第20話 西の塔の罠
リリア嬢の言葉をすっかり信じ込んだ私は、ウキウキとした気分で西の塔へと向かっていた。
(王子様直々のお掃除相談なんて、光栄だわ!きっと、王城の謁見の間にある、あの巨大なタペストリーの洗濯方法についてかしら?それとも、宝物庫の銀製品の黒ずみ対策…?)
私の頭の中は、これから披露するであろうお掃除テクニックのことでいっぱいだった。
西の塔は、本館から少し離れた場所にあり、あまり使われていないだけあって、廊下の隅にもうっすらと埃が積もっている。
ああ、お掃除したい!
でも、まずは王子様との約束が先だわ。
言われた通り、塔の最上階の部屋の扉を開けると、そこには窓からの月明かりに照らされたエドワード王子が一人で立っていた。
「お待ちしておりましたわ、王子様!王城のお掃除に関するご相談と伺いまし…」
「黙れ」
私の言葉は、低く冷たい声によって遮られた。振り返った王子の顔は、私が今まで見たこともないほど歪んだ欲望の色に染まっていた。
「いつまでも、調子に乗っているなよ、追放された女が…。カイ辺境伯に色目を使って、聖女などと祭り上げられ、いい気になりおって」
「え…?」
状況が理解できない私に、王子は下卑た笑みを浮かべながら、一歩、また一歩と近づいてくる。
「だが、それもここまでだ。今からお前は、俺を誘惑した罪で裁かれることになる。安心しろ、俺の情婦にしてやってもいい」
「な、何を…」
私が後ずさった、その時だった。
「きゃあああ!王子様、大変です!」
リリア嬢の甲高い悲鳴と共に、部屋の扉が勢いよく開け放たれ、数名の騎士たちがなだれ込んできた。彼らは、私と王子が二人きりでいるのを見て、わざとらしく驚いた顔をしている。
完璧な段取り。これが、彼らの仕掛けた罠だったのだ。
「アリシア!貴様、王子殿下に何ということを!」
「見なさい!この女が、王子様をここまで誘い出したのですわ!」
リリア嬢が勝ち誇ったように叫ぶ。
絶体絶命のピンチ。…のはずだった。
しかし、その瞬間、予想だにしなかった救世主が現れたのだ。
「へ、へ、へっ…」
エドワード王子が突然奇妙な声を漏らした。
「へっくしゅんッ!!」
静かな塔に、盛大なくしゃみが響き渡る。
一度ではない。
「へっくしゅん!ぶえっくしょい!!う、目が、鼻が……!」
そう。この西の塔の部屋は、長年使われていなかったせいで、おびただしい量の埃が積もっていたのだ。リリア嬢と騎士たちが駆け込んできたことで、その埃が一斉に空気中に舞い上がった。
極度の「埃アレルギー」であるエドワード王子が、この環境に耐えられるはずもなかった。
彼は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、その場で蹲ってしまった。
そんな王子と、呆然とするリリア嬢たちを尻目に、私の目は、部屋の隅に積もった、見事なまでの埃の山に釘付けになっていた。
「まぁ…!なんてことでしょう!」
私の声は、絶望ではなく、歓喜に打ち震えていた。
「こんなに素晴らしい埃が積もっているなんて!まるで、埃の芸術品ですわ!王子様、お苦しいでしょう!今すぐ、この部屋をピカピカにしてさしあげます!」
私はスカートのポケットから愛用のハタキ『ピヨちゃん』と磨き布を取り出すと、水を得た魚のように、部屋中のお掃除を開始した。
私の「浄化」スキルが部屋に充満した埃と瘴気を、瞬く間に光の粒子へと変えていく。
あっという間に、部屋の空気は清浄なものへと生まれ変わった。すると、王子のアレルギー症状もピタリと治まる。
「…あれ?」
涙と鼻水から解放された王子は、すっきりとした顔で辺りを見回した。浄化された空気は、彼の頭にこびりついていた嫉妬や劣等感までも洗い流したようだった。
彼は、自分がしようとしていたことの愚かさと、リリア嬢の浅はかな策略に、はっきりと気づいてしまったのだ。
その、絶妙なタイミングで。
「アリシアッ!」
部屋の扉が、今度は蹴破られんばかりの勢いで開かれた。そこに立っていたのは、氷の怒りをその身にまとった、カイ様だった。
「……何の、騒ぎだ」
カイ様は、私と、そしてすっかり大人しくなったエドワード王子を交互に見ると、その蒼い瞳に、嫉妬の炎を静かに燃え上がらせた。




