ったようで、作業員が両手で大きく丸を出すと、剛和ポンプのトラックは怒りを含んだような轟音を挙げエンジンを始動した。


この年の6月に営業を開始した豊洲市場だったが、7月になっても土壌汚染関係の工事は完了しておらず、毎晩のように夜間工事車両の列が搬入口へ押し寄せた。


下請けや孫請けを含めれば、昼夜問わず天文学的な数の業者が出入りしており、業者同士の手違いか何かで入場許可証を持たない業者も少なくなかった。

夜間は、防災センターの施設警備員たちが、済し崩し的に入場管理を任され、ごく少人数で、彼らの対応に追われた。


「これで、テロ対策なんて聞いて呆れる、現場は責任取りたくない人ばかり、上は経費を安く収めることしか考えてないんだ、安全は二の次……」


剛和ポンプのトラックの運転席で、大柄

なアラブ系の男が笑った。


助手席で、日系の男もつられて笑った。


「日本の危機意識なんかそんなもんさ、

事が起こってからやっと重たい腰を上げるのがこの国の政府さ……」


「重いと言えば、イシカワ、“こいつ”どこで降ろす」


アラブ系の運転手が親指で背後の荷台を指しながら聞いた。


「ここのスロープから地下倉庫までこのまま降りられる、そこに先発隊が待ってるから、一旦下ろす、そこから作業用のエレベーターに載せて、汚水槽まで下ろす」


日系のイシカワは場内の見取図を広げながら言った。


「オーケー、このスロープね」


車が地下倉庫の搬入口へ着くと、

先に乗り込んでいた数人が、荷台を開けた。

もう1人が操る小型フォークリフトが、トラックの荷台と作業員エレベーターとを往復し大小様々な寸法の木箱を運びこんだ。

「この量だとエレベーターで三往復か……」

イシカワが腕時計を見ながら呟いた。


地下水槽(した)で全部、組んだとしても、4時には全部終わる」

と、アラブ系の男が、口を挟む。


「完全に撤収するなら、4時じゃ遅いよ」

更に、荷を運んでいる男たちの1人が会話に入ってきた。


「取り敢えず、帰りのことは考えなくていいや、地下階に仮り置きできるスペースが有るから」

イシカワが、そう笑顔で言うと、

作業員は納得した様子で作業へ戻って行った。

イシカワは押し黙り、

その男達の背中を刺すような鋭い眼光を浴びせた。


「4時じゃ、遅いよね~、そりゃ」

アラブ系の男が腹を抱えて笑った。



黒い作業服の男たちが、荷とともに作業用エレベーターで地下階へ下りて行った。それを見計らって、イシカワが小声で囁いた。

「ハサン、お前はエレベーターの前に立って、誰か来たら“故障だ”と言え、煩いこと言われたら良い具合に傷めつけてもいいや、面倒だから殺すな」


「うん、わかった……」

アラブ系のハサンは薄ら笑いを浮かべた。「どっちにしても、逃げなきゃ死ぬけど……」


「召喚が終わったら無線で知らせる、お前は誰も待たなくていい……さっさと逃げろ」


「うん、OK」とハサン。



ハサンと別れたイシカワは、

エレベーターで作業員達が作業する地下階へ向かった。


豊洲市場最下層には、汚染された地下水をポンプで汲み上げて浄化するための浄化槽として巨大な貯水池が幾つも設けられていた。

言わば、地下水浄化用の浄水場だ。


イシカワがそこへ着いた頃には、

既に作業員達は、その浄化槽ひとつの周囲を取り囲むように、何やら機械の部品をせっせと組み立ていた。


イシカワは、浄化槽の縁の足場を音をたてながら歩いて廻った。


「イシカワさん、図面通りの設置だとこうなるんだけども……大丈夫?」

機械を組み上げた1人が、向きを確認した。

「銃口をもっと下げ気味で、水面に近いところで……」

とイシカワ。


「了解、銃口ね」


と1人が鼻で笑うと、作業員たちは次々に口走った。


「本当、カタチがピストルみてぇだもんだ」


「あれさ、ガン◯ムの ビーム砲さ……」


「ちげぇーねぇな」


その会話を静聴していたイシカワはムッとして苦言を呈した


「新型の水質観測装置だから、無駄口叩いてないで、さっさと組み終わってくれないと、次の作業いけないからね」


「はーい」

野太い男たちの声がユニゾンで重なった。


それから、約1時間後、

地下高圧線から引き込まれた分電盤から伸びる4本のキャプタイヤが、

浄化槽を囲んで、対角線状に設置された4基のレーザーキャノン砲(イシカワ曰く観測機)へと繋がれた。

通常の銃であれば、安全装置に相当するあたりに金属製のタンブラスウィッチが設けられていた。


「では、貯水槽の中央部分で、光線が交差するようなイメージで」

と言いながら、イシカワがタンブラスウィッチを“ON”へ入れると、観測機の銃口付近のスコープから赤外線の赤い光線が照射された。


作業員たちは其々の地点の観測機のスウィッチも入れ、赤外線ポインターを照射した。


イシカワは腕時計を見た。

時刻は《0:58am》


「では、予定通り2分後に……観測機を作動させる」

イシカワがそう言うと、


「やっと引き金引くんすよね」

と作業員のひとりが言った。


「予定通りね」

イシカワは念を押した。


観測機4基から発せられた赤外線ポインターは、大型貯水槽の中央で平行に交わっている。


「……では、5秒前、4、3、2、1、照射」

4基に取り憑いたイシカワら4名は、

一斉に引金を引いた。


間も無く各々の銃口から眩いばかりの青白い閃光が発射された。

その閃光は赤外線に沿って平行に貯水槽水面上のある1点で交わって、空間を大きく歪めた。


「イシカワさん、こりゃどう言うことだ、熱い…熱い…」


「助けてくれ!」


作業員たちが、自ら設置した装置が本当にビームキャノン砲であった事に気がついた時には、

既にキャノン砲の傍らにイシカワの姿は無かった。


その眩い閃光の中で、見る見るうちに空間の歪みは拡大していった。

作業員3名は、逃げ出す暇もなく次々と拡散する光の中へ吸い込まれていった。

彼らの身体は一瞬で蒸発し塵と消えた。


イシカワはと言うと、巨大なコンクリートの支柱の陰で、溶接用の面を顔に装着して、時空の歪みの中心部へ目を凝らしていた。


「美しい……アマヌティ、お出ましください!」

イシカワは、面の中でほくそ笑んだ。


アマヌティとは、月形翔子のことである。

イシカワは、月形が小菅の拘置所から

時空の歪みに開いたワームホールを移動して、豊洲までやって来ると信じていた。

しかし、そこに現れた者は月形ではなかった。


「貴様は何者だ」


巨大な人影が、輝きの全て飲み干すように、時空の歪みを瞬く間に収束させた。


「どこの誰方か、存じませんが……勝手に時空を歪めてはいけませんよ……神の許可なしに……」


その声は、イシカワの頭の中へ直接語りかけた。


「違う、今さら契約を違える気か……アマヌティは何処だ、何処へやった」


イシカワは溶接用の面を投げ捨てて、自分の目で、巨大な人影を見つめた。


「あの、小便臭い女なら……話にならないので、時空の狭間に捨てて来ましたよ」


「なんてことをしてくれた、彼女は月夜の巫女だぞ!」


イシカワが涙を流して叫ぶと、巨大な人影はまるで彼を嘲笑かのように揺らいだ。


「話には聞いていましたが、この世界の人間は、本当に無知で愚かなのですね見識が浅はかなのも、その未熟さ故か、ただ………」


イシカワの身体がフワリと宙へ浮き上がった。


「不愉快です……偽りの巫女を崇拝し、本当の神を冒涜するとは……そんな人類ならば滅ぼしてしまいましょうか……」


イシカワの身体は、闇よりも深い漆黒の陰翳に、至る所をジワジワと侵食されながら、巨大な人影の一部となって消えた。


その直後のことだ。

再びあの眩いばかりの閃光が熾り、

豊洲市場のおよそ3分の1が跡形も無く消えた。


つづく

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