01話 プロローグ(1)
アイドル好きな方も、そうでない方も、楽しんでいただけると嬉しいです。
「お兄ちゃんは妹にもっと甘えるべきだと思うんですっ!」
出来立てのオムライスをテーブルに置くと少女は上目に睨みつけた。
「甘えるって、眞名さんだって忙しいし……」
「眞名さんではありません、眞名です! 妹はちゃんと呼び捨ててくださいって百万回言いましたよね!」
「いや、二回目だけど」
「とにかく!!」
突き出されたのは卵3個を使ったと言う超大盛りのオムライス。ケチャップで描かれた「大好き☆お兄ちゃん」のかわいい文字に暫し絶句した拓海は、やおら観念して椅子に腰掛けると、この「妹」と出会った一年前を想い返した。
一年前。
「みなさ~んっ! 盛り上がってますか~っ!」
「……」
「次の曲も、もっと元気にいきましょ~うっ!」
「……おお~」
「応援あっりがとう~っ!」
駅前ひろばの特設ステージ。
前に後ろに左へ右へ、手拍子促しステップ踏んで、喜色いっぱい歌って踊る可憐な少女たち。色とりどりの衣装を身に纏い、通りすがりの誰にも彼にも元気いっぱい笑顔を届ける。
なんて楽しい!
なんてかわいい!
小倉拓海は立ち止まり、中でも一段目を引く「彼女」に視線を奪われた。
「ね、いいでしょカモミーユ! 5人組のアイドルユニット。このあと特典会があって初めましての人には好きなメンバーと一緒のチェキを一枚サービスしてるんですよ。ぜひ会ってやって楽しかったって伝えてあげてくださいよ。こんなに小さな駅前の、こんなに小さなステージでも、みんなあんなに頑張ってんだから」
高校三年の模試帰り。
年配のファンに背中を押されて向かったのは白いテントの特典会場。さっきまでの観客たちが何列かに並ぶ左端、ぽっかり空いた空間にぽつりと佇む華奢な少女。長い黒髪を風に預けて誰もいない空間へ何度も何度も微笑みを向ける。
拓海は息を整えた。そうしてえいっと気合いを入れると一歩二歩と進み出る。彼女は驚き目を見開いて自分自身を指差すと、ぱあっと笑顔を満開にして両手を振って喜んだ。
あれから一年。
彼女は今、拓海を見つめたままオムライスの横にスプーンを並べる。
「お兄ちゃんが驚いたように私だってすっごくビックリしたんですよ。まさか、いつも私を熱烈に推してくれる「たっくん」が、母の再婚で私のお兄ちゃんになって、しかも新しいお父様の転勤で母も一緒に海外に行ってしまって、このお家にふたりだけで住むことになるなんて、神様はなんて素敵な、じゃなくって数奇な運命を与えたもうたと思いましたよ」
じっと見つめてくる妹に兄も肯く。
「だよな~っ。僕も初顔合わせの時は心臓が飛び出すかと思った」
「私の心臓は本当に飛び出しましたけどねっ。だけど次の瞬間、これは困ったことになったって思いました。だって曲がりなりにも私はアイドル、そしてお兄ちゃんは私の大切なヲタクさん。ライブの現場以外でアイドルとファンが一緒にいるのは御法度ですからね」
眞名が所属するカモミーユは正統派を自認する、いわゆる地下のアイドルグループだ。関西を主戦場として週末土日を中心に月に十本以上のライブを行い、楽しさ溢れるステージと丁寧なファンサービスも相まって着実にファン、即ちヲタクたちを獲得してきた5人組。SNSの投稿やストリーミング配信も頻繁に行って少しずつでも着実にお客さんは増えてきていた。
しかしそんな地道な努力の積み重ねも、ファンとの密会や繋がり行為がバレたら一瞬で水の泡。グループから追い出され所属事務所もクビ。ファンにお別れの挨拶すら言えないまま突然のさようなら――
眞名はそう言う悲しい末路を辿ったアイドルを両手で余るほど見聞きしてきた。
巨大なオムライスに描かれたハートマークを見つめながら、拓海は大きく嘆息する。
「一緒に暮らしてるってバレたらヤバいんだろ?」
「たっくんが私の熱烈なヲタクであることはみんな知ってますからね。それが今更兄妹でした、な~んて誰も信じちゃくれませんよね――」
「だから結局、隠し通すしかないんだよね。正直者の眞名ちゃんには――」
「眞名ちゃんではありませんっ、眞名です!」
拓海の言葉を遮って眞名は語気を強める。
「妹は呼び捨ててくださいって百万と一回言いましたよねっ!」
「いや、三回目だけど」
「ちっ。ちゃんと数えてるんですね」
眞名の視線に拓海は少し俯いた。
「でも、呼び捨てはハードル高いから……」
「私だって恥ずかしいけど頑張ってるでしょ? お、お兄ちゃん、って!」
「顔真っ赤じゃん」
「見ないでくださいっ!」
日曜日の今日、空港で両親を見送るとそこからわざわざ時間をずらし、別の電車で帰ってきた「兄」と「妹」。ふたりの間には既に血判の約束が取り交わされていた。それは、家の外ではお互いに赤の他人として振る舞おう、というもの。万が一、偶然どこかで会ったとしても素知らぬ顔ですれ違い、絶対に声を掛けないこと、他人のフリを貫き通すこと。見て見ぬ振りを徹底 すること。それはアイドルである眞名の身を守るために絶対必要なことだった。ヲタク達の監視の目はどこにあるのか分からないのだ。
「しかし呼び捨てでって言われてもなあ。じゃあ愛称の「ひめ」でどう?」
「ダメです。それはアイドルの時の私のニックネームです。私の旧姓「姫路」からもじられた愛称です。だけど今の私は小倉眞名、小倉拓海の妹です。正真正銘の妹です。だからちゃんと眞名って呼んでください」
「美味しそうなオムライスだね」
「さり気に話を逸らしましたね。ともあれ熱いうちにどうぞ。いっぱい食べるかなって大盛りにしてみました。盛り付けはちょっと失敗しましたけど、味はきっと大丈夫かと……」
「ん、んまい…… 美味しいよこれ!」
「よかった」
眞名は柔らかに微笑むと、自分も小さめのオムライスに手を合わせる。
「外では他人のフリをするんですから、せめて家の中では妹にもっと甘えてください」
纏めた髪から覗く白いうなじ。くりんと印象的な瞳で上目遣い見つめられ、拓海の心臓はどくんと跳ねる。
「妹に甘えるって、恥ずかしいし……」
「ライブでは可愛いよって、愛してるってガチ恋叫んでくれるじゃないですか!」
「あのセリフはヲタクの決まり事だし、みんなと一緒だし、ちょっとした勢いで……」
「だったらちょっとした勢いで私に甘えてください!」
「そんな無茶な」
「それとも我が家の決まりごとにしてしまいましょうか?」
可愛さ全開の推しの攻勢に平静を装うのが精一杯の拓海。それでもこの妹は容赦が無く強気にずんずん可愛く迫る。これがアイドルの技なのか? 特典会ではこんなサービス見たことないぞ――
喉まで出かかった文句の言葉を兄はグッと呑み込んだ。
「やっぱり妹に甘えるって変態っぽくないか?」
「変態ではありません! 正しいお兄ちゃんの姿です!」
「どうしてそんなに妹にこだわるんだ?」
「私が妹だからですっ!」
「確かに妹だけど、ひめは最高の推しだし――」
「ひめではありません、眞名です。これで百万と二回目ですよ!」
「四回目だよ」
「もうもう~、ノリの悪いお兄ちゃんですね。じゃあ伺います。いったいこんなポンコツの、私のどこが最高なのですか?」
真っ直ぐな瞳を直視できず、拓海はまたオムライスを頬張った。




