12話 回想
終演後物販。
カモミーユの特典会場はステージ前に用意されている。
わいわいがやがや。
わいわいがやがや。
ヲタクたちは推しメンの列に並んでスマホを触ったり次のライブ予定を話したりしながら待っている。
そんないつもの物販会場へ5人は並んで入場した。
持ち場に立った眞名はさり気なく自分の列に目をやる。今日の鍵開けは野球帽のかんべえさん。いつも贔屓にしてくれる面白いおじさん。後ろの方には白いペンライトを振ってくれていた髪の長い綺麗な女の人もいる。ちゃんと来てくれたんだ。嬉しい……
……あれっ?
たっくんがいない。ライブに来たら必ず並んでくれるのに。
眞名は辺りを見回した。そうして隣の列に彼を見つけた。
「……?」
もう一度自分の立ち位置を確認する。間違ってない。間違っているのはたっくんの方だ。そこはさくらさんの列。たっくん、そこじゃないよ。私の列はそこじゃないよ!
(あっ!!)
そこまで考えて眞名は思い出した。そう言えば今朝、私の物販には来ないで!
って言ったっけ……
顔からサアーッと血の気が引いていくのを感じる。
私に並ぶなとは言ったけど、さくらさんに並んでね、なんて言ってない!
私に並ぶなとは言ったけど、だからって他の人に並ぶなんて!
そんなこと言ってない。
絶対言ってない!
なのに――
俯く彼女の脳裏に苦い苦い失敗の記憶が蘇ってくる。
よかれと思って紡いだひと言で、長く辛い思いをした大失敗の記憶。
それは今から一年前。
「カモミーユの姫路眞名」が初めてステージに立った日のことだった――
感染症流行の影響でお披露目公演が延期になった翌週、眞名の初ステージは突然やってきた。土壇場で別のグループが辞退した郊外の夏祭りステージ。会場で配られているプログラムは辞退したアイドルグループの名がそのまま残っていると言う急な交代劇。それでもSNSの宣伝だけで熱心なファンは集まってくれた。本当にありがたい彼らの応援もあって眞名は初めてのステージを精一杯にやり切った。緊張で失敗もあったけど、それでも及第点かなと思った。声出しは禁止だったけど手拍子してくれたり振りコピしてくれたり。リズムに乗って踊ってくれるお客さんの楽しそうな笑顔が嬉しかった。思いっきり踊って歌って精一杯の笑顔を届けた。やり遂げた充実感、沸き立つような心の高揚は眞名が思っていたより遥かに素敵なものだった。
だけど特典会場で彼女を待っていたのは残酷な現実。
そう、眞名のプラカードはテーブルに置かれたまま、そこには誰ひとり待っていてはくれなかったのだ。
(やっぱり……)
少しだけ予想はしていた。
でも、ひどく落胆した。
ファンはそう簡単にはついてくれない。たった一回頑張っただけでチヤホヤされるほど甘い世界じゃない。アイドルはみんな可愛いしみんな頑張っているんだから。
「初めての人にはチェキ一枚無料ですっ」
ライブ前。精一杯の笑顔で、大きな声で、勇気を出してフライヤー配りも頑張った。でも誰も目すら合わせてくれない。怪しい物売りじゃないのに、恨みも文句も言わないのに。ただ本当に、一回だけでいいからお話しさせて欲しいだけなのに。私のパフォーマンスがダメならダメだって、下手なら下手だって正直に言ってくれてもいいから、辛い感想だって構わないからただお話しするチャンスが欲しい。それだけで私はすっごく嬉しいのに――
他メンバーに並ぶヲタクさんたちの列を横に見て眞名は思い出した。そう言えば1か月前にデビューした冬華もそうだった。クオーターで色白で目鼻立ちハッキリのすごい美人。日本人離れした完璧なプロポーション。それでも最初は誰も並んでいなかった。やがて推しメンとのお話を終えた常連さんたちが挨拶に来てくれてはいたけれど、初めて楽屋に入れさせて貰った眞名が見たのは、悔し涙を堪えきれない冬華の姿だった。
だから覚悟はしていた。
覚悟はしていた、のだけれども心のどこかで期待もしていた。
奇跡のようにたくさんのファンに推される自分の姿を。
前を向いて笑顔を作った。
泣いてる暇なんてない。
これが私のスタート地点なんだ――
アイドルってみんな可愛い。
あたり前だけどみんな魅力的。
あたり前だけどみんな頑張ってる。
勿論、眞名だって自信がないわけじゃない。
鏡の前でたくさんたくさん笑顔の練習をした。
お化粧だって髪型だって可愛くなる努力は何だってやった。
だけど周囲は綺麗な人ばかり。
(やっぱり私なんて……)
ふっと弱い心が頭をもたげる。
(ダメよ、笑顔よ笑顔)
それでも不安は襲いかかる。
このまま誰も来ないんじゃないか?
こんな私なんて誰も見つけてくれないんじゃないか?
こんな私なんて永遠にファンが付かないんじゃないか?
こんな私なんて。
こんな――
――
そんな時、まっすぐ歩いてくる人がいた。
(え? 私でいいんですか?)
もう少しで声に出るところだった。
自分自身を指差したまま驚きで思考が停止した。
やがて差し出されたチェキ券を見た瞬間、眞名の中で止まっていた時間が激流のように動き出した。
「はじめましてっ!」
ひょろりと長身の、黒い学生服姿の男の子は言葉少なに眞名の初チェキを撮ってくれた。
聞けば彼は大学入試の模試帰りだという。
「お名前は?」
「えっと、小倉拓海です」
「いいお名前ですね。たくみさんでいいですか?」
「あ、じゃあ、たっくんで」
「たっくんさんですねっ。応援ありがとうございます! 今日は楽しんで貰えましたか?」
「はい、とっても」
「わたし、ちゃんと踊れてましたか?」
「すっごく良かったです! 歌も踊りも、それから笑顔も!」
「嬉しいっ! 笑顔にはちょっとだけ自信があるんですっ! あ、今日は学校帰りとか?」
「いえ、模試帰りです。ホントは帰って勉強しなきゃいけないんだけど」
「賢いんですね」
「逆です。危ないんです。希望校の判定が悪くて、このままじゃダメで」
「じゃあ私が応援しますね。絶対合格ですっ!」
両手でハートマークを作る眞名。
「ありがとうございます。何か凄く元気出た」
「ホントですか?」
「はい、たぶん頑張れます」
「たぶんじゃなくって絶対ですよ! 絶対合格ですよ!」
「不思議だな。ホントに凄くやる気出た。合格できる気がしてきた」
「私もたっくんさんからいっぱい勇気貰いました! 実は私、今日が初ステージで、不安で不安で…… でもたっくんさんが来てくれて嬉しいです。元気貰ってます。私、次はもっともっと素敵になってます。約束します。だから合格したらまた、来てくれますか?」
「勿論です!」
「約束ですよっ! はいこれ。お守りになりますか?」
「わ、可愛いお守り! 大切にします。試験会場にも持っていこうかな?」
「嬉しいです。これがあったら絶対合格ですからね…… あ、ありがとうございましたっ! お勉強頑張ってくださいねっ! そして合格したら、大学に合格したら、絶対に、絶対にまた来てくださいね~っ!」
――――
――
その後、挨拶と言って来てくれたカモミーユのヲタクさんたちとも会話を弾ませた眞名が自分の犯した大失敗に気がついたのは次のライブの特典会の時だった。目の前にたっくんがいない当然の理由に気がついたのだ。
(あれじゃ合格するまで来るな、って言ったも同然じゃない)
慄然としたけどもう遅い。
季節はまだ初夏、受験結果が出るまでには8ヶ月以上もある。その間きっと彼は来ないだろう。だって合格したら来てくれ、って言ってしまったのだから。いや、8ヶ月後に来てくれたらまだ救われる。もしかしたら今年はダメってこともある。合格しても眞名のことなんか綺麗さっぱり忘れているかも知れないし、駄目なアイドルだって愛想尽かされてるかも知れない。8ヶ月の間には苦しいときも元気が出ないときもきっとあるはずなのに。「そんな時は力になりたいです、いつでもまた来てくださいねっ」ってどうして言えなかったのだろう? 「SNSもやってます。時々でいいから見てくださいねっ」ってどうして言わなかったんだろう。そもそも駆け出し地下アイドルとのチェキをお守りにして受験会場まで持ち込む受験生なんているだろうか? あれは絶対に方便だ――
眞名は悔いた。
その言葉に一片も嘘はなかったけど。
心からの応援の言葉だったけど。
でも、アイドルとして正しかったのか?
特典会の度に思い出しては、小さな胸を苦しくした。
それなのに――
今朝たっくんに言った言葉は、(物販でお話ししなくても、お家でいっぱいお話ししましょうよ!)って意味で、それ以上の深い意味なんてこれっぽちもなかった。けれども「現場で私を推しちゃダメですよ」って取られたのかも知れない。推し変してくださいって意味に取られたかも知れない――
なんてバカ。
なんてバカ!
「カモミーユ、特典会を始めま~す」
『よろしくお願いしま~す』
眞名は慌てて頭を下げる。
周囲からたくさんの拍手が聞こえてくる。
今日も鍵開けは眞名推しのかんべえさん。いつもの野球帽に人懐こい笑顔。楽しい話題を探しては面白おかしく聞かせてくれるヲタクさん。
眞名は笑顔を炸裂させると、両手を振って彼を迎え入れた。
【すぐ消えるあとがき】
地下アイドルさんは特典会でファンの人とチェキを撮って会話をするので、ファンの名前を覚えることが必須能力になりますよね。まあ何度も来てたら放っておいても覚えるでしょうが、多くのアイドルが1回や2回程度で覚えています。驚愕です。一日に何十人と会話していたりするのに。
聞くとノートに書いてその日のことを覚えたり、中には初めてのファンとのチェキは写真に撮っておいて絶対覚える!って涙ぐましい努力をしているアイドルさんもいるようです。そりゃあすぐに名前覚えてくれたら嬉しいに決まってますから、これも一つのファンサービスなのでしょうね。凄いなあ。
僕、一回の会議で3人以上名刺交換したらもうアウトなんですけどね。




