第24話 蒼き竜の問い。
俺とカリンは口を手で押さえて息を潜めた。
何一つ音を出すことが許されない。
その思いとは逆に、心臓の鼓動がどんどん速くなった。
ドラゴンの足音が止まった。
俺たちと岩を挟んだすぐ向こうから、鼻息が聞こえる。
その距離、数メートル。
「……人族の匂いか?」
その声は低くて、心臓を素手で撫でられるように、ゾクリとした。
ドラゴンって話すのか?
俺たちのこと、バレてるらしい。
究極の危機になれば、ネズミですら猫に飛び掛かる。
「イオさま、逃げて」
そう言うと同時にカリンは口ずさんだ。
その手には、いつのまにかダガーが握られている。
アイシャがアサシンなのだ。
この子が何かしらの訓練を受けていても不思議はない。
「精霊加速《ウィンド•アクセラレーション》!」
ビュンッ。
カリンは詠唱と同時に飛び出した。
風の帯がカリンに巻きつき、そしてパチンコのように、術者を射出した。
俺は?
どうする?
『イオ、イーファを連れて逃げろ』
アークの声が脳裏をよぎった。
——1人じゃ逃げない。
逃げる時は、カリンも一緒だ。
俺は歯を食いしばった。
俺にできること。
それはタイミングが来ることに賭けて、カリンの命を繋ぐことだけだ。
指先が震える。
俺は左手の平で右手の先をギュッと握った。
震えを押さえつけ、俺はレイピアの聖印を空書した。
「汝の身体は神の為に戦い、汝の心はいまだ一度の敗戦も知らず……」
カリンは、ダガーを逆手で持ち、獣のように俊敏な動きで飛び掛かる。
ヒュンッ。
刃先が線を描く鋭い一撃。
ドラゴンの鱗を抉る——。
しかし、直前で刃が止まった。
まるでパントマイムのように、カリンの動きが止まる。
ピキピキッ。
ダガーの刃先が氷に包まれ、そのままカリンの手を凍て付かせた。
「……どうやら無駄足であったか」
ブルードラゴンはそう言うと俺を見下ろした。
身を隠した大岩より遥かに大きい。全身は青い鱗に覆われ、嘴は鋭い刃物のようだ。
足が震える。
膝が言うことを聞かない。
——生き物としての格が違う。
ドラゴンは、左手を動かすと、爪先をカリンの首元に当てた。それだけで、即座にカリンの首が凍っていく。
「うぐっ」
辺りにカリンの悲痛な声が響いた。
俺はドラゴンの大きな翼に目をやった。
逃げられないのなら交渉するか?
それは、相手にもメリットがあるのが大前提だ。
俺ごときに、ドラゴンに提示できるメリットがあるとは思えない。交渉は成り立たない。
俺にできることは。
もとより一つしかない。
俺は心の叫びを押さえつけ、詠唱を続けた。
「……医神レイピアの名の下に……」
レイピアの名前にドラゴンがピクリと動きを止めた。その視線は俺の中身を見透かすようだった。
雪原に、ただ俺の詠唱だけが響く。
すると、ドラゴンはくちばしを開き、ゆっくりと息を吐いた。吐息が俺の前髪を揺らし、そして凍て付かせる。
「ほう。我を前にして祈りを止めぬか。なかなかの胆力。レイピアの眷属とは。人族においては珍しい。小僧、一つだけ質問する。嘘をついたら、この娘の頭はなくなると思え」
これは生存の唯一のチャンスだ。
俺は唾を飲み込んだ。
「なんですか?」
ブルードラゴンの瞳が俺を見つめる。
猫のように鋭く拳ほどもある瞳孔が、細くなった。
「……燃えるような赤毛の少女を知らぬか。瞳は海の底のように澄んだ瞳をしている」
どうやら、このドラゴンは人探しをしているらしい。そして、俺には全く心当たりがない。
そもそも、赤毛で碧眼の少女なんて、この世界に来て一度も見たこともないぞ。
俺は、心の中で呟いた。
……終わったな。




