第31話 レイピアの神威を以てサイファを斬れ。
俺は詠唱を開始した。
「神に仇なせ、戯者よ……」
すると、チョビ髭は、俺の方に身体の向きを変えた。そして、巨体に似合わない俊敏さで飛びかかってきた。
「ヒョホホ。小賢しい。小悪魔の次は、辺境のマイナー神か?」
チョビ髭は唸る。
自重を乗せたウォーハンマーが横から飛んでくる。
俺は咄嗟に数歩さがった。
ウォーハンマーが前髪を掠める。
(並行詠唱の練習してなかったら、今ので確実に死んでた)
俺は正確なテンポで詠唱を続ける。
「……星を導け、不浄の摂理を破壊する者よ」
チョビ髭は、振り子のようにウォーハンマーに反動をつける。今度は左から横殴り。
ドンッ!
俺の背が壁に当たった。
身体を逃すスペースがない。
(しま……った)
痛みに備えろ!
俺は歯を食いしばった。
ガキンッッ。
目を開けると、アイシャが俺の前に立ち塞がっていた。右の短剣でハンマーを受けている。
のしかかる重さを、アイシャは左手を刃の背に押し付けて、辛うじて支える。
しかし、弱った左手で、巨大なハンマーの重量をいなすことはできない。
短剣の背がアイシャの左手にめり込み肉を裂く。アイシャの表情が歪んだ。
(あんなに無理して、アイシャが死んでしまう……、俺のために)
俺は詠唱を続けた。
アイシャは俺を信じてくれている。
ここで詠唱を止めれば、全滅だ。
「医神レイピアの名の下に祝福しよう……」
——in medias
発動まであと半分。30秒。
アイシャとの連携。
何度も繰り返し練習をしてきた。
アイシャはあと30秒で俺の詠唱が完成することを知っている。
(たのむ。あと30秒。耐え切ってくれ)
だが、アイシャの腰は落ちた。
左腕からは血がボタボタと落ちている。
俺の前に立つアイシャには、もう次の攻撃をしのげる力はない。
チョビ髭は右足を上げた。
中腰のアイシャに踵を向ける。
(あれが直撃したら……)
チョビ髭が、勢いよく足を下ろした。
(アイシャ、よけろ!!)
「ひゃぎゃ」
だが、その声はチョビ髭のものだった。チョビ髭の右足には矢が刺さっている。
「間に合ったぁ!!」
カリンの声。
ヘルプだ。
俺は詠唱を続ける。
「汝の不断の決意を。汝の不敗の決断を。狂った天秤を揺り戻せ……」
「貴様らぁ!!!!」
チョビ髭はウォーハンマーを身体の前に構えると、早口で詠唱をはじめた。
サイファは軍神だ。
戦いに特化した神。
どんな強力な神聖魔法か分からない。
さすが上級審問官。
俺より詠唱が速い。
……マズイ、追いつかれる。
アイシャは俺をチラッと見る。
口から血を流している。
アイシャは大きく息を吐いた。
そして、左手に紫の光を帯びさせ、右の短剣にうつした。
アイシャは自分の身を守ることを考えていない。俺に命を預けてくれている。
応えなきゃならない。
(発動まで10秒……)
チョビ髭が右手で聖印をきった。
その詠唱は完成間際。
ほぼ同時に俺もレイピアの聖印を切る。
(あと一節……間に合えっっ!!)
「…… レジスト•ディオス!!」
俺は最後の一節を唱えた。
俺の詠唱が完成する寸前。
アイシャが地面を蹴った。
アイシャの短剣にレイピアの聖印が浮かび上がる。
「アイシャ! レイピアの神威でサイファを斬れ!」
俺の叫びで、アイシャの口の端が上がった。
アイシャの前にサイファの障壁が出現した。しかし、アイシャは短剣でそれを切り裂いた。
直後、13個のレイピアの聖印が出現し、サイファの障壁を飲み込んだ。
「アサシネイトッッ!!」
アイシャが叫んだ。
身体を捻り、右の短剣を突き出す。
ピシピシッと音がする。
次の瞬間、チョビ髭の光の障壁が砕け散った。
障壁の欠片が舞う。
アイシャの姿が消えた。
ほぼ同時。
チョビ髭の首の周りにアイシャの剣筋が光る。
ドスン……。
チョビ髭は頸動脈を切り裂かれ、派手に血を吹き出しながら前に倒れた。
その姿は、まるで潰れたヒキガエルのようだった。
(……情けない姿。こいつの最後にお似合いだ)
「アイシャ、やったな」
俺はアイシャに声をかけた。
しかし、アイシャは笑顔を見せることもなく、その場に倒れた。
「アイシャ……!!」
俺はすぐにアイシャに手をかざしてヒールの詠唱をはじめた。
詠唱が完成したのに、アイシャが目を覚さない。
なんで?
『目の前で大切な人が死ぬ』
また俺の魔法が遅かったせいだ。
俺の中で、アーク兄のトラウマが蘇った。
(アイシャ、アイシャ……)
俺はアイシャを抱きしめた。
「……イオさま。泣き虫ですね?」
その声は、アイシャだった。
小さくて掠れてる。
まだ辛そうなのに、アイシャは俺の頬に手を伸ばした。
俺の目を拭ってくれた。
俺は泣いていたらしい。
目尻が裂けてヒリヒリする。
アイシャは言った。
「イオさま、わたしが居ないと非力すぎるじゃないですか。小石に躓いて死んじゃうかも。だから、わたしは居なくなりませんよ」
「……うん」
俺はアイシャの手を握った。
(エマも回復しないと)
アイシャをそっと床に横たわらせると、エマのもとに向かった。
「汝の身体は神の為に戦い、……ディオス•ヒール!!」
エマの周りに聖印が輝く。
身体の傷も綺麗に消え、切断された下肢も復元された。
本人には聞いていないが、きっとバールで傷つけられた……下腹部の火傷も治ったと思う。
(……よかった。間に合った)
だが、身体の傷が癒えても、心の傷が癒えるわけではなかった。
「わたし汚れてる……」
起き上がると、エマは泣いてしまった。
だから、俺は言った。
「俺の魔法は時を戻す。だからエマは汚れてなんていない。焼き菓子をくれた、……石鹸を喜んでくれた時のエマのままだよ」
これは嘘だ。
単なる組織の復元。
俺にできるのは、それだけ。
「……ほんと?」
エマは微かに声を出した。
「あぁ。俺は神職だ。嘘なんてつくわけないだろ」
「……うん、うん」
エマは何度も頷いた。
俺は嘘つきだ。
でも、こんな嘘なら。
きっとレイピアも許してくれるだろう。




