第42話 ゴブリンの英雄
「キキキッ(ゴブリン族の英雄よ……)」
ゴブリンシャーマンは祭壇の上に乗ると、両手をあげて何かを唱え始めた。
俺は生贄不足で何もできないと思っていた。
もしかすると、復活の儀式ができるのか?
「キキッ(我が血肉を喰らいて……)」
シャーマンの周りに黒い煙のようなものが集まっている。あれは魔物を組成する……魔素だ。
やはり、儀式は可能らしい。
鼓動が早くなり、全身から汗が吹き出す。
ヤバい。
ヤバい。
ヤバい。
手に負えないものが出現する予感しかしない。
「アイシャ、シャーマンを阻止しろっ!!」
俺の言葉が終わる前に、アイシャは走り出した。
アイシャは脇腹から背中に右手をのばし、尻の上にクロスして差された短剣の柄に手をかける。シャーマンに向かって跳ねると同時に、鞘から短剣を引き抜いた。
「アサシネイッッ……」
アイシャが叫ぶと同時に、シャーマンが黒い煙に包まれた。異様な魔素が渦巻きながら上にのびていく。
俺は直感した。
もう遅い。手遅れだ。
ヤバい。
アイシャが魔素に巻き込まれてしまう。
「アイシャ、戻れっ!!」
アイシャは咄嗟に刃を止め、左腕を支点にしてバク転した。直後、シャーマンの周りの魔素が竜巻になった。
俺の判断が遅かった。
アイシャの身体の一部が竜巻に巻き込まれたように見えた。
回復しないと。
「汝の身体は神の為に戦い、汝の心はいまだ一度の敗戦も知らず…… 彼は人の世の真理にて、人知らぬ世の不浄の摂理なり……」
俺はヒールの詠唱を続けながら、牢屋の方に駆けた。
赤毛の少女を保護して、一刻も早くこの場から離脱しないと。
あの魔素の量……。
英雄も所詮はゴブリンだと思って侮っていた。とんだ思い違いだ。あれは危険すぎる。
逃げるのが最善だ。
赤毛の少女のもとに駆け寄ると、サイファの聖印が入った鎖で手足を繋がれていた。
(これは神具か? どんな効果がある? まぁ、そのまま連れていけばいい。解除は後回しだ)
俺は無言で少女の手をとって立たせると、少女は腰上までの赤毛を揺らして言った。
「わらわは、ルナ……ルナ•ドラコラル。下賤の民よ。礼を言うぞ。そなたの名は」
ドラコラル?
どこかで聞いたことがあるような。
燃えるように波打つ赤い髪。
強い意志を感じさせる青い瞳。
たしか、設定資料集に……。
いや、詮索は後回しだ。
俺はルナの腰を抱えると、そのまま肩に担いだ。
「自分は名乗らぬとは、ぶ、無礼者めぇぇ!! わらわを下ろせっ!!」
ルナは騒いで暴れたが無視した。
答えると詠唱が中断されてしまう。
(それにあなた、下ろしても鎖で歩けないでしょ……)
祭壇の方を見ると、倒れたアイシャをリリスが抱き起こしていた。アイシャの周りは血の海になっている。
次の瞬間、俺の息は止まった。
アイシャの右膝と右前腕から先が失くなっていた。だが、まだ意識はあるようだった。
(ヒールが間に合いそうだ。よかった)
俺は詠唱を続ける。
「医神レイピアの名の下に。汝、不敗の決意に再び立つ力を与えん。……ディオス•ヒール!!」
「キキキッ!!(我を喰らえ。英雄。そして、殺せ。殺せ。殺せ)」
俺の詠唱が完成すると同時に、シャーマンも叫んだ。
アイシャの手足に光が集まり、欠損部位がどんどん復元されていく。数秒でアイシャが歩けるようになると、2人はこちらに向かって走り出した。
アイシャとリリスの背後では、魔素の竜巻からシャーマンが放り出された。シャーマンは既に死んでいて、亡骸は干からびたミイラのようになっていた。
シャーマンは、自らを最後の生贄にしたらしい。
ゴブリンの巣穴は複雑だが、今きた道を戻れば大丈夫だ。俺達が通路に差し掛かったとき、前から何かの鳴き声が聞こえた。
「キキキッ!!」
ゴブリンどもだ。
足音からすると、かなりの数だ。
まだ距離はあるが、異変に気付き、俺達を探し回っているのだろう。
(くそっ、巣穴の外にいたゴブリンどもが戻ってきたか)
「どうする?」
そう尋ねるリリスは不安そうな顔をしている。
狭い通路でゴブリンの群れに遭遇するのは危険すぎる。身体が小さいゴブリンの方が、圧倒的に有利だ。
「退路を断たれた。ここから逃げるのは無理そうだ。他の出口を探……」
ガガッ。
背後から岩が落ちるような音がして、俺達は祭壇に振り返った。
すると、祭壇があった場所に巨大なゴブリンが立っていた。緑の肌に筋肉質で太い手足。右手にはロングソードを持っていて、体長は6メートル近くありそうだ。あのトロールよりもデカい。
あれが英雄……ゴブリンヒーローか。
——万事休す。




