2Q24 ~フリーター~ 「最終編」
2Q24 ~フリーター~ 「最終編」
一、25歳 春
二、25歳 秋
三、「タリキ」と呼ぶ感覚
四、「タリキ」がなせる業(行為)
五、白い手をした女との出会い
一、25歳 春
ジーンズの破れた隙間からひんやりとした空気を感じる。
2Q24年3月23日。桜のつぼみが膨らみかけ、桜並木がほんのりピンク色に染まろうとしている。
亀の鳥居を抜け、亀の池へと向かう。無数の亀が重なりながら、岩から落ちないようにまったく動かない。ただ、ひとだび人影や物音に驚き、水面へと逃げる様は、イメージとは真逆の躍動感があり、いつもそれには驚かされる。六時堂を左手に、五重塔を右手に見ながら、先へと進む。五智光院の奥にあるのが本坊庭園だ。俺は四天王寺極楽浄土の庭(本坊庭園)にいた。
大学を卒業してから、もう3年が過ぎようとしている。定職につけず、ただ毎日をやり過ごす生活がもう3年も続けていた。
最近よくこの場所にやってくる。極楽浄土という響きがいいのか、俺の心が安らぎを求めているのか、それとも、四苦や八苦を取り除きたいと無意識に感じているのか・・・自然と足が向く。庭園のアーチ状にかけられた橋の上に立ち、一人物思いにふける。
「なぜ俺はこんな生活をしているのか?」
「あのレースで、あの勝負に負けたからなのか?」
「13歳の夏の過ちのツケがまだ残っているのか?」
「それとも、俺をこんな風にさせる、姿の見えない存在の仕業なのか?」
橋の上にたたずみ思いにふけるこの瞬間は、ゆっくりと時が流れる。風の存在を耳と肌で感じ、桜の微かな香りは目と鼻で感じた。濃い緑色をした水面には、三輪の花びらが浮かび、そのコントラストが印象的だった。石橋に置いた手の冷たい感触は、俺が生きていることを証明してくれている。この時ばかりは、アンティークジッポもセッタも必要なかった。安らかな瞬間だった。
亀の池の前では、俺とよく似た部類の男たちが、亀を暇そうに眺めている。もう人生の終末を悟ったような連中だ。髪は汚れチリチリに固まり異臭を放っている。いかにも不潔そうな袋の中には、何時のものかわからないアンパンと新聞紙が入れられていた。
「あんな風にはなりたくない」と心のどこかで叫ぶ自分も居るが、俺の手にぶら下がったコンビニの袋の中には、食べかけのアンパンが同じように入っていた。
そんな連中の脇を、灰色のビニール製の学生かばんを持った女子高生たちが、足早に通り過ぎる。その女たちは、別の世界の生き物のように、訳のわからないしゃべり方をしている。しきりに左手を動かしメールを打ちながら歩く姿は、俺には滑稽でたまらない。見なければならない終末の姿に、一向に気づこうともせず無関心で通り過ぎていく。
「変な風景だ・・・似つかわしくない風景だ、数千年前に立てられた建造物、万年も生きるといわれる亀、今を生きる女子高生、終末を悟ったホームレス。そしてそれらを不思議な感覚で見ている俺。同じ時代に生きているとはどうしても思えない。」
そう独り言を言った。
二、25歳 秋
今日も背中が痛む。それには理由があった。
2階の作業所に着くと、顔なじみたちは作業を始めようとしていた。目の前にあるベルトコンベアも動こうとしている。急いで、いつもの位置に着き、開始のベルが鳴るのを待つ。5m先のトンネルから、ベルトに刺された3本指のフォークが俺に迫ってくる。このフォークの3本指に携帯電話の部品を取り付けるのが、俺の仕事だ。同じ姿勢で、同じ作業を何時間も繰り返す。次から次へとフォークが俺の前を通り過ぎ、次のトンネルに消えていく。
薄い水色の作業服にズボン、髪の毛を落とさないように紙製のメッシュの帽子をかぶる。手には、オペのときに使うようなゴム製の手袋をつけ、マスクも着けていた。
苦痛は30分もすれば、必ずやって来た。腰からバランス悪く曲げられた上半身、そこから同じ高さへと伸ばされる腕、その腕の重さを支える背中の筋肉。その筋肉が、30分もすれば悲鳴を上げだすのだ。
「お前は、機械だ。同じことを繰り返す機械だ。」「鈍い、遅れるな。」そう叫んでいる様だ。
その叫びと苦痛に耐えながら、何時間も同じ作業を繰り返す。機械に俺の体と魂を操られているように。
乗っ取られた魂は、喜びや感動、そして刺激をも感じることが出来なくなっていた。この場所には、15の時に味わった後悔や悔しさもなかった。何もない無力感だけの世界が、ここに広がっていた。
三、タリキと呼ぶ感覚
不思議な感覚を俺は感じることがある。誰かに、いや何かに俺が動かされているような感覚だ。
その不思議な感覚をいつも感じるわけではなかったが、気がつくとその感覚に支配されていると言う感じがいつもしていた。
四天王寺の坊さんが、こんなことを言っていた。
「この世には、仏様や菩薩様が人々に働きかけ、力を下さっています。あることを成し遂げても、それは自己に備わった能力、すなわち『自力』で行ったものではなく、仏様や菩薩様が下さった力によって成し遂げられたものなのです。この力を仏教では『他力』と呼んでいます。そして、すなわち、この『他力』がこの自己の行為(業)を全て支配しているのです。」と。
俺は、この坊さんの説教を聴いてしっくり来るものがあった。俺の感じる不思議な感覚は、まさにこの坊さんの言う「他力」なのではないかと。
13の荒れていた時もそうだった。15の時、あのレースで何もかも無くした時もそうだった。姿かたちのない不思議な感覚が俺を支配し、良くも悪くも俺を動かせていたように思えた。それから俺は、この感覚を「タリキ」と呼んでいる。
四、「タリキ」がなせる業(行為)
俺がここにいて、ここに生き、「タリキ」という感覚を感じているのも、「タリキ」がなせる業なのか?
人は生まれると同時に、死を意識しながら生きていくといわれている。産声は、その死を意識する苦しみと悲しみの叫びであるという者もいる。
どの国に生まれ、誰の子に生まれ、死に向かいながら、どのような人生を送ることも知らされずに、誰もが、生まれてきた。そして、俺もその一人だ。
俺の回りにいる大人たちはこう言い続けた。
「努力をすれば必ず報われ、立派な大人になれる。名門高校や一流大学に入り、将来を約束された官僚などと呼ばれる職にも就ける。そして、幸せな家庭を持ち、安全で豊かな暮らしが出来る。」と。
そう言われたことは嘘なのか?そう信じていた俺が馬鹿だったのか?俺の努力が報われなかっただけなのか?努力が足りなかったせいか?それとも、「タリキ」が大人たちにそう言わせ、俺を支配しようとしたからなのか?
権力を振りかざし自分の理想を貫き通そうとする政治家、資本主義の何たるかも判らず金の虜になってしまった実業家、生きる力の教育を追い求めず黒板の前でただ講義をする教師、公園で子どもたちを遊ばせ時間つぶしをする若い母親、四天王寺で見た女子高生やホームレスの親父たち。俺と同じように、この世の中のすべての人が、不思議な感覚=「タリキ」を感じて生きているのだろうか。この「タリキ」が、すべての人を支配しているのだろうか。そんな疑問が頭を過ぎる。もし、そうならば「タリキ」は、この世で一番残酷で醜いもののように思えてくる。俺のこの抑えられない感情は、異常なのか。
「なんて不公平な人生なのだ。」
五、白い手をした女との出会い
クリスマスツリーにはサンタが飾られ、大阪ステーションシティには恋人たちが溢れていた。イルミネーションの光が、その恋人たちを輝かせる。
俺は、その雑踏の中にいる。
2Q24年12月24日、もう今年も終わろうとしている。師走という響きを最近聞かなくなった。季節感がどんどんなくなり、この時代に生きる者たちは、昼と夜の区別も出来なくなってきている。
俺が幼い頃、三つか四つだった頃、この「キタ」という街に来たことがある。微かな記憶だ。親父とお袋に手を引かれ、サンタの飾られたデパートで初めてお子様ランチを食べた記憶だ。親父やお袋の椅子より高く作られた子ども用の椅子に座り、紙のエプロンを首からぶら下げられた。王子様を気取って、ワクワクしながらランチの登場を待った。プレートにのせられたハンバーグ、山の形をした白いご飯、その上に刺された国旗の楊枝。俺はハンバーグとその横に添えられたキャチャップ味のパスタを残さず食べた。
この街に、親父が以前勤めていた会社があるらしい。教師へ転職する前に勤めていた会社だ。親父にとって、この北の街はいい思い出があまりないらしい。そんなことを後から聞いたことがある。
大阪ステーションシティから新御堂を横切り、太融寺町に向かった。
ほろ酔い気分のサラリーマンたちが、ふらふらと雑居ビルに消えていく。ピンク色に着飾ったお姉さんが、親父たちの肘を取りホテルへ入っていこうとする。太融寺には、キャバクラもヘルスも、イメクラやソープもあった。男たちの欲望を満たしてくれるピンクの街だ。
人間くさい太融寺が、俺は好きだった。忘れ去られようとする情が、そこにはあった。
情を求め、快楽を求め彷徨う親父たちに目を向けていると、突然、女に声をかけられた。
「お兄さん、お一人ですか?」
「えっ?」
俺が彷徨う親父と同じように見えたのか、それとも何かを求めているように見えたのか、女は突然声をかけてきた。
「一人だけど・・・」
整えられた眉と二重の瞳、薄く塗られたチークが女らしさを引き立てている。瑞々しい唇は、若さを演出し、ショートカットで、右に二つと左に一つのピアスの跡がある。きれいなS字を首から腰に描き、うっすら映るブラの線はその体の一部のようだ。少し長めのスカートをはき、そのスリットから見えるストッキングは、夜の女をイメージさせない、自分に金を投資する女が履くそれだった。白く透き通った長い指には、上品なネイルが施されている。どこかお袋の若い頃をイメージさせる女だった。
「突然声をかけちゃってびっくりされたでしょ。ごめんなさいね。」
「いや・・・別に・・・」
「お兄さんが、目の前を通ったとき不思議な感覚がしたの・・・私。」
「不思議な感覚?」
とその女の顔をまじまじと見ながらそう聞きかえした。
「そう。不思議な感覚よ。私の意志とは関係のないところで、あなたに声をかけてしまう、そんな不思議な感覚よ。」
「あなたに声をかけなさいと、誰かに言われた訳じゃないんだけど・・・そうすることが、すごく自然で当たり前というか・・・」
「・・・」その女の話は、俺に何かのヒントを与えているようで、ただ黙って聞いていた。
「そして、私に声をかけられることを、あなたが長い間待っていたような気がして・・・」
「あなたは、誰かに声をかけられたいと望んでいなかった?」
「・・・そう言われれば・・・」
俺は、声に出来たかわからないぐらいのトーンで答えていた。
「あなた、どうして赤ちゃんが産声をあげるか知ってる?」
「聞いたことがある・・・」と心の中で答える。
「人間は、生と病と老いと死を持ち合わせて、この世に生まれてくるのよ、だから、その苦痛と悲しみに耐えられなくて赤ちゃんは泣くんだって。」
「どこかで聞いたことのある話だ・・・」また、そう心の中で答えた。
「私って変ね?初めて会った人にこんな話をしてるんだもの・・・でもね、不思議な感覚が私をそうさているの。・・・あなた、この感覚ってわかる?」
「わっ、わかるよ」
俺は、はっきりと言い切った。その女に、はっきり聞こえる声でそう言い切った。
「実は、俺・・・ずっと、その不思議な感覚に悩まされてきたんだ。ガキの頃から今までずっと・・・」
「その不思議な感覚が何であるのか突き止めたくて・・・もしかして、それを知っているのか?」
俺の両手が女の肩を握り、その女が答えを知っていると確信したように、矢継ぎ早に尋ねていた。
「答えかどうかは・・・わからないけど」
「よかったら、一緒に確かめに行かない?」
うつむきながら女が誘ってきた。
「わかった。行くよ。俺、一緒に行くよ。」
そう答えると、
女は俺の手をつかみ、足早にその場を立ち去りながらタクシーを止めた。
二人がタクシーに乗る。
女は、行き先をなぜか告げなかった。
タクシーは行き先がわかっていたかのように発進した。
何時しか、高層ビルやネオンの明かりが見えなくなり、町の明かりが点々と見えてきた。その明かりの中を通り抜け、電燈の光だけが等間隔に一直線に繋がる風景に代わっていった。
西に向かっているような気がした。女は一言も話さない。俺も一言も話しかけない。沈黙の時間が、ただ二人を包んだが、不安はなかった。不思議な感覚の答えが必ずそこにあると、期待する気持ちで満たされていた。
電燈の光が等間隔に一直線に繋がる風景から、タクシーのヘッドライトだけが光る世界に変わっていた。
おおむろに、ドライバーがゆっくりとブレーキをかけ車を止めた。
「お客さん、着きましたよ。」
「ここが、三瀬橋です。」
そうドライバーは二人に告げた。
「お兄さん、行きましょう。運転手さんここまでありがとう、あとは私がこの人を案内するわ・・・」
そう、女がドライバーに声をかけ、俺の手を握りながら吊橋の端まで連れて行った。
「ここからは、私が案内役よ・・・」
「お兄さん、この吊橋を渡ればその先に答えがあるはずよ。一緒にいきましょう。怖がらなくていいわよ」
「・・・」声が出なかった。ただ、俺の手の微かな震えが、女の手に伝わっていた。
「じゃあ、行くわよ」
二人が吊橋に足をかけ、一歩を踏み出したときゆっくりと吊橋が横に揺れた。
それからの記憶は、俺にはなかった。
2Q24 ~フリーター~ 前編 後編 最終編が完結しました。最後まで読んでいただきありがとうございました。
さて、この物語は、2Q24年に主人公のこうへいが、白い手の女が案内人となり死の世界へと導かれていく物語です。
死へと向かうこうへいの色々な経験を通して、現在の社会に対する作者の思いや批判、そして仏教の世界で言われる「他力」にも少し触れながら、生と死の問題を考えようとしています。
前編では、こうへいが青い光(死を予感する象徴)を感じ、自分の姿や意識がなくなるまでの奇妙な経験を描いています。まるで夢をみているかのようにストーリーは進んでいきます。
続編は、こうへいの生い立ちと前編で死の世界の入り口になった「リバーサイド」。パチンコ店の長い通路が白から青に変わると、その通路が三途の川であることを意味していたことがわかります。
最終編は、死を迎えるようとするこうへいが、その生き方や考え方を問い直したり、死の世界の案内人の女と、どのようにして出会ったのかが明らかにされています。
前編を現在と考え、続編は過去、そして最終編は直近の過去を表し、全体の構成が展開とされています。