第1話 世界に星が落ちた。
カタカタカタ……。
「先輩っ。相変わらずタイピング速いっすねー!!」
後輩の渡貫はそう言いながら、大量のガムを口に放り込んだ。
俺は時計を見た。
午前10時だ。
(アップデートまで、あと2時間か)
ここは、オンラインゲーム「Under The Shining Stars Online(略名:UTSSO)」の運営会社だ。今日は大型アップデート当日で、フロア中はいつになく騒がしい。
俺はその運営チームで、バグとプレイヤーを相手にしている。
「おい、渡貫。サービス開始までに休憩とっとこうぜ」
すると、部長が出てきて、社員に怒鳴り散らした。
(やべぇな。アップデート前はいつもこうだ。早く休憩に入らないと)
「おい。早くしないと置いていくぞ。部長につかまっても知らんからな」
俺の言葉を聞くと、渡貫はマウスで何か操作し、机の下からゴソゴソとブーツを引っ張り出した。
「ち、ちょっと伊織先輩っ。これチャックが引っかかって……。待ってくださいよぉ」
渡貫はタタタッと駆けると、俺の横に並んだ。
彼女、渡貫 彩巴は、職場の後輩でネトゲガチ勢だ。
渡貫は小さい。
横に並ぶと、俺の肩にすっぽり隠れてしまう。
「どうしました?」
渡貫は髪をかき上げた。
サラサラな髪が、滑り落ちる。
レンズの厚いメガネのせいで、正直、顔立ちはぼやけて見える。それでも、隠れ美人っぽい雰囲気はあるのだが。
「やたらこだわりが強いし、なによりも性格がな……」
「ん。先輩、何か言いましたか?」
「お前って、絶対にメガネ外さないよな」
「ふふっ。聞いちゃいます? これ外しちゃうと、男共が土下座しちゃうんです」
「……目つき悪いとか?」
「ひっどーい。魅力でですぅ」
男は苦手だという噂だが、何故か俺には懐いてくる。渡貫が腕を組んできた。
「お前なぁ。男は勘違いするから、そういうのやめろよ」
「ウチ、男の子の友達いないし、そもそも勘違いする相手が存在しないです」
そう言って、渡貫は笑った。
そのまま俺の顔を見つめてくる。
「先輩っ、今やってるBLゲームでガチの攻略対象が落ちないんですが、どうしたらいいですか?」
はぁ……。
俺だって、普通にデートしたり、ちゃんと恋愛できる相手を選びたい。
なにせ初彼女だからな。
厳選したい。
いくら話しやすくても、渡貫だけはナイ。
仕事目線でみれば、週末自社ゲーム漬けなのは悪くない。
「渡貫。お前の生活ってゲームばっかりだよな?」
「そういう先輩だってゲーム会社で働いてるし。仕事中だってゲームに入って監視したり、運営コマンドでトラブル解決したり。それこそ公私混同でゲーム漬けじゃないですか?」
「確かに違いない」
「戻ったら、ビルダーでログインチェックするけど、準備はできてる?」
「任せてください! 新規アイテムのIDとか、既に頭に入ってますから」
渡貫はそう言うと胸を張った。
エレベーターホールで待っていると、何人かの社員が非常階段を駆け降りてきた。
アップデート当日とはいえ、少し殺気だちすぎじゃないか?
渡貫は時計を見た。
「先輩、エレベーター遅すぎませんか?」
「渡貫、来月からGMだったよな。入社2年で優秀だよ。メンターとしては誇らしいぜ」
渡貫のことは、新人の頃から俺が指導してきた。
すると、渡貫は俺の左肩を人差し指でつついた。
「伊織先輩だって、その歳でヘッドGMでしょ? チームのトップじゃないですか。すごすぎっ」
「いや、完全に運でしょ……。前任者が出社拒否になっただけだし」
「そうかなぁ。教え方うまいし、優しいし。ウチ、もし先輩みたいな人がお兄ちゃんだったら……」
これは、ワンチャンあるのか?
「もしかして、もし、俺がお前を好きとか言ったらワンチャンあったり……?」
渡貫は満面の笑みになって、舌をペロッと出した。
「うーん。ウチ的には、ワンチャン……ないですっ!! って、キャッ……」
俺は、突き飛ばされた渡貫の肩を支えた。
柔らかい肩。
良い匂いがする。
「大丈夫か? それよりもこれ……」
階段の方を覗くと、人が溢れかえり、騒然としていた。
「やべぇぞ」
そう叫びながら、数名が全速力で階段を駆け降りて行った。
「火事か?」
「あ、でもここ30階ですよ?」
火事なら、自力で地上まで降りるのは絶望的だ。人の濁流の中、渡貫を連れて行くのは厳しいだろう。
それなら、屋上の方が遥かに近い。
俺は渡貫の手を握った。
人混みを掻き分け、流れの上流に向かう。
屋上に続くドアが開いていて、真っ赤な光が差し込んでいる。
光?
今日は曇りだぞ。
それにあの色。
手に力を入れた。
渡貫の手の甲が湿っている。
屋上に出ると、空に巨大な雲が渦を巻いていて。その中を、溶けたマグマのように赤い光が尾を引いて流れていた。
まるで、太陽が一つ増えたみたいだ。
「先輩っ。あの星……」
「いや、今は昼だぞ! 星なんて」
渡貫は空を指差した。
「だって、あれ。あれ……あの赤いの、こっちに向かって一直線……」
ゴゴゴ。
凄まじい轟音で、俺は空に視線を戻した。
流れ星の中で一際大きな一つが、こっちに向かって一直線に落ちてきていた。
それはホントに一直線に……。
みるみる大きくなって、すぐに月よりも大きくなって……。
え?
落ちる?
脳裏に今朝のニュースがよぎった。
「今日は1000年に一度の大流星群が接近します。世界各地で世紀の天体ショーが観測されると思われ、政府見解によれば危険はなく……」
——危険は、ないはずだろ?
「渡貫っ!!」
俺は渡貫を抱きしめた。
耳を裂くような轟音で、世界がひしゃげる。
肌のすぐ外側まで、焼けた鉄を押し当てられたみたいな熱が迫ってきた。
渡貫が俺に抱きついてきた。
嵐のような風にあおられて、髪を押さえようとする。すると、渡貫の手からメガネが抜けて、空中に放り出された。
こいつ、こんな顔だったんだ。
思った通りじゃん……。
渡貫が叫んだ。
抱きつく腕に力が入る。
「先輩っ! ウチ、先輩のこと、ス……」
鉄が焼けるような匂いがして、左腕から渡貫の感触がなくなった。
俺はその言葉の続きを聞くことができなかった。
——もし、神様というものが本当にいて、何か一つだけ願いを叶えてくれるのなら。
俺は、もう一度、渡貫に出会って、言葉の続きを聞きたい。
だが。
轟音と灼熱に包まれ。
世界は壊滅的な被害を受けた。
——どこからか声が聞こえる。
「レイピアの名の下に命ずる。死神よ、その大鎌をとめよ……」
これは俺と渡貫が、異界の地でまた出会い。
長い長い旅に出る物語だ。




