第18話 王子の癇癪
「このお皿も、わたくしが特別な磨き粉で仕上げましたの。光にかざすと、虹色に輝いて見えませんこと?」
私の純粋な問いかけが、最後の引き金となったらしい。エドワード王子の顔が、怒りで見る見るうちに真っ赤に染まっていく。
「き、貴様ぁ…!いつまで、ふざけているのだッ!」
ついに理性の糸が切れた王子は、ガタンッと音を立てて椅子から立ち上がると、私に向かって手を振り上げた。
テーブルの上の食器をなぎ払おうとしたのか、あるいは私自身に何かをしようとしたのか。
その手が私に届くことは、なかった。
パシッ!
乾いた音が響く。王子の振り上げた腕は、その寸前で鋼のような力で掴み止められていた。
カイ様の手によって。
「……それ以上は、許さん」
地を這うような低い声。それは、私が今まで聞いたこともないほど冷たく、そして怒りに満ちた声だった。カイ様の蒼い瞳が、絶対零度の光を宿して、エドワード王子を射抜いている。
「王子殿下。私の客人に、その汚れた手を触れようなどとは、万死に値する。…どのような、覚悟がおありかな?」
カイ様から放たれる凄まじい威圧感に視察団の役人たちは青ざめ、リリア嬢でさえ息をのんでいる。
そんな一触即発の状況で、私の脳内は、目の前の光景を極めて平和的に変換していた。
(まぁ!王子様、この美しいお皿に感動するあまり、思わず手を伸ばしてしまったのね!そして、その勢いでうっかりお皿を落としてしまわないように、カイ様が咄嗟に腕を支えて差し上げたんだわ!)
なんて素晴らしい連携プレー。
そして、なんて機転の利く上司なのでしょう、カイ様は。
「カイ様、ありがとうございます!」
私はぱあっと顔を輝かせると、カイ様の後ろからひょっこり顔を出した。
「王子様、どうぞどうぞ!心ゆくまでこの虹色の輝きをご覧くださいませ!わたくしの最高傑作の一つですのよ!」
私の能天気な一言に、部屋中の全ての人間が固まった。
激昂していた王子の怒りは、行き場を失って空中で霧散し、その顔は怒りから困惑、そして屈辱へと色を変えていく。カイ様の放っていた殺気立ったオーラも、一瞬だけ揺らいだように見えた。
場の空気が完全に変わった。
王子の癇癪は、ただの子供じみたヒステリーのように見え、それをいなすカイ様の姿と、純粋な私の言動が、この場の主導権がどこにあるのかを決定づけていた。
「…お分かりいただけましたかな、王子殿下」
カイ様は掴んでいた腕を静かに離すと、冷ややかに言った。
「聖銀と聖女について。それをお知りになりたいのであれば、まずは客として、礼節をわきまえていただきたい。話は、それからです」
反論の言葉をエドワード王子は持たなかった。彼は屈辱に唇を噛み締め、リリア嬢に支えられるようにして、その場に崩れ落ちる。
視察の初日は、こうして王子一行の完敗という形で幕を閉じた。
彼らが客室へと引き下がった後、カイ様は静かに私の方へと向き直った。そして、その大きな手が私の頭にぽん、と優しく置かれる。
「…よくやった、アリシア」
そのまま労わるように、ゆっくりと私の髪を撫でてくれた。突然のことに驚きながらも、私の心は温かいもので満たされていく。
(まぁ!カイ様が、私のお皿磨きの腕前を『よくやった』と褒めてくださっているわ!頭まで撫でてくださるなんて、最高の上司だわ!)




