第3話 ピカピカにしたら、ご褒美がもらえました
「しばし、お待ちを!」
呆気にとられているカイ様と、部屋の隅に控えていた初老の執事さんをその場に残し、私は決意を胸に窓辺へと突き進んだ。
私の手には、愛用の羽根ハタキ『ピヨちゃん』 と、スカートのポケットから取り出した磨き布、そして侍女長のマーサさん特製の洗浄液が入った小さなスプレーボトルが握られている。
気分はさながら、汚れという名の悪に立ち向かう騎士だ。
「まずはカーテンの埃から…ピヨちゃん、お願い!」
フサフサの羽根で優しくカーテンを撫でると、目には見えないほどの細かなチリがふわりと舞い上がる。それを私の「浄化」スキルが包み込み、キラキラとした光の粒子に変えて消滅させていく。
次に、長年開かずの窓だったのか、固く閉ざされた窓枠を渾身の力で押し開ける。ギギギ……と悲鳴のような音を立てて開いた窓からは、どんよりと灰色がかった外の空気が流れ込んできた。
「よし…!」
私は気合を入れると、まずは磨き布で窓ガラスの表面にこびりついたガンコな汚れを拭い、仕上げに特製スプレーをシュッとひと吹き。
そして、乾いた布で一気に磨き上げた。
その瞬間、だった。
「……まぁ!」
私の目の前に信じられないような光景が広がった。
今まで灰色一色にしか見えなかった窓の向こうに鮮やかな世界が現れたのだ。
遠くには、険しいながらも荘厳な雪山が連なり、その麓には広大な針葉樹の森が広がっている。まるで、今まで汚れたガラス越しに見ていた絵画が突然本物の風景に変わったかのようだった。
「すごい…!なんて美しい景色なんでしょう!」
夢中で窓を磨いていた私は、感動のあまり思わず声を上げた。空気が澄んでいれば、こんなにも素晴らしい景色が見える場所だったなんて。
「…信じられん」
ふと、背後から絞り出すような声が聞こえて、私ははっと我に返った。振り返ると、そこには先程よりもさらに大きく目を見開き、窓の外の景色と私を交互に見て、わなわなと震えているカイ様の姿があった。
その隣では、老執事さんが口元に手を当てて、目を潤ませている。
「な、なぜだ…。なぜ、あの呪われた『嘆きの森』が、あんなにも輝いて見える…?瘴気はどこへ消えた…?」
カイ様が呆然と呟く。
え?嘆きの森?呪われてる?
私にはただの綺麗な森にしか見えないけれど。
「君は……一体、何をした?」
氷の眼差しが、今度は戸惑いの色を浮かべて私を射抜く。
その真剣な問いに、私は胸を張って答えた。
「はい!心を込めて、磨き上げました!」
「…………心を込めて……?」
「はい!汚れの種類を見極め、適切な道具と手順で、愛情を込めて拭き上げるのがお掃除の基本でございます!」
私が得意げにそう言うと、カイ様はしばらく何かを考えるように押し黙り、やがて、ふぅ……と長いため息をついた。
その表情は、先程までの冷たさが嘘のように、どこか吹っ切れたような、それでいて熱を帯びたものに変わっていた。
「…そうか。君は、そういう人間か」
何が「そうか」なのか、私にはさっぱり分からなかった。けれど、次の瞬間、カイ様の口から飛び出したのは、予想だにしない言葉だった。
「アリシア嬢。君を、私の専属侍女として雇おう」
「へ?」
専属侍女?追放されてきた罪人の私を?
「仕事内容は、この屋敷の清掃、管理の一切。君のやり方で、この屋敷を『浄化』してほしい」
「じょ、浄化、ですか?」
「あぁ。君が先程、窓でやったことだ」
どうやらカイ様は、私のお掃除テクニックをいたく気に入ってくださったらしい。
なんという幸運!辺境送りの追放刑が、まさかの好待遇での再就職に変わるなんて!
「給金は望むだけ出そう。必要な道具も全て揃える。住む部屋も用意する。……ダメか?」
最後の言葉が、なぜか少しだけ不安そうな響きを帯びていたのは、気のせいだろうか。まるで、高価なおもちゃをねだる子供のような瞳で見つめられ、私が断れるはずもなかった。
「い、いえ!滅相もございません!謹んで、お受けいたします!このアリシア、身命を賭して、このお屋敷をピカピカに磨き上げてみせます!」
私の返事を聞いたカイ様は、その無表情な顔に、ほんのわずかだが、満足そうな笑みを浮かべたように見えた。




