婚約破棄を夢見る令嬢。マッチポンプにざまぁを添えて
フランカ王国の貴族であるドルレアン家に生まれた伯爵令嬢の幼いカレンは、毎晩絵本の読み聞かせを楽しみにしていた。
今日も母の手を取って寝室に入ると、天蓋付きの豪華なベッドに飛び乗って布団をかぶる。母を見るその瞳はキラキラと輝いていた。
「今日はどんなご本を読んでくれるの?」
「うふふ、カレンは本当に読書が好きなのね」
「うん! だーい好き。特に悪役令嬢が婚約破棄される話が好き!」
「あらあら、この調子だとすぐに読む本が尽きてしまうわね。また今度、イースト諸島から仕入れなくてはね」
幼少期から、このような不思議な本を読み聞かされたカレンは歪んだ夢を抱いていた。
(将来、絶対に婚約破棄されて、ざまぁしてやるんだから!)
「うふふ、また何か悪いこと考えてる」
「そ、そんなことないよ!」
「だって、カレンってば何か悪戯する時はいつも上を見上げる癖があるんだから」
まるで心の中を読まれたみたいで、カレンは気まずくなり視線を逸らして布団に顔をうずめた。
そうして、また夜が更けていく。
偶然にも翌日に、第一王子のクロード・フランカとの婚約が正式に発表されることになる。
かくして、運命の歯車は動き出したのであった。
〇〇〇
王立フランカ学園。
貴族のみが通うことを許された、権威ある学園で事件が起きようとしていた。
「男爵令嬢の癖に人の婚約者に色目を使うなんて、一体どういうつもりなの!」
そう、金切り声で叫ぶのは伯爵令嬢のカレン・ドルレアン。
ピンクのアホ毛に大きな丸い瞳。チンチクリンな背丈も相まってチワワのようにクラスメイトから可愛がられている。ただ、伯爵令嬢としての威厳は全くない。
「あら、別にそんなつもりはなくてよ? あなたが婚約者にかまってもらえないからって、八つ当たりはやめてもらえるかしら」
そんなカレンに悪びれもなく受け答えするのは男爵令嬢のパステル・シュビドー。
ブロンドの巻きロールに切れ長の瞳。男子に劣らぬ身長と栄養の行き届いた豊かな胸。そして、ピッチリとした健康的な太もも。女としての格差は一目瞭然であった。
「ううう……ひどい……」
涙を湛えてパステルを見上げるカレンの姿は、まるで雨に降られて震える子犬のようだった。
「おい! お前ら何をしている」
ドスの効いた声で間に入ったのは、一人の男子生徒。
短く切りそろえられたレッドヘアーに、ジャガイモのような顔。歩くたびに揺れる大きなお腹から、裕福な家柄がうかがえる。まさに彼こそがカレンの婚約者であるクロード・フランカ第一王子その人であった。
「あら、クロード殿下。本日もご機嫌麗しゅうございます」
パステルは純白のスカートの端を両手でわずかに上げ、深く頭を下げる。
その拍子に揺れた胸にクロードの目は釘付けられていた。
「う、うむ。なかなか礼儀作法がなっておるようではないか。男爵令嬢とは思えぬほどだ」
「うふふ、もったいないお言葉です」
位が低いながらも、どこか学生離れした雰囲気。これが、パステルが周囲から一目置かれている理由である。
「聞いてよクロード。この女が……」
子供のような高い声を上げてパステルを指さすカレンにクロードが舌打ちをする。
「またお前か。少しはパステル嬢を見習え。まったく、問題ばかり起こしやがって、なぜこんな女が俺の婚約者なんだか」
「ひどい、ひどい、ひっどーい! クロードは私の味方してくれないの?」
「まずその子供っぽい話し方をやめろ。貴族ならパステル嬢のように上品になれ」
「ふふっ、クロード殿下。もういいじゃありませんか。それよりも早くランチに行きましょう?」
婚約者の前でクロードの腕をとるパステル。
その大きな胸を押し付けるように体を預ける妍麗な彼女にクロードはたじたじであった。
「で、ではな、カレン。俺はパステル嬢とランチに行ってくる」
「……そんな、今日こそは一緒にと思ってお弁当作ってきたのに」
大理石の床に座り込んで涙を流すカレン。
そこに、手を差し伸べる男子生徒がいた。
「大丈夫?」
「ぐす……。ありがとう」
潤む瞳で手を取り立ち上がる。
彼は一つ下の学年の第二王子、アラン・フランカ。
肩まで伸ばしたレッドヘアーに、意志の強い瞳。そして、均整のとれた容姿。兄のクロードと違い、シュッとした体つきをしている。
「婚約者をほっといて別の女性とランチに行くとは。女好きの兄には困ったものだ」
「私って魅力ないのかな……」
カレンは自分の体を見下ろして、貧相な胸に手をやりため息をつく。
その瞳からは涙の雫が零れ落ちた。
「そんなことはない! 兄の婚約者じゃなかったら僕が……」
何かを言いかけて、慌てて口をつぐむアランの耳たぶは、リンゴのようだった。
「あっ、い、いや……そうだ、よかったら代わりに僕とランチに行きませんか?」
その様子をキョトンと見つめていたカレンは満面の笑みを浮かべてこう言った。
「喜んで!」
〇〇〇
王立フランカ学園には敷地内に複数の飲食店が存在している。
その一つ、湖の近くにある緑豊かなテラス席で二人の男女が座っていた。
「んー! ここのフランカパン最高!」
カレンの口にはリスのようにいっぱいのパンが詰め込まれている。
上品さの欠片もないその姿にアランは頬を緩ませた。
「あはは、ゆっくり食べなよ。料理は逃げないんだから」
花びらの絵柄が描かれたティーカップに口をつけながら、柔らかな視線を投げかける。
鳥のさえずりが、左右に立つ木々から歌を奏で、湖の波が涼しい風を運ぶ。
そんな穏やかな空間が二人の間に流れていた。
「でも、クロードは私から逃げて行っちゃったわ」
「そ、それは……」
アランは先ほどの件を思い出して気まずい顔を浮かべる。
しかし、自分の話を聞いてくれるアランにカレンの愚痴は止まらない。
「でも、婚約者がいると知りながら、あんな露骨にアピールするなんておかしいよね」
よほど腹に据えかねたのか、ケーキスタンドに置いてあるパンを次々口に入れていく。
「兄と婚約できれば、王族の仲間入り。パステル嬢もそれを狙ってのことなんでしょう。昔からよくあることだと聞いている」
「それなら、アランもいろんな子に迫られてるの?」
「まぁね。でも、全て断っているよ」
「あれ、確かアランって婚約者とかいなかったよね? 誰かと付き合っちゃえばいいのに」
カレンはショートケーキに乗ったイチゴにフォークを刺して口に入れる。
それを口の中で転がすと、甘酸っぱい味が広がった。
「僕には好きな人がいるからね。絶対に叶うことのない恋。思いを伝えることも許されない相手」
憂い顔で寂しい笑みを浮かべるアランにカレンは背伸びをする。
「アランって一途なんだね」
「貴族社会じゃそれは誉め言葉にはならないよ。多かれ少なかれ皆、家の事情で動いている。この学園は小さな政治の舞台だ」
ペロリと唇を舐めたカレンは、事有り顔で記憶をたどるように空を見上げる。
その瞳は青い空を映していた。
「どうしたの?」
「この前、うちのパパがお客さんと話していた内容を思い出しているの」
邪魔しないようにとアランは黙って紅茶を飲んでいると、
「隣国を武力で落とせないなら、その国の王を落とせばいい」
抑揚のない声にアランの背筋が凍った。
聡明な頭脳が一つの結論を結びつける。
「まさか……パステルが他国の間者だとでもいうのか」
「私ってひどい人だよね……クロードが愛してくれないからって、彼と仲良くしている子をそんな風に考えるなんて」
瞳に涙をためて、顔を歪めるカレンにアランはハンカチを差し伸べた。
「いや、確かにパステルには怪しいところがある。男爵令嬢だとは思えないほど貴族マナーが身についていたり。生まれは隣国のドイナ帝国であるにも関わらず、最近になってフランカ王国に多額の寄付をしたことによって男爵を授かられた新興貴族でもある」
真剣な顔で考え込むアラン。
そこに、寂しさが乗った湿っぽい声が割り込んだ。
「仮に事実だとしたら、クロードの地位も危ないよね。他国の間者と関わっているとなると、父も私との婚約を取り消すだろうし。でもそうなると、私は独りぼっちになっちゃうね……」
カレンはティーカップに入った紅茶を覗き込むように頭を下げる。
まるで表情を隠すように。
「すまない。急用を思い出した。このお詫びはまた後で」
ガタンッと立ち上がったアランは、急ぎ足で立ち去る。
一人テラスに残されたカレンは足を組み、優雅にティーカップを口に運んだのだった。
〇〇〇
それから一か月後、学園で大きなダンスパーティーが開催されていた。
王侯貴族も集まるこの場には、国王ルイ・フランカも参加している。
そんな場で赤いドレスを着たカレンは一人会場の隅で壁の花になっていた。
(クロードの姿が見えない……)
カレンは第一王子の婚約者。まして、ダンスパーティーともなれば不用意に近づけば、不敬と言われても文句は言えない。第二王子のアランも遠くから様子を見ている中では、誰も近づこうとはしない。そういう事情も相まって、カレンは余計に孤立していた。
玲瓏な明かりが照らす中、会場に入ってきた二組の男女に周囲から歓声が上がる。
男は短く切りそろえたレッドヘアーにジャガイモのような顔。歩くたびに揺れる大きなお腹。第一王子のクロード・フランカ。女のほうはブロンドの巻きロールに栄養の行き届いた豊かな胸。そして、ピッチリとした健康的な太ももを見せつけるようなスリットの入った白いドレスを着たパステルだった。
二人が会場の真ん中に来た辺りで立ち止まり、クロードが大きな声を出した。
「カレン! 今ここで話したいことがある」
近くにいた令嬢達がクロードの視線を追うと、まるで潮が引いたようにカレンとクロードの間に道ができた。
好奇の視線でできたルーフをくぐるようにカレンは歩き出す。
ピンクのアホ毛はピンと立ち、真っ直ぐクロードの瞳を見つめる姿は凛としていた。
「あら、クロード殿下の婚約者であるカレンじゃないですか。いや、元婚約者とおっしゃったほうが適切でしたわね」
パステルはクロードの腕に抱きつきながらカレンを嘲笑する。
「元? どういうことかな?」
「ふふっ、こんな状況でも相変わらず鈍感ですのね。クロード殿下、あなたの口から言ってくれまして?」
「はぁ、これだからお前は王妃に相応しくないんだ」
クロードの冷たい視線がカレンに突き刺さり、ビクリと小さな体を震わせる。
「いいかよく聞け! この時を持って、フランカ王国第一王子、クロード・フランカの名のもとにカレン・ドルレアン嬢との婚約を破棄する!」
場内に響き渡るクロードの声に、周囲にいる令嬢たちのざわめきが最高潮に達した。
カレンはただ下を向き両手を固く握りしめる。
いつの間にか隣に立っていたアランが、カレンの背中をポンと優しく叩きクロードを睨みつけた。
「兄上。それが、あなたの答えですか」
「あ? なんだ、アランじゃないか。俺がパステル嬢と婚約するのがそんなに不服か?」
下卑た笑みをアランにぶつけながら、クロードが続ける。
「お前、ここ最近パステルのストーカーをしていたらしいな。悪いがこの女に触れていいのは俺だけだ」
公衆の場で、自分のモノだとアピールするようにパステルの腰を引き寄せた。
パステルの豊かな胸を舐め回すような嫌らしい視線を向ける。
「いやん、クロード殿下。皆様から見られてます」
「かまわん、かまわん。お前が誰にも取られないように、誰の女なのか知らしめなければな」
「失望したぞ! クロード!」
割って入ったのは、白髭を蓄えた老人。現国王ルイ・フランカ。
地響きするような怒声に、その場は一斉に静まり返る。
「ち、父上……。事後承諾とはいえ、パステルは優れた女性であり、このチンチクリンよりも王妃に相応しいかと……」
ルイ国王の鋭い視線を浴びるパステルは顔面蒼白になっていた。
「この馬鹿息子が!」
「ひっ!」
「お前の隣にいる男爵令嬢パステル・シュビドーは隣国ドイナ帝国の間者じゃ!」
「っ!?」
その宣言を聞き、パステルは身をひるがえして走り出すが、会場に入ってきた衛兵に取り押さえられた。
「まんまと敵に罠にはまりよって、クロードよ。お前にはこの国を統治する資格はない! 王位継承権をはく奪し、第二王子のアランに引き継がせる」
「そ、そんな……」
両手を床に付き、犬のように崩れ落ちたクロードにカレンは近づいた。
「カレン……今まで悪かった。二人で田舎に引っ越して静かに暮らそうじゃないか」
「何を言っているの? 私はクロードとは一緒に行かないよ」
「お、お前は俺の婚約者だろ!?」
目を真っ赤にして怒鳴るクロードに対してアレンがカレンを庇うように前に出る。
カレンはその腕に抱きついて、妖艶に微笑んだ。
「嘘だ……嘘だああああああああああ」
「うふふ、クロード様。ざまぁでございます」
幼き日の夢が叶い、子供のような無邪気な笑みを浮かべるカレンであった。
後日、隣国であるドイナ帝国の王女宛に元婚約者クロードの浮気癖について愚痴を書いた手紙を送っていたことがばれて、カレンは大目玉を食らうことになったのである。




