第19話 ダークエルフ
「……ん」
目を開けると、真っ白な天井が見えた。ベッドはフカフカで、お日様の匂いがする。
さっきまで寝ていた牢屋の床が、嘘のようだ。
部屋の入り口では、若草色のメイド服を着た女性が忙しそうに作業をしている。
部屋には壺などが飾られていて、本棚には金縁の装飾がなされている。部屋を覆う真っ白な壁もシャインスターの実家ではお目にかかれなかったものだ。
この部屋には窓がないので外の様子は分からないが、どうやらここは、かなり裕福な人の屋敷らしい。
「あのー……」
声をかけると、メイド服の女性が振り向いた。
尖った耳に褐色の肌。
牢屋で声をかけてくれたダークエルフによく似ている。
シャインスター村のような田舎では、人族以外はいない。ダークエルフやドワーフのことは、知識としては知っているが、実物を見るのは初めてだ。
彼女を一言で表現すれば……凛として美しい。
「目覚めましたね。無事で良かった。わたしは、アイシャ•フォール。シャルロット伯爵家に仕えるメイドです」
やはり、助けてくれたのはこの人らしい。
「あの、俺のことを助けてくれてありがとうございます」
アイシャは一瞬、手を止めて答えてくれた。声も外見と良く合っている。凛としていて、変に媚びたところのない声だ。
「助けになったのなら何よりです。まずは、よく休み、疲れを取ってください」
そうはしていられない。
イーファのことが気がかりだ。
「あの、おれ。妹を助けに行きたいんです」
すると、アイシャの表情が曇った。少し怖い。
どうやら、この人はクールビューティーらしい。
「……聞こえなかったんですか? あなたは今、主神とのバイパスに傷がついている状態です。無理をすると、魔法、使えなくなっちゃいますよ?」
俺にはそんな余裕はない。
今この瞬間にも、イーファはナーズの男共に乱暴にされて泣いているかもしれないのだ。
ベッドに手をついて勝手に立ちあがろうとすると……。
「チッ」
アイシャは舌打ちをした。
氷のように冷たい視線。
アイシャの口が僅かに動いた。
「……眠れ、愚か者。サキュバス•スリープ」
アイシャの目が赤く光る。
次の瞬間、俺の意識は途絶えた。
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それから10日間。
俺は目覚めると、魔法ですぐに眠らされるということを繰り返した。
10日後にようやく起床を許された。
すると、手の傷は完全に治り、マナも戻っていた。部屋の入り口では、今日もアイシャが作業をしている。
いつもあそこで何かしてるけど、ずっとこの部屋に居てくれたのだろうか。
礼を言わないと。
「あ、あの。ありがとうございます」
アイシャは無表情で会釈をした。
美人だけに、余計に怖い。
「はい。お役に立てたのなら何よりです。シャインスター卿」
……卿?
それに、まだ名乗っていないのに俺の名を知っているらしい。
俺は襟元の匂いを嗅いだ。
衣服は清潔なものになっていて、あんな牢屋にいたのに汗臭くない。
「あの、ずっと寝ちゃってすみません。寝ている間のお世話は貴女が?」
「そうですね。身体を拭いて差し上げました」
あの美人に裸を見られたのか。
キャッ。恥ずかしい。
すると、アイシャはクスッと笑った。
「まぁ、お気になさらずに。それほどのモノではありませんでしたし……」
なんだか、すごく侮辱された気がする。
アイシャは今の状況を簡単に説明してくれた。
「まず、ここはナインエッジ帝国のシャルロット伯爵領です。私達は、ある目的のために貴方を審問官から買い取りました」
買い取り?
いくらくらいだったんだろう。
でも、聞くのはやめておこう。
激安だったら凹んでしまいそうだし。
「おれは奴隷なんですか?」
それに伯爵領?
俺は違和感を感じた。
俺の認識では、ナインエッジ帝国は皇帝ワーズベルト一族をトップとする絶対王政国家だ。つまり、領地は全て王の直轄で、貴族が領地を持つことは、基本的には許されない。
だから、普通は伯爵領なんて存在しない。
だとしたら、領地を持つこの家は、かなりの例外的な扱いを受けていることになる。よほど有力な貴族なのだろう。
「……たしかに、貴方は当面は当家の使用人という立場にはなりますが、依頼を果たしてくれたら、自由にしてもらって構いません」
アイシャはさらりと答えた。
俺には相当のコストがかかっているだろうし、条件があるのは当然か。解放してくれるだけ良心的なのだろう。
「当面とは?」
アイシャは俺を一瞥すると、顎に指を当てた。そして、くるりと身体を翻した。
「異端審問にも屈さなかったあの態度。貴方は信用に値する人でしょう……、まずは見てもらった方が早いですね」
俺は、アイシャに促されて部屋を出た。
すると、屋敷の窓からは一面の緑豊かな山々が見えた。土地には所狭しと畑があって、農民と思われる人々が畑を耕している。
外からは子供達の笑い声が聞こえる。
(あれ、ガラスが歪んでない)
ここは、自然の恵と領主に恵まれた土地であることは、すぐに分かった。
部屋に通されると、天蓋のベッドがあって中に人影が見えた。顔は見えないが、シルエットから若い女性だと分かった。耳は……明らかに人族よりも長い。
部屋には数人のメイドがいて、アイシャも俺の部屋にいる時とは別人のようにピシッとしている。
どうやら天蓋の中の女性は、この屋敷の主かその家族であるらしい。
彼女もやはり、ダークエルフなのだろうか。
女性はアイシャ以外に人払いをすると、天蓋の入り口を開けた。
翠の瞳が印象的な、金髪の美しい少女。少し痩せてはいるが、真っ白な肌で耳が尖っている。
エルフだ。
「よくいらっしゃってくれました。シャインスター卿……」
「いや、俺のことは……って、イタッ」
アイシャに足を踏まれた。
どうやらこの話し方ではダメらしい。
俺は右足を引き、左腕を広げて、頭を低くした。ボウ•アンド•スクレープ……小学校の情操教育でフェンシングをやらされた時に、練習させられた挨拶だ。
一生使うことのない無駄知識かと思ったが、まさかこんなところで役に立つとは。
うち(シャインスター家)は、一応は貴族だったが、その手のことには無頓着だったからな。あやうく大恥をかくところだった。
少女はこちらをじっと見つめている。
「失礼しました。わたしから名乗るのが礼儀でしたね。わたしはリリス•シャルロットと申します。病のため、このような場所からの挨拶で失礼します」
リリスは難病にかかっていて、普通の医者では治せないらしい。そこで、親戚から話を聞いて、医神レイピアの使徒である俺に目をつけたということだった。
でも、ナインエッジにも優秀な治癒師くらい居そうなものだが。
「自国の治癒師ではダメだったんですか?」
すると、アイシャはため息をつき、言葉を続けた。
「ナインエッジ帝国はサイファ神激推しですからね。軍神であるサイファ以外の魔法は衰退してしまったんです」
サイファは軍神だ。
それ以外の恩恵は受けられないということか。
大概の宗教では、唯一神は全能なのだが……。
考えてみると、少し意外な話だ。
「そういう訳で、リリスさまのために貴方の力が必要だったのです」
「レイピアの使徒は、他にもいるでは……」
俺がそういうと、アイシャは答えた。
「いささか当家特有の事情もありまして……、マナ量が豊富で、なによりも口の固い治癒師でなければダメなんです。って、医神レイピアの治癒師を続けている変人……こほん。奇特な方は、そもそも貴方くらいですし」
変人……。
俺以外はみんな辞めちゃったの?
レイピアが不人気すぎて、少し気の毒だ。
「……見ていただいた方が早いですね」
リリスはおもむろに袖をめくった。
すると、華奢な前腕一杯に爪痕のような痣が見えた。
リリスは俯いて視線を外し、言葉を続けた。
「醜いでしょ? このアザは龍の呪いなんです。お気づきかもしれませんが、腕だけではなく、顔以外の全身にも広がっています。まずは、ヒールをお願いできませんか?」
「いや、俺のはただのヒールだし、呪いを解いたりはできませんよ?」
アイシャの方を見ると頷いていた。
知った上で、やれということか。
「……わかりました。では、……汝の身体は神の為に戦い、汝の心はいまだ一度の敗戦も知らず。彼は人の世の真理にて、人知らぬ世の不浄の摂理なり。医神レイピアの名の下に。汝、不敗の決意に再び立つ力を与えん。……ディオス•ヒール」
すると、一瞬だけだが、リリスの腕の痣が動いて薄くなったように見えた。
「随分と楽になりました……やはり、この彼が適任のようです」
リリスはそう言った。
すると、アイシャが俺の前にきて、俺の首に触れながら何かを囁いた。
熱ッ
首に違和感を感じる。
「何をしたんですか?」
「隷属の呪いです。これで貴方は今後4年間、リリス様に逆らったり、勝手に逃げ出すことはできなくなりました」
4年間?
成人するまで、ここから出れないってことか?
イーファ!!
「困ります!! 俺は妹を助けにいかないといけないんです!!」
すると、リリスは答えた。
口を押さえ、瞳は潤んでいるように見える。
「ごめんなさい。貴方にとってこれが辛い事であることは重々承知しています。ですが、わたしもシャルロット家の当主として、決して譲ることはできない。当家の悲願を果たすために呪いに屈することはできないのです。どうか許して」
いや、初対面のアンタとイーファじゃ、どちらを優先するかは比べるまでもない。
「納得できないです!!」
俺が語気を強めると、リリスは言った。
「……分かりました。当家の秘密をお教えしましょう。絶対に他言無用でお願いします。もし他言したら、わたしは貴方の妹君を殺すかも知れませんよ? それでもいいのですか?」
毒を喰らわば皿まで、だ。
俺は頷いた。




