第14話 だから背中に名前を書いた。
あれからどれくらいの時間が経ったのだろう。
血の匂いが鼻の奥に残って、消えない。
「イオ。元気だして……」
そう言いながら、イーファが俺を抱きしめてくる。熱が伝わって、じんわりとあたたかい。
心配してくれているのは分かる。
だけれど、素直に受け入れられない。
だって、そうだろう?
イーファも稽古をサボってポテチを食べてゴロゴロしてた。
それなのに、コイツは。
なんで、俺だけが当事者みたいな態度をするんだよ。
ギッ。
触れるとイーファの肩が震えていた。
小さな体で頑張ってる。これは歯軋りの音だ。
「はぁ」
俺は息を吐いた。
俺は最悪だ。
さっきから人のせいにばかりしてる。
「ごめん、イーファ」
イーファは手を握ってきた。
冷たくて、濡れているみたいだ。
「イオがゴメンすることなんて、ないよ?」
本当は分かっているんだ。
イーファが助かってくれて、俺は救われている。
悲観しても状況は良くならない。
小さな空間に、2人の吐く息だけが響く。
イーファが話し始めた。
小屋の中は真っ暗だけれど、背中からイーファの体温が伝わってくる。
「……ウチ、魔法のこと分からないけど、さっき、イオが回復魔法を使ったとき、神様のマークでたよ?」
神様マーク?
聖印のことか。
「あぁ」
「それって、相手がいなくても出るの?」
「いや、対象がいないと発動しない……」
空間に物理的変化を生じさせる攻撃魔法と違い、回復や浄化の魔法は使用条件を満たさないと発動すらしない。
イーファが言った。
「それって、きっとイオの魔法が誰かに届いたってことだよ」
誰かってアーク?
いや、でも。
あの状態から回復魔法でどうにかなるとは思えない。
……期待しても辛いだけだ。
それきり会話がなくなって。
長い長い沈黙が訪れた。
俺はアークのことを思い出していた。
最後のアークの姿。
俺たちを守るために、人間が敵わない存在にも勇敢に立ち向かった。
『どうだ? にーちゃん、カッコいいだろ?』
アークの言葉を頭の中で何度も繰り返した。
兄は俺たちに悲しんで欲しいのか?
きっと違う。
アークはカッコいい。
そう誇って欲しいはずだ。
そして、きっとこう言う。
「イーファを任せた」
そして、またしばらく沈黙が続いて。
背中から伝わる震えがおさまった頃。
イーファが話し始めた。
「ウチ、よく変な夢みるんだよ」
夢?
俺を慰めようとしてくれているのかな。
「どんなの?」
俺は聞き返した。
「あのね。四角くて大きな建物がいっぱいの街にいるの。まるで神話の天空の城みたいなところ。んでね……」
「うん」
話を聞きながら、俺は日本の街並みを思い出していた。
「空から大きな火の玉が降ってきて、ウチ、大切な人と一緒に死んじゃうの……」
「えっ?」
「あのね。ほんとは話すつもりなかったんだ。でも、もう話せるのは最後になっちゃうかもしれないから。……伝えておくね」
俺は唾を飲み込んだ。
イーファは少しだけ声のトーンを下げた。
「ウチが成人したらつけたい名前。『イロハ』っていうの」
イロハ?
どこかで聞いた覚えがある。
渡貫 彩巴。
俺の後輩と同じ名前だ。
偶然なのか?
そんなこと、あり得るのだろうか。
イーファは俺の背中に文字を書いた。
「この国の文字じゃないけれど『彩巴』って書くんだ。って、これも夢の中のウチが教えてくれたの」
あの時、一緒に屋上にいった渡貫なのか?
イーファは言葉を続けた。
「イオは火の玉が降ってきた時にギューってしてくれた人なの? さっきお化けが出た時に抱きしめられて「先輩と同じ」って感じたんだ。だから、もしかしたら、ウチの夢のことも分かってくれるかなって」
だとしたら、俺は、渡貫と知らずに10年間を過ごして来たのか?
いや、でも……。
イーファの夢の内容。
完全にあの日の日本のことだろう。
いつのまにか月が出ていたらしい。
ドアの隙間から、淡い光が差し込む。
クリクリした二重の目。長い睫毛。前髪パッツンの髪型。少しだけ丸顔なところ。優しそうな眉。
目の色も髪の色も違うけれど。
月光に照らされて見える顔は、最後の瞬間に見た渡貫の素顔にそっくりだった。
その瞬間、俺は理解した。
渡貫はずっと俺のそばに居てくれた。
俺は1人じゃなかった。
孤独な旅には、仲の良かった後輩が付き添ってくれていた。
スーッ。
胸の中のざわめきが静まっていくのが分かる。
救われた。
それだけで、この世界に来た日から感じていた孤独が薄れていく。
「あぁ。わかるよ。俺もその世界にいたんだ」
俺は振り向いて、イーファの背中に指を沿わせた。
「俺の名前は、こういう字で千颯 伊織って書くんだよ。お前は伊織って呼んでいたけれどな」
俺の言葉が終わると、イーファは振り向いた。
「えっ、ほんと……?」
俺は頷いた。
イーファは俺に抱きついてきた。
「先輩。先輩。会いたかった……よぉ」
グイグイ押されて、俺のシャツの胸元がクシャっとした。
「おいおい、泣くなよ」
涙が収まると、イーファは顔を上げた。
「ウチ、ちゃんとイオに気持ちを伝えてた?」
「いや、覚えてないかな。ごめん」
どんな気持ちは分からないが、普通にワンチャンも一刀両断されたし。
イーファは胸に手を当てた。
「ウチね。ところどころしか覚えてないの。でも、イオのことはハッキリわかる。イオが大切な存在って胸の中で強く感じるの」
イーファは俯いて呟いた。
「……ふぅん。この気持ちを伝えなかったのは、何か理由があったのかな」
もしかして、あの時もっと頑張れば、ワンチャンあったのか?
「じ、じゃあさ。いま告白したら、OKしてくれたりするの?」
こんなときに不謹慎だと思う。
でも、明日どうなってしまうかも分からないから、あの時の渡貫の気持ちを聞いておきたかった。
「……ごめん、それはないかな。こっちでは本当の兄妹だし」
でも、イーファの声は少しだけ明るかった。
ま、それはそうか。
フラれる理由が確固たるものになったらしい。
イーファは続けた。
「……でもね。大切な気持ちはそのまま。あと、ホントのおにーちゃんになってくれてたんだね。ありがとう」
そういえば、コイツ。
向こうでもそんなこと言ってたっけ。
チッ。仕方ねぇな。
これからも兄貴してやるか。
あっ、名前は何て呼んだらいいのだろう。
「なっ、イーファ。これからは、たまには彩巴って呼んでいいか?」
「……向こうでも名前呼びしてなかったのに。ちょっと恥ずかしいからダメ。でも、まぁ……今だけは……いいよ。先輩」
彩巴は手を重ねてきた。
背中合わせで、手を重ねて。
俺たちは明日が来るのを待った。
——手にぬめる感触。
俺は気づいていなかった。




