第11話 村ヒーラーでいれた最後の夜。
俺はイーファの肩を抱き寄せた。
「お前のことは、俺が必ず守るから」
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——その数日前。
俺とイーファは10歳になっていた。
「兄さん、いってらっしゃい」
ある早朝。上の兄のアークが騎士に叙任されるので、俺とイーファで見送った。
アークは数日の間、大領主様のところに行く。両親と使用人のセールも同行しているので、今、この家には俺とイーファの2人だけだ。
そんなある日。
俺は迷っていた。
この世界には幼名の慣習があり、14歳で成人すると名前を変えることができる。もちろん、しなくてもいい。
……伊織に戻そうかな。
あっちの親との思い出は少ないけれど、名前は親が遺してくれた数少ない物のひとつだ。
俺は野菜を洗いながら、イーファに聞いてみた。
「イーファは14歳になったら、名前を変えるの?」
イーファは、木製の長椅子にゴロゴロしている。
「んー。迷い中。っていうか、変えるとしてもバカには教えないし」
ちなみに、バカとは俺のことだ。
つか、愚妹よ。
お前も少しは料理を手伝えよ。
「イーファも料理を覚えた方がいいぜ?」
「イオと違って訓練で忙しいだけ。本気出せばできるし」
って、お前。
昨日、その練習すらサボって、アークに怒られてただろ。
「はぁ」
心の中のツッコミが止まらない。
そんなわけで、親が居ない時の食事は、いつも俺が作る。
昔は、頼めば簡単な手伝いはしてくれたのに、今や頼んでも何もしてくれない。
「なぁ、少しくらいは手伝ってくれよ」
イーファは、こちらを見すらしない。
「名前に様をつけて、ウチの靴を舐めるなら手伝ってあげてもいいけど?」
いやぁ、ほんとムカつく。
あっち(日本)の友達が「妹とか滅びろ。マジうざい」と言っていた。
俺は一人っ子だから、酷いこと言うなぁ、と思ったけれど、今は、友達の気持ちがよく分かる。
むしろ「滅びろ」でも生ぬるい。
時々、鍋をかき回しながら、丸椅子に座って本を読む。一章を読み終えたところで、香草の良い匂いがしてきた。
「良い感じだ。あとは、盛り付けるだけか」
今日のメニューは、野菜と干し肉を牛乳で煮たシチューだ。
鍋をテーブルの中央におき、神様にお祈りをしてから、木の小皿にパンを浸して食べる。
すると、イーファは口に頬張りながら言った。
「アンタの料理、微妙だけど。これだけは美味しいよね。他のももっと練習しなよ」
「大きなお世話だ。つか、明日から各自で自炊よろしく」
イーファの手からパンが落ちた。
「そんなこと言わないでよ。明日からはウチも心をいれかえて、イオが土下座すれば、手伝いもするし……。それに、ウチ、好きだよ? このシチュー」
こいつ。
ホントにブレないな。
「……ごちそうさまでした」
俺が片付けを終えてテーブルに戻ると、イーファは長椅子にゴロゴロしていた。片手で自作の本を持って、尻のあたりをポリポリとかいている。
「もっとフワフワの椅子ほしくない? ゴロゴロしてるとお尻とか痛いんだけど。イオ、道具屋に行って何か買ってきてよ」
そんなに欲しいなら、自分で行けよ!
我が妹ながらに怠惰すぎる。
俺の知る限り、古代の人も中世の人も。
懸命に生きていたはずなんだけど。
実際は違ったのかもしれない。
だってコイツ、ダメ人間そのものだし。
「……エヘヘ。イヒヒヒ。そんなのダメだよぉ」
きしょっ。
コイツ、自分で書いた本を読みながら1人で笑い始めたぞ。最近、イーファは恋愛小説の執筆にハマっているらしいのだが、最新作は男性同士の恋の物語だとかなんとか。
日本で言うところのBLだ。
イーファは見た目が良いだけに、残念度が増す。
イーファは本を読む手を止め、こっちを見た。
青くて透け感のある瞳がキラキラしている。
「ちょっと、イオ。ジャガイモを薄く切って揚げて塩振って持ってきて」
「……は?」
……普通にポテチじゃん。
ダメ人間は、どの世界にいてもジャンクフードに行き着くものらしい。
ポテチを生み出すその想像力。
ある意味、すげーわ。
「揚げは危ないから、炒めになるぞ」
俺は、イーファにポテチを与え、自分の部屋に戻った。
さて。
俺も本でも読むか。
すごく静かだ。
暖炉の音と虫の音しか聞こえてこない。
俺は、こんな1人の時間が好きだ。
カップから立ち上る紅茶の湯気を嗅いでから、地理書に目を落とした。
シャインスター領があるグレイック王国のページは……ここか。どれどれ。
「グレイックの東にはナインエッジ帝国がある。グレイック王国とナインエッジ帝国は敵対関係にあるが、奴隷売買を始め民間レベルでの交流は行われている」
……奴隷か。
日本にいた俺には実感がない。だが、あっちの世界にもまだ強制労働や強制結婚はあった。
「ふぅ……。こっちも向こうの歴史と似たり寄ったりだ。世界史の授業をもっとちゃんと聞いておけば良かったよ」
本棚を見ると、銀縁の分厚い本が目に入った。
イシュタルに借りた光の女神ルークスの聖典だ。
イシュタルは、少し前から論文を書くために大学に戻っている。年明けにはまた来てくれるらしいけれど。
1月は雪もたくさん降るし。
次に会えるのは、しばらく先だろう。
イシュタルは元気にしてるかな……。
授業のノートを開いた。
パラパラとめくると、『並行詠唱』の単語で目が止まった。
並行詠唱は、イシュタルが覚えた方が良いって教えてくれたけれど、結局、身につけられなかった。
——訓練では随分と走らされた。
「はぁはぁ。イシュちゃん、走りながら瞑想するとか、無理だよぉ」
「頑張って。これができれば、逃げながら魔術が使えるようになるし」
「無理無理。威力も落ちるし、俺は村で治療院でもやるつもりだし、そんな技術はいらないし〜」
俺は訓練を投げ出してしまった。
並行詠唱の訓練に時間を使うくらいなら、他の魔術の練習をした方が、よっぽどタイパが良いと思ったのだ。
いや、それは言い訳か。
俺は次男だ。
長男のアークは優秀で、俺の出る幕なんてない。だから、それを言い訳にして逃げ出してしまったのだと思う。
この世界に来て、人生をやり直しているのに……。性根は昔のままだ。
「ほーほー」
ホロフクロウの鳴き声だ。
もう21時過ぎか。
暖炉の火が小さくなってきた。
蝋燭の炎も、揺らめきを大きくしている。
BL好きな愚妹は放っておいて、そろそろ寝るか。
俺は蝋燭に手を伸ばした。
すると。
ドンドン!!
ドアがノックされた。
「い、い、いお、イオ。で、でたのぉっ!!」
イーファか。緊迫した声だ。
何かあったのか?
この世界は、意外に平和だ。
動物は人間との棲み分けをわきまえているから、無意味に民家にダイブしてきたりはしない。
ということは、……魔物?
俺は部屋から飛び出した。
「どうした? イーファ」
「で、でたのっ!! お、お、おばけ……」
イーファの顔は真っ青だった。
いつもの不遜な態度が嘘のように弱々しい。
俺の腕に抱きついてきた。
手は冷たくて、プルプルと震えている。
(こいつ、お化けが苦手なのか)
この家の周囲にはイシュタルが魔除けの結界を張ってくれている。魔物が出るとは考えにくい。
だから……。
出たのは結界を突破できる強さの魔物ということになる。この時間帯ならゴースト系か?
イシュタルの言葉が脳裏をよぎった。
「シャインスター村があるシリタット地方には、稀に強力なアンデットが出ることがあるの」
「でも、イシュちゃんが結界をしてくれてるでしょ?」
イシュタルは首を横に振った。
「例えば、レイスやリッチみたいな上位モンスターは防げない。つまり……」
「つまり?」
「この家に魔物が出たら、逃げること! 間違っても戦っちゃダメ」
「……イオ?」
視線を戻すと、イーファが心配そうに見上げていた。左腕にギュッと抱きついている。
レイス? リッチ?
そんな化け物に、俺らが勝てる訳がない。
俺はイーファの頭をポンポンとした。
「どこに出た?」
「1階の、ま、窓の外」
俺はイーファの肩を抱き寄せた。
「お前のことは、俺が必ず守るから」
俺は机にあったナイフを手に取った。
ふと、さっきの聖典が目に入った。
……念の為、これも持っていくか。




