第五話
ヴァル=ディグナと融合してから、数ヶ月。
俺の生活は、奇妙な二重生活となっていた。
昼間は進学校の教室で退屈な授業をこなし、夜は「力」の制御訓練。
その合間に、時折、隣の朝倉家で陽菜相手に家庭教師をしている。
原作にはない展開。
どうしてこうなったのか。
陽菜の家は母子家庭であり、陽菜の母、洋子さんは看護師をしている関係で、生活が不規則だった。
俺は、陽菜のことが心配で、ちょくちょく隣の家に差し入れ持って行ったり、母さんに頼んで、洋子さんが帰ってくるまでの間、陽菜を家で面倒見たりしていた。
交流していく中で、洋子さんからの信頼も得て、今に至る。
俺が県下で一番の進学校に通っていることも、洋子さんの心象を良くした要因の一つだろう。
単に、前世の記憶があるので勉強面で同世代より抜きん出ているのに過ぎないが。
そんなこんなで、陽菜からも懐かれるようになった。
「蒼真お兄ちゃん! ここ、割り算の筆算がどうしても合わないの……」
リビングのテーブルで、陽菜が算数のプリントを前に頭を抱えている。
十歳の陽菜。小学四年生の彼女にとって、今の最大の敵は桁の多い割り算だった。
「どれ……あー、陽菜、ここ。引く数を間違えてる。ほら、ここを直してみろ」
「あ、本当だ……えへへ、お兄ちゃん、よく気づくね」
照れくさそうに笑いながら、陽菜が消しゴムを動かす。尊い。尊すぎる。あまりにも尊い光景に、一瞬意識が飛ぶ。
【……クク、凄まじい性欲だな、相変わらず。普段冷静な貴様も、この雌を前にするとタガが外れるらしい。番いにでもするつもりか?】
脳内で、低く不快な、けれどどこかこの状況を楽しんでいるようなヴァルの声が響く。
(うるさい。俺はあの子に邪な感情は抱いていない。それに…)
【それに?】
(……この子が笑って過ごせることが、俺の存在意義だ。失ったら、全ての計画が狂うぞ。お前も力を得られない)
【フン、詭弁を。貴様が単に、この小娘の笑顔に毒されているだけだろう】
図星を指され、俺は内心で舌打ちした。
原作での陽菜は、多忙な母を気遣い、一人で寂しさを噛みしめるような子供だった。
だが今の彼女は、俺という「頼れる兄」が介入したことで、原作よりもずっと子供らしく、よく笑うようになっている。
この子が「私が犠牲になればいい」なんて自己犠牲の精神に目覚めないよう、誰かに頼ること、そして自分自身が幸せになることを教えることができれば。
決して、推しの笑顔を独り占めしたいなどという邪な感情ではないはずだ…多分。
「できた! お兄ちゃん、全部埋まったよ!」
「よくやった。……よし、全問正解だ」
「やったぁ! お兄ちゃん、学校の先生より教えるの上手だね!私もお兄ちゃんと一緒の学校に通いたいなー」
何気ない一言。その一言に心が抉られる。
原作通りであれば、陽菜は十四歳で死ぬ。
「……そうだな。そのための道は、俺が全部綺麗にしておいてやる」
俺の言葉の真意を、陽菜はまだ知らない。
算数を教える一方で、俺が夜な夜な街を歩き、ヴァルの力を馴染ませながら、エクリプスとの接触機会を虎視眈々と狙っていることを。
「陽菜、洋子おばさんが帰ってくる前に、国語の宿題終わらせておこうか。それが終わったら、アイスでも食べよう」
「本当!? やったぁ、お兄ちゃん大好き!」
【アイス!?やったぁ!】
ヴァル…日に日に人間社会に染まっていくな…魔族としての威厳はどこに…




