第17話 捕虜。
イーファの顔に疲労が見える。
一気に色んなことがありすぎた。
無理はない。
イーファがポツリと呟いた。
「もう助けは来ないのかな」
「いや、そんなことは……」
誰かの声が聞こえた。
「2人とも無事かぁ〜〜?」
アークの声だ。
イーファは跳ねるように立ち上がった。
「アーク兄だぁ!! おにい、アーク兄生きていたんだよっ!!」
いや、そんなはずはない。
俺たちは、自分の目であの凄惨な光景を見たではないか。
——たしか資料集に。
「ナインエッジ帝国の更に東の奥に住む魔女。幻牢の魔女は、幻惑と牢獄の魔法を得意とする」
何の根拠もない。
だが、俺の脳裏にその一節が過った。
幻惑……幻影を見せることもできそうだ。
アレは本当にアークなのか?
しかし、こんな片田舎の村のために、東の魔女様がわざわざ出張ってくるものなのだろうか。
だが、イヤな予感がする。
アレは危険な存在だと、俺の本能が訴えている。
すると、また声が答えた。
「イーファ、セールも一緒か?」
セールはアーク達に同行した。
ここにいるはずがない。
足音と馬のいななき。
ヤバい。
イーファを止めないと。
「アーク兄ーっ!!」
しかし、俺が止めるよりも早く、イーファは小屋から飛び出した。
ガタンッ。
イーファを追って俺も外に出る。
「キャッ!」
イーファの声だ。
日差しで目が眩む。
細目を開けると、そこにいたのはアークではなかった。青白い肌の見たことのない女だ。
女は痩せぎすだったが、右手で軽々とイーファを拘束していた。
イーファは子供だが、剣士クラスだ。
それなりに力はある。
女の黒髪はボサボサだったが、気にしている様子はない。黒いローブのその女は、仄暗い瞳でこちらを覗き込むように屈むと、グラグラと体を揺らした。
「いたぞっ!!」
すぐに女の手下が駆け寄ってきた。
鎧と鞘が擦れる音。
この装備。こいつらは傭兵ではない。
ナーズ領の旗を掲げている。
アークが言ってた通り、ナーズ領主はナインエッジに籠絡されたのだ。
もわっと獣の匂いがした。
兵士たちの向こうには、複数の大狼も見える。
ナーズのような小領主に魔女が仕えるとは思えない。この女はナインエッジ帝国の関係者か。
痩せぎすの女は、イーファを持ち上げると、ニヒッと笑って、すすまみれの頬を擦り付けた。
「ひひひ。ほう……、女の方はクレナイの眷族か。これは上々の拾い物……、そっちのガキはレイピア……カス神か。外れだ。チッ」
女は唾を吐いた。
「おい、その男のガキは帝国いきだ。審問官向けの大事な供物だからね。くれぐれも殺すんじゃないよっ!!」
すぐさま数人の男達に囲まれた。
背後から羽交い締めにする腕。
相当な腕力に抗えず、俺は目と口を塞がれた。
視界が塞がれる瞬間、兵士に抱えられて泣き叫ぶイーファの姿が見えた。
イーファを助けないと。
俺は叫ぼうとしたが、猿ぐつわで声にならない。暴れたが、手足を縛り上げられ何もできない。
ゴンッ。
後頭部から殴られる音。
木が焼けるような焦げの匂い。
俺の意識はそこで途絶えた。
ガタガタ。
ん……。
頭がガンガンする。
尻がゴンッと突き上げられて目が覚めた。
ガタガタと音がして身体が揺れる。目と口が塞がれて周りの状況は分からない。時々、鞭のような音と馬のヒヒンという鳴き声が聞こえてくる。
……どうやら馬車の中らしい。
時々、誰かのすすり泣くような声が聞こえる。捕まっているのは、俺1人ではないようだ。俺と同じ境遇の人間が、少なくとも他に7,8人はいるようだった。
泣き声はイーファではなさそうだ。
『ガキは帝国いき』
魔女はそう言った。
たぶん、この中にイーファはいない。
翌日。
「ぷはっ」
「騒ぐと殺すぞ」
耳元で低く野太い男の声。
俺は猿轡を外された。
時々、他の捕虜の話し声が聞こえる。
やはり、その中にイーファの声はなかった。
ひそひそ話が聞こえてきた。
「俺らはナインエッジに連れていかれるらしい」
「最悪だ。その後は、どうせ奴隷だろ?」
「あぁ、そうだよ。俺らは手土産だよ。皇帝陛下様へのな」
「うるせぇ!」
見張りの怒鳴り声のあと、ゴンッという鈍い音がした。
鉄臭くて生臭い匂い。
それきり、話し声は聞こえなくなった。
——俺たちはナーズが寝返る際の手土産にされた。
状況が分からなすぎる。
俺は見張りの目を盗んでは、隣人捕虜に話を聞いた。
「なんで俺たちなんだ? わざわざ敵国から奴隷を攫う必要なんてないだろう」
奴隷は売買の対象となる『物』だ。戦利品として攫うのは分かるが……。
「知らないよ。どうせワーズベルトだっけ? 皇帝様の気まぐれだろ?」
皇帝ワーズベルト?
やはり、UTSSOと同じだ。
たしかワーズベルトは、ドラゴンを口実にして、多種族を弾圧していたはず。
「いや、ナインエッジは人族が中心の国だし、変だろ。普通、奴隷って多種族とかなんじゃないのか?」
隣人は面倒そうに言葉を続けた。
「アタシたちグレイック人は、金髪が多いだろ?」
たしかに俺もイーファも金髪だ。
「それが何か?」
「ナインエッジ人は、ほとんどの人が黒髪だから。金髪は高く売れる」
なるほど。
金髪は貴重なのか。
熱帯魚でも希少な色の個体は高く取引されることが多い。それと同じようなものだろうか。
シャインスターには奴隷は居なかった。
……少なくとも、俺が知る限りでは。
ルークも奴隷ではなく雇っていた。
だから俺は、この世界の奴隷がどんな存在なのかを知らない。
「奴隷は、どういう扱いを受けるんだ?」
「アタシが知るわけないでしょ!! 奴隷は物。人間扱いされないのだけは確かよ」
この捕虜……隣人は女性だ。顔は見れないので分からないが、声に艶があるし、たぶん若い。
突然「うるせぇ!!」と言われ、後頭部に強い衝撃があった。見張り役に頭を殴られたみたいだ。
…………。
目的地までは10日ほどかかるらしい。
「すみません。トイレを」
女性の捕虜の声だ。
「面倒くせーな。馬車とめるから、そこの道端でしろ」
「見えるじゃないですか」
捕虜の言葉に見張りは怒鳴り散らした。
「あ? 人間扱いされると思ってるのか? 逃げようとしたら殺すからな」
確かに隣人の言った通りだ。
俺たちは人間と思われていない。
食事は硬くなったパンと水のみだった。
それでも、歩かされなかっただけマシなのだろう。
なによりも気が滅入るのは、夜になるとナインエッジ訛りの男達のよがり声と、女性のすすり泣く声が交互に聞こえてくることだ。
女性が抵抗している声は聞こえない。
ちなみに、この馬車の女性は捕虜だけだ。
「うう……」
しばらくすると、泣き声が聞こえてくる。
隣人の声じゃない。
「はぁ」
俺は少しだけ、ホッとする。
その繰り返し。
この世界では、女性捕虜が道すがらに犯されるのは、珍しいことではないのかもしれない。だが、一日おきに親切な隣人の泣き声が聞こえてくるのは……。
心臓の動きが悪くなって、息苦しい。
どうにもできない自分がもどかしかった。
そして今夜もまた。
彼女は悲しそうに泣いている。慰めようと声をかけると、隣人は自嘲するように言った。
「……殺されてないだけ運がいいよ。でも、処女じゃなくなっちゃったし、アタシは下級奴隷かな。……ハハ」
下級?
奴隷にもランクがあるのか?
モノに価格の高い安いがあるのは当然か。
であれば、安く買ったものよりも高く買った物の方が愛着がわくし、きっと大切にされる。
そうか。
自嘲は、彼女自身への皮肉だったのだ。
イーファ。
もしかしたら、イーファもこんな扱いを受けているのだろうか。なまじ平和な日本の価値観を知っているから……イーファには、他の子よりも余計に辛いのではないか。
イーファ。
頼む、生きててくれ。
ごめんな。
必ず助けてやるから。
それからも隣人は色々と教えてくれた。
隣人の名はシリスと言うらしい。
シャインスターの隣のムールン村から連れてこられた村娘のようだ。
「あいつらサイファ信徒のくせに。アンタ、知ってる? サイファ教は『人が人を売る』ことは禁止なんだよ」
意外だ。
人を売れないのに奴隷をさらうのか?
「じゃあ、奴隷売買もダメだよな?」
俺の言葉に、シリスは苛ついた声を出した。
「知らないよ。なにか裏ルートでもあるんだろ?」
何かしらの口実をつけて奴隷取引は黙認されている、ということなのだろう。
********
10日目の朝。
俺たちは目隠しを外された。
そこで俺は、隣人と初めて対面した。
初めて見たシリスは、目の上に大きなアザがあって腫れ上がり、歯も何本か抜けてしまっていた。
……きっと村にいた頃は、美人であったであろう顔立ちをしていた。
『これなら、処女じゃなくなっても、処女に戻せるんじゃない?』
——イーファの声が聞こえた気がした。
分かったよ、イーファ。
俺は、シリスの顔に手をかざすと、小声でヒールをかけた。
「……汝の身体は神の為に……、……ディオス•ヒール……」
すると、シリスのアザが消え歯も元通りになった。俺はシリスの耳元で言った。
「……思った通りの美人さんだったね」
俺の言葉で、シリスは自分の顔が元に戻ったことに気づいたのだろう。俺に何度も何度も頭を下げた。
泣いてる時に何もしてあげられなくてゴメン。これで少しは良いところに引き取ってもらえるといいのだけれど……。
シリスに「なんでそんなに親切にしてくれるの?」と聞かれたが、俺は答えなかった。
(なんとなくイーファに似ていたからだなんて、言えないよ)
これでシリスともお別れだ。
「じゃあ、元気でな」
俺がそう言うと、シリスが駆け寄ってきた。
チュッ。
左頬に柔らかい感触があった。
俺が頬に触れると、シリスは言った。
「ありがとう。あの、これ初めてだから。初めてじゃなくなっちゃう前にあげるよ」
シリスは微笑んだ。
その笑顔は、無垢で。
儚げで悲しそうだった。
俺はまた左頬に触れた。
シリスの笑顔が目に焼きついて、しばらく離れなかった。




