第13話 勇者アーク。
イーファは、また俺の腕に抱きついた。
「おにい……、トロールって?」
基本的な魔物の知識は、イシュタルから教えられている。
「緑で巨人型の魔物だよ。恐ろしく頑丈で、怪力なんだ」
すると、イーファが腕に力を入れた。
トロールは、たった数人でどうにかできる代物ではない。近隣で暴れているなら、この家も安全とは言えない。
逃げなければ。
とはいえ、トロールがいる正面からは出られない。じゃあ、裏口は?
俺は裏口に行き、窓から覗いてみた。
すると、大きな狼のような生物が唸りながらうろついていた。
俺の後ろでアークが言った。
「あの狼はトロールよりもヤバい。やはり、逃げるには正面突破しかないようだな」
アークは、武器庫からアレンの剣を持ち出すと、腰に差した。シャインスター家に伝わる由緒ある剣だ。
正面突破は、危険すぎる。
「……明日まで待てば、アイツらいなくなるんじゃない?」
俺がそう言うと、アークは首を横に振った。
「結界が突破されてるんだ。……群れにはもっと強い魔物がいるかも知れない」
「でも、魔物でしょ? たまたま迷い込んだだけかも」
俺の言葉に、アークは答えた。
「いや、魔物のあの動き……まるで俺たちの逃げ道を塞いでいるみたいだ。ナーズ領主が絡んでいる可能性は高い」
「父さんに助けてもらうのは?」
「あいつらの狙いは、きっとこの家だ。そんな時間はない」
たしかに、アレンが異変に気づくのはきっと数日後だ。それまでこの家が無事とは思えない。
でも、もし、3人とも全滅したら?
シャインスターの家は途絶えてしまう。
『何の神様だって、お前は俺たちの息子だ』
アレンの言葉が脳裏をよぎった。
そうだよ。
長兄だけでも生き残れば……。
足手まといがいなければ、アーク1人なら逃げ切れるはずだ。
「兄さんだけでも逃げてよ。長兄なんだし次期当主になるんだろ?」
俺はそう言いながら思った。
アークの答えが分かってしまう。
俺は涙を拭った。
ずっと他人だった兄。そして、妹。
ここでの家族。
いつの間に他人じゃなくなったのだろう。
アークは肩に剣を置いておどけた。
「バカいうなっ。俺は当主なんてお前に押し付けて、世界を救う勇者になる予定なんだからよ。つか、騎士になった途端に弟と妹を見捨てて逃げるとか、普通にカッコ悪すぎるだろ」
ああ、やっぱり。
そういう答えだ。
「あはは。たしかに……」
アークは笑顔で答えると体を翻した。
剣を身体の正面で構え、そして、ゆっくりと口ずさむ。
「我が勇気は弱者のため、我が礼節は真実のため、我が命は神のため。……この剣は王のために。ルジルランドン•ミリティス……」
アークの身体が淡く光った。
これは騎士の誓いだ。
……初めて見た。
アークはドヤ顔でニヤッとした。
「どうだ? にーちゃん、カッコいいだろ?」
——俺はこの言葉を幼い時にも聞いたことがあった。あれはたしか……。
俺が近所の悪ガキにイジメられた時だ。俺がうずくまっていると、兄さんが悪ガキを追い払ってくれた。
俺は悔しくて情けなくて、顔を上げられなかった。
すると、アークが手を差し出してくれて「にーちゃん、カッコいいだろ?」って。今と同じ事を言った。
俺は日本では、ひとりっ子で、誰にも頼れなくて。イジメられても、ただただ蹲って嵐が去るのを待つしか無かった。
だから、アークの存在は、頼もしくて誇らしくて、すごく嬉しかった。
あぁ、そうか。
アークと俺はこうやって。
時間をかけて、家族になったのか。
ゴンッ。
鞘を投げ捨てる金属音で視線を戻した。
俺の目の前では、大人になったアークが剣を構えていた。
「あのデカブツを倒して突破するぞ。2人は俺についてこい」
言葉の終わりと同時に、アークはトロールに突っ込んで行った。
キンッ。
アークが剣を振り上げる音。
ドンッ。
トロールが先に棍棒を振り下ろした。
雷のような地響き。
地面の煉瓦が飛び散った。
俺はトロールを見上げた。
思った以上の巨大。5メートルはある。
アークは剣を両手で握る。
体が淡く光る。
アークの残像が残った。
空気を切る音がした。
トロールの左脇腹に剣が当たった。
ガキンッ。
鉄が岩に当たるような音。
剣はトロールの皮膚で止まった。
「いまだ!」
アークの叫び声。
俺はイーファの手を握り、トロールの脇を全力疾走で通り抜ける。
俺は振り返った。
トロールは同じように立っていた。
血すら流していない。
アークが剣の柄を握り、トロールの膝を何度も蹴っていた。
付き刺さった剣を抜こうとしていた。
しかし、剣は抜けなかった。
トロールは自分の左脇腹をみて雄叫びをあげた。見えない肌の腕の動き。
次の瞬間、アークは地面に倒れていた。
まるで、水面に投げられた飛び石みたいだった。
アークは動かない。
トロールは、アークの方に走った。
巨大な体躯に不似合いな俊敏な動き。
すぐさまアークに追いつき、左腕を踏みつけた。
ゴリッ。
アークの腕から鈍い音がして、呻き声を上げた。
トロールの巨体。
何トンあるのだろう。
「イオ、イーファを連れて逃げろ。俺もすぐに追いつくから……」
アークは必死に頭だけを上げて、そう言った。
左腕を踏みつけられて頭しか上げられないのに、追いつける訳がないではないか。
「おにい。アーク兄がしんじゃう!!」
イーファは泣き叫んだ。
俺は歯ぎしりした。
今はうずくまって泣いている時ではない。
俺にできる事。
何かないか?
何か……。
考えるまでもない。
俺はヒーラー。
俺にできることは、元より一つしかないではないか。
俺は聖印を切ると、両手を前に出して詠唱を始めた。目を閉じて集中する。
「……汝の身体は神の為に戦い、汝の心はいまだ一度の敗戦も知らず……」
バキッバキッ。
トロールが何かを食いちぎるような音が聞こえる。
「……彼は人の世の真理にて、人知らぬ世の不浄の摂理なり……」
「おにぃ。はやくっ!! アーク兄が死んじゃうぅぅ」
イーファの声だ。
錯乱している。
だが、今は詠唱を続けるしかない。
集中が途絶えたら、魔法が失敗してしまう。
「……医神レイピアの名の下に。汝……」
俺は詠唱を続けた。
(俺は、なんで並行詠唱を身につけなかったんだ。イシュタルにあんなに覚えろと言われたのに……)
「……不敗の決意に再び立つ力を与えん」
「ウッ」という小さな呻き声が聞こえたのを最後に、アークの声は途絶えた。
あと少し。
あと一節。
間に合えっっっ!!
「……ディオス•ヒール!!」
詠唱は完成した。
同時に聖印が光り、あたりに魔法が展開される。
しかし、俺が目を開けた時。
そこにあったのは、かつて兄だった何かだった。
動かないし、話さない。さっきまで笑っていた人間と同じだとは、とても思えない。
血の気が引いて、指先が震える。
回復魔法で治癒ができても、蘇生はできない。
今更、俺の魔法ではどうにもできない。
「アーク兄。アーク兄ぃぃぃー!!」
イーファの叫びで、トロールはギロリとこちらを見た。
心臓がドクンと動く。
俺は、泣き叫んで駆け寄ろうとするイーファを抱えた。
ただ俺はその場から逃げ出した。
アークのことを考えている余裕はなかった。
走って走って走って走って……。
背後からの騒音が聞こえなくなった頃、小さな倉庫を見つけた。入り口は開いていて、農具が見える。
中に入ると、子供2人が隠れられるくらいのスペースがあった。
「イーファ。とりあえず、ここに隠れよう。明日になれば、きっと助けがくるから」
何の根拠もない。
だが子供の俺たちには、とにかく心の拠り所が必要だった。
俺とイーファは、真っ暗な小屋の中で、背中合わせに座った。今は月明かりもない。外は真っ暗だ。
時々聞こえる獣の声に身体が震える。
俺とイーファは、狭い小屋の中で、ただ時間が過ぎるのを待った。
「アーク兄……うぅ…」
イーファが泣くと、俺は感触を頼りに妹の頭を撫でる。ずっとそれを繰り返した。
リーンリーン、
やがて、虫の声が聞こえてきて静かになった。
すると、いまさら、アークが死んでしまったと実感した。
俺が並行詠唱できれば。
逃げながらヒールできれば、きっと。
アークが死んだのは、俺のせいだ。
「おにい?」
俺の様子が変だと思ったのだろう。
イーファが心配そうな声を出して、俺に身体をくっつけた。
「だってそうじゃないか。あんなに時間がかかる詠唱じゃ、誰も助けられるわけない」
「……イオ?」
イーファが手を握ってきた。
でも、俺は言葉を止められなかった。
「……ヒールなんて、ほんと外れ神の外れスキルじゃん。カス職って、ほんとそのまんまじゃねーかよっ!!」
俺は無力すぎる。




