第一話
最終話まで予約投稿済みです。
2028年4月20日午後3時。臨海副都心。
潮風に混じるのは、潮騒の音ではない。
大気を震わせ、皮膚をちりちりと焼く、不吉な魔力の波動だ。
俺、九条蒼真は、高架道路の影に身を潜め、無機質なコンクリートの壁に背を預けていた。
「……始まったか」
視線の先、立ち並ぶビル群を背景に、一筋の銀光が空を切り裂いた。
そこにいるのは、この世のものとは思えない異形―通称、境界獣が巨大な触手を蠢かせている。
そして、その猛威を正面から受け止める、身の丈ほどもある輝く直剣を構えた少女。
『聖剣レグナリア・ルクス』
少女は、ピンクと白を基調としたフリル多めのドレスに胸元の大きなリボン。その姿はまさに魔法少女。
次元障壁を常に展開している境界獣に現代兵器は通用しない。
戦えるのは、異世界由来の神器を扱える彼女たち魔法少女だけだ。
だが、俺には知っている。
彼女が剣を振るうたびに、その命の灯火が削り取られていることを。
遠くから見れば神々しくすらあるその煌めきは、彼女を死へと誘うカウントダウンの火花に過ぎない。
(原作通りだ…このままだとあの子は何一つ報われることなく消える…)
ポケットの中で拳を握りしめる。
指先が掌に食い込み、鈍い痛みが走る。
この光景を、俺は知っている。
かつて、画面の向こう側で何度も繰り返し見たあまりに理不尽な「ハッピーエンド」を。
◇
かつて、俺は「九条蒼真」ではなかった。
名前を思い出すことすら億劫になるほど、ただの、どこにでもいる日本の社畜だった。
朝、吐き気を催すような満員電車に揺られ、深夜、上司の罵倒と積み上がった書類の山に埋もれてオフィスを出る。
「責任」という名の呪縛は、俺から色を奪い、心を摩耗させ、透明な膜を張ったように世界を遠ざけた。
自分が何のために生きているのか、明日の朝、目が覚めなければどれほど楽だろうか。そんなことばかり考えていた。
そんなある日、泥のように疲れ果てて辿り着いた深夜の自室で、俺は彼女に出会った。
深夜アニメ、『きらめき☆レグナリア!』。
画面の中で、十四歳の少女・朝倉陽菜が、全身傷だらけになりながらも立ち上がり、真っ直ぐに叫んでいた。
『――大丈夫。私が、みんなの明日を守るから!』
その声、その瞳。一点の曇りもない自己犠牲の輝き。
現実の不条理に押し潰されていた俺にとって、彼女は単なる虚構のキャラクターではなかった。
彼女の無垢な「優しさ」だけが、絶対零度まで凍りついていた俺の魂に灯った、唯一の熱だったんだ。
(陽菜……君だけは、救われてほしかった。なのに、あんな終わり方、あんまりじゃないか)
視聴率が悪かったのか、全十二話構成のはずが、十話に短縮。
その煽りかどうかは不明だが、最終話で陽菜は、神器の力を完全解放し、邪神アザ=ルグナと対消滅。
世界は平和になったが、陽菜の存在は、世界から、人々の記憶から、完全に消滅した。
…これのどこがハッピーエンドなんだ。
彼女の最期を何度も見ては、俺は虚脱感に苛まれた。
そこから先は、正直、記憶が曖昧だ。
どのくらい、時が経ったのか分からない。
結局、推しを失ったショックを抱えつつも、社畜として、会社には出勤していた気もする。
うっすらと覚えているのは、鼓膜を劈くブレーキ音と身体を宙へ浮き上がらせる巨大な衝撃。そして、冷たい雨の匂いと、喉の奥に広がる錆びた鉄のような血の味。
それが、一人の社畜が「九条蒼真」として、転生する直前の最後の記憶だった。




