第12話 静かな夜の聖戦。
俺は、イーファの手を引いて階段を降りた。
妹の小さな手は震えていた。
小さな子供の頃を思い出す。
場違いだが、懐かしい感じがした。
夜のこの家は、すごく暗い。
ローソクを頼りにキッチンに向かうと、イーファは窓の外を指差した。
指先が震えている。
俺は音を立てないように窓に近づいた。
すると、窓の外に何かが見えた。
青白くて、ヒラヒラしている。
アレは……イシュタルに聞いたレイスにそっくりだ。
だとしたら、幽体。
窓が閉まっていても普通に家に入ってくるぞ。
アストラルに物理攻撃は効かない。
しかも、UTSSOのレイスは即死スキル持ちだった。イシュタルがあれほど警告するほどの危険度。レイスが強力な即死スキルを使う可能性は……高い。
気づかれたら終わりだ。
逃げられないなら、先制攻撃しないと。
俺の手札は?
何なら有効?
魔法攻撃。中でも有効なのは、白魔法……光の聖属性魔法だ。
だが、回復魔法と光属性魔法は、同じ白魔法なのに別の系統だ。
つまり……医神レイピアと契約している俺には光の魔法は使えない。
左腕にギュッとした感触。
イーファは守る。
だから、やるしかない。
どちらも神の陣営の白魔法だ。
前にイシュタルが「神同士の仲がいい場合には、契約がなくても力を使えることがあるの」、そんなことを言っていた。
俺の主神はレイピア。
大神オルディスの尻を刺した神。
俺は首を横に振った。
悪魔の力を借りる黒魔法とは違う。
もしかすると、ワンチャンいけるかも知れない。
光属性魔法なら、倒すのは無理でもイーファを逃す時間くらいは稼げるだろう。
俺は左手で聖典をひろげて、右手で聖印を切ると、ルークスの聖句を読み上げた。
「……降りそそげ浄化の星。光の女神ルークスの名の下に。迷える命。迷える死。迷える生。迷える怨嗟……、汝、星の如く砕け散れ。レディトゥス•アストラーティス」
マナの収束を感じる。
……いけるかも。
…………。
だが、何も起きなかった。
「レディトゥス•アストラーティス!! ……アストラーティスッッ!!」
……やはりダメか。
マナは吸われたのに、聖印も出てこないし発動の手応えもない。魔法は発動しなかったみたいだ。
でも、それはそうか。
俺にはルークスとの契約もないし、レディトゥス•アストラーティスは中級魔法だ。
にわかの異教徒に許してくれるほど、女神様は優しくなかった、ということか。
ふわっ。
窓の外の白い陰がゆらりと動いた。
射程範囲に入ったら、俺らはきっと即死だろう。
この世界で死んだらどうなるんだろう。
おれは別にいい。どうせ一度死んだ身だ。
だけれど、イーファは?
すると、レイスらしき影がゆらりと近づいてきた。
イーファ。
守れなくてゴメン。
「イーファ!!」
俺は、目をギュッと瞑ってイーファを抱きしめた。
「…………え?」
あれ。何も起きない。
目を開けると家の中だった。
どうやら、俺たちはまだ生きているらしい。
俺は、恐る恐る窓の外を見た。
すると、窓から何かが覗き込んできた。
「うわっ!」
俺とイーファは尻餅をついた。
視線を戻すと窓の外に、兄のアークがいた。
ニヤニヤして、窓にへばり付いている。
その右手には白い布が握られていた。
さっきの影は、コイツの仕業かよ。
タチの悪いジョークだ。
さすがアレンの血を引いているだけのことはある。
でも、なんで?
アークは叙任式に行ってるはずだろ?
アークは忍足で家に入ってきた。
イーファは目をつぶっていて、まだアークに気づいていない。俺の左手をギュッと握っている。
「……おにい……」
なんだか、初めて妹っぽいぞ。
コイツにも少しは可愛いところがあるんだな。
すると、アークはしたり顔で言った。
「ちょっと心配になってな。先に帰ってきたんだが、手なんて繋いじゃって……。俺が居ない間に随分と仲良くなったじゃないか」
その声でイーファはようやく気付き、バッと手を離した。頬を真っ赤にして、なにやら前髪をペタペタと直している。
俺は首筋をかいた。
さて、アークに聞かないと。
「兄さんは叙任式だろ? なんでこんなとこにいるのさ?」
アークは手刀をつくり、額にかざした。
「あぁ。叙任を終えて先に戻ってきたんだよ。イオ、ナインエッジ帝国は分かるよな?」
こんなに早く戻るには、相当な無理をしたはずだ。なぜそこまでして?
「ああ。東の隣国だろ?」
「ナーズの小領主がナインエッジに調略されたという密告があってな。もしそれが本当であれば、両方に接している我がシャインスターも戦禍に巻き込まれるおそれがある。それで早馬を飛ばして帰って来たってわけさ」
この国の統治は封建制に似ている。
シャインスターのような小領主は大領主様に仕え、大領主様は王様に仕えている。
「ナーズって、うちと同じシリタット地方じゃん」
「そうだ。ナーズが離叛したら、大領主のシリタット伯爵様は、かなり立場が悪くなる」
俺も、ナーズ領主が現王に不満を持っているという噂を耳にした事があった。
でも、まさか父さん達が不在のこのタイミングで?
そんな偶然は、あり得るのか?
「父さんはまだ大領主様のところなの?」
「そうだ。シリタット地方での離叛がナーズだけとは限らないからな。シリタットの大領主様と対策会議をしている。ま、ここは平和そうだし、とりあえずは杞憂だったかな」
他の小領主も離反すれば、ここシリタット地方は大混乱になる。
なるほど。
それでアークは戻ってきたのか。
俺とイーファの顔を見て、アークは笑った。
「兄さん、大変だったでしょ? まずは、お茶でも……」
俺がそう言いかけた時。
ドスン!!
地面が揺れた。
家の外から「わぁぁぁ」と人間の叫び声が聞こえた。
「ちょっと様子を見てくる」と言って、アークは外に出ていったが、すぐに戻ってきた。
戻ってきたアークの顔から笑みは消えていた。
顔面蒼白だった。
アークは掠れた声を振り絞るように言った。
「トロールだ。外にトロールがいる……」




