第30話 サイファの神官
俺は審問室のドアを開けた。
そこで目の当たりにした光景は、俺が想像したよりも、ずっと凄惨だった。
チョビ髭の横には、拷問台に釘で打ち付けられたエマがいた。左足は膝から下が切断され、出血死しないように切断面が焼き付けられている。
下着は剥ぎ取られ、下半身は剥き出しになっていた。
……神聖魔法の気配がする。
おそらく、ショック死しないように、サイファの魔法で、エマの痛覚を和らげているのだろう。
あたりには肉が焦げるような匂いがして、その横には焦げた鉄のバールのようなものが立てかけられていた。
エマは俺に気づくと、力なく声を出した。
「イオさん。見ないで……」
エマの下腹部は焼けただれている。
(まさか、あのバールで?)
俺は、自分が受けた拷問が最悪だと思っていた。でも、違った。俺は男だから、本当の最悪を免れていた。
何が神官だ。
なにが審問官だ。
お前らよりも、……悪魔の方がずっとずっとマシじゃないか。
俺は下唇を噛んだ。
唇が裂け、口の中が血の味だけになった。
すると、チョビ髭は俺に気づいたらしく、カン高い声で話し始めた。ひどく耳障りだ。
「おぉ。お前は、あの時の奴隷か? いや、あの時は高値で買ってもらって良い思いをさせてもらった。ふむぅ……また拷問されにきたのか?」
もはや、自分の行為を審問とすら言わないのか。どうやら、チョビ髭は俺らを生きて返すつもりはないらしい。
チョビ髭は得意げに続けた。
「あぁ。死ぬ前に、わたしの高貴な名前を教えてやろう。わたしは、ゲウス•ラッサル主任審問官。高貴な生まれだからな。本来であれば、お前なぞ……」
「黙れ」
これ以上は、聞くに堪えない。
だが、チョビ髭は、まるで楽しい話でもするかのようにニッコリすると、舌を出して小指をたてた。
「この女は、お前のコレか? だったら残念だったなあ。この女の卑しい処女は、いまさっきサイファ神様に捧げてやったわ。これで、この女の来世の罪も少しは軽くなるだろう。残念だったなぁ。もう異端の子をなすことは……」
「……だまれ!!」
俺は叫んだ。
自分の無力さに、胸が掻きむしられるようだ。
エマが焼き菓子をくれた時の気恥ずかしそうな顔。石鹸を渡した時の幸せそうな顔。妹と2人で頑張ってる女の子。
俺の頭の中には、エマの幸せそうな顔が浮かんでは消えていく。
エマとはこの世界で出会ったのだけれど、俺は妹と力を合わせて強く生きるこの少女の在り方を、好ましいと思っていた。
俺は審問官を睨みつけた。
(……殺したい)
俺は、生まれて初めて、人に対してそう思った。ここまでのクズは見たことがない。
だが、俺は無力だ。
俺には、あいつを殺す力なんてない。
悔しい。
ギギギ。
俺は歯を食いしばった。
アイシャと目が合った。
どうやら俺の気持ちを察してくれたらしい。アイシャは視線を戻すと、すぐさま戦闘態勢に入り、僅かに口を動かした。
「跪け、痴れ者。ルクスリア•バインド」
拘束魔法の短縮詠唱だ。
悪魔系の魔法は、悪魔に約束を履行させる一種の契約文だ。そのため、趣旨さえ伝われば、精度は落ちるが、短縮詠唱ができる。
アイシャの詠唱が完成すると、チョビ髭の周りに幾何学模様の魔法陣が出現した。
「これで終わりだ」
アイシャは言葉が終わるよりも早く飛びかかった。両手の短剣は、既に鞘から抜かれている。
しかし、チョビ髭の周りにサイファの障壁。
魔法陣は即座に霧散した。
「ひょほほほほ!!」
チョビ髭は笑う。
傍にあったウォーハンマーを握る。
アイシャを思い切り横殴りにした。
不意をつかれたアイシャの身体。
グシャ。
くの字に曲がって真横に吹き飛ぶ。
飛び石のように地面に何度も叩きつけられた。
チョビ髭は絶好調だ。
不快な声を、さらに甲高くした。
「愚かな。悪魔の小賢しい魔法など、神の使徒であるゲウス様にきくわけがなかろう」
アイシャはフラフラと立ち上がると、口にたまった血を吐き捨てた。はぁはぁと息を切らしている。
アイシャは左手を前に出した。
「……眠れ、愚か者。サキュバス•スリープ」
しかし、アイシャの魔法は、光の障壁に弾かれ霧散した。
チョビ髭は嬉しそうだ。
「ヒョホホ。愚か者はお前だ。上級審問官様に、呪いの類が効くわけがなかろう」
チョビ髭はウォーハンマーを振り上げると、そのまま叩き潰すように振り落とした。
アイシャは左の短剣で受け流し、かろうじて致命傷を避けた。しかし、左腕をだらりと垂らして、肩で息をしている。
チョビ髭は、さらにハンマーを振り上げた。
(アイシャが死んでしまう)
俺がヒールの詠唱をはじめると、アイシャは首を横に振った。
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あれは、リリスの私室に呼ばれた時だ。リリスは俺をベッドの横に座らせると、寄りかかって話しはじめた。
「イオ。貴方は医神レイピアさまの伝承を知っていますか?」
「いえ、全く」
リリスは軽くため息をついた。
(……無知に呆れられたかな?)
「かの女神は……」
(俺の反応を無視して会話が進んでいく……、って……、女神ぃ?!)
「えっ。レイピアって女神なんですか? てっきりオッサンなのかと……」
リリスは笑った。
「絶世の美女ですよ。それではレイピア様が可哀想……。さて、レイピア様は理を重んじる神です。言い方をかえれば、神が賽をふることを好まない」
「それって、どういう意味ですか?」
神がサイコロ?
アインシュタイン的なアレか?
「ふふっ。分かりづらいですよね。えっとね。悪魔に神を傷つけることはできません。これは摂理なのです」
「神と悪魔と精霊は、あれが勝ったらこっちは負けるみたいな、ジャンケン的な関係なのでは?」
リリスは首を横に振った。
「神は悪魔より常に上。これには理屈などはなく、この世の始まりから存在する法則(存様)です。たとえ、悪魔が神よりも強大な力を得たとしても、これは変わりません」
「じゃあ、悪魔の力を借りる魔法やスキルじゃ神は倒せないんですか?」
「そういうことになりますね」
「不公平じゃないですか」
リリスは微笑んだ。
「……もっと視野を広げると、か弱き人族が、『神を信じている』ただそれだけの理由で、力で勝る魔族に勝てるのはおかしいと」
リリスは目を細め、言葉を続けた。
「力が強い者が勝つのが真なる理だと。神が干渉して理を歪めることは、不浄の摂理だと言って、神の賽を嫌う女神がいたのです。ちょっと変わり者ですよね」
「それって……」
「そう。あなたの主神レイピア様です。神だからこそ、神に抗うことができる。レイピア様の人気がないのは、そういう一風変わった気質も関係しているのかも知れません」
「でも、リリスさまは、どうして俺にその話を?」
「さぁ、どうしてでしょう。でも、きっと、私達には貴方の力が必要になる。だからこれを……」
リリスは俺に一冊の本を渡してくれた。
「じゃあ、レイピアの魔法を極めれば、サイファに勝てるんですか?」
「ふふっ。無理ですね。なぜなら、サイファの方が神格が上だから……」
「え、なにそれ。やっぱ外れ神じゃありませんか」
リリスは俺の言葉を聞くと、首を横に振った。
「そんなことはないですよ。サイファの使徒になら十分に通用します」
「……微妙っす……」
「だよね……」
「でも、機会があったら、不人気女神さまと話してみたいっす」
「そうですね」
…………。
……。
(たのむぜ。レイピアちゃん)
俺は左手を前に出して、チョビ髭を指差すと、レイピアの聖印を空書した。
そして、詠唱を開始した。




