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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

鏡の向こうの私

作者: 葛西 

【始まり】

その日、私はいつも通り、朝のコーヒーを入れていた。

蒸気が立ちのぼるマグカップを見つめながら、ふと妙な既視感に襲われた。カーテンの隙間から差し込む光、薄く開いた窓、遠くから聞こえる救急車のサイレン。どれも、昨日とまったく同じだった。いや、もっと言えば、「昨日の朝」として記憶している情景と、まったく寸分違わぬ再現だった。

「……夢かな?」

私は自分の頬を軽く叩く。現実感はある。夢ではない。

だが、違和感は消えなかった。


鏡の前に立ち、寝癖を直そうとしたときだった。洗面所の鏡に映る自分が、一瞬だけ――「遅れて動いた」。

まるで、こちらの動作を見てから反応するように、ほんのわずかにタイムラグがあった。

その動作は一瞬で、次の瞬間にはいつも通りの“私”がそこに映っていた。だが、背筋が凍るような感覚が残った。

「……気のせい、だよね」

私はそう自分に言い聞かせ、朝の支度を続けた。会社に遅れるわけにはいかない。

しかし、その違和感は、職場でも続いた。


「昨日、残業すごかったな。あれから何時に帰ったの?」

同僚の斎藤が声をかけてきた。

「え? 昨日は……定時で帰ったけど?」

「は? ウソでしょ? 夜の九時半くらいまでデスクにいたじゃん、話しかけたのに完全無視されたって。疲れてたの?」

私は混乱した。昨日、定時に退社し、帰りにスーパーで食材を買い、家でNetflixを見て寝たはずだ。

「……いや、私、六時にはもう家にいたよ」

「なに言ってんの。……まぁ、疲れてるのかもな」

斎藤は苦笑して去っていったが、私はぞっとした。

――じゃあ、あのとき、彼が見た「私」は、誰?


第一章:侵食

家に帰ると、リビングの照明がついていた。

「……あれ? 朝、消していったはず」

疲れていたせいかもしれない。玄関に鍵はかかっていたし、他に変な様子はなかった。ただ、違和感は続いていた。

私はスマホを取り出し、履歴を確認する。アプリの位置情報を見ると、昨日の夜——自宅にいるはずの時間帯に、職場近くにいた記録が残っていた。

「こんなの、嘘でしょ」

GPSがバグったのかと思った。しかしその後、Amazonの注文履歴に、見覚えのない商品があった。

——「防犯カメラ・双方向音声対応・即日配送」。

発送は今日の午前。届いたはずだ。

リビングの棚を開けると、小さな箱が丁寧に置かれていた。

私は震える手でそれを開けた。そこには新品のカメラと、「初期設定済み」と書かれたメモが入っていた。

誰が、何のために。

私は恐怖と好奇心がせめぎ合う中、そのカメラを設置することにした。もしかしたら、自分の思い違いを証明できるかもしれない。記憶が正しければ、夜は家にいた。それを、録画で証明すればいい。


夜。ベッドに入っても、眠気はなかなか訪れなかった。部屋のどこかで「誰かに見られている」ような気がして、何度も身を起こした。

午前二時。眠れぬままにスマホを開き、さっき設置したカメラのライブ映像を確認した。

その瞬間、心臓が凍りついた。

映像の中で、私が、キッチンに立っていた。

――料理をしていた。包丁を動かし、何かを炒めていた。

私はその時間、間違いなくベッドにいた。どこにも行っていない。カメラが捉えているのは、私のはずなのに、私じゃない。

「なにこれ……」

映像を見続ける。料理を終えた“私”は、冷蔵庫の前で立ち止まり、やがて、ゆっくりとこちらを向いた。

真っ直ぐ、カメラのレンズに目を合わせるように。

そして、口を開いた。

「見てるんでしょ……こっちの私も、あなたのこと見てるよ」

音声はなかった。だが、唇の動きでそう言ったのが、はっきりとわかった。

私は悲鳴をあげてスマホを落とした。


翌朝。恐る恐るリビングに行くと、カメラはきれいに外され、箱に戻されていた。

まるで最初からなかったかのように。

机の上には、白い紙が一枚置かれていた。

《鏡を見て。あなたは本当に“あなた”?》

それは印刷された文字だった。私のプリンターは使われた形跡がない。差出人も、どこから来たのかも、わからない。

ただ、ひとつ確かなのは——

私は、誰かに「生活をなぞられて」いる。



第二章:もう一人の“私”


会社に行くと、また斎藤が声をかけてきた。

「昨日、あれから飲みに行ったじゃん、めちゃくちゃ楽しかったな」

私は固まった。

「……なにそれ?」

「え? なにそれって、焼き鳥屋でさ。俺が話したやつ、ちゃんと覚えてる?」

「……行ってない」

「またまた、冗談きついなぁ。写真もあるんだぞ?」

斎藤がスマホを差し出す。

そこには、私が笑って映っていた。串を手に、隣の席で彼らと談笑している。顔も服装も、私そのもの。

けれど、私の記憶には一切ない。

「こんな……こと、あったっけ」

「大丈夫か? 最近、マジで様子おかしいぞ。疲れてるなら休めよ」

私は返事をせずに、そのまま席に戻った。

昼休みには、他の同僚にも話しかけられた。

「昨日の話、ウケたよー! なんか、いつもより陽気だったじゃん」

「お酒、強かったんだね〜」

「また来週も行こうよ!」

……私は、誰とも話していない。外出もしていない。すべて、記憶には存在しない。

——だけど、“私”は、そこにいた。


帰宅してすぐ、私は部屋中を点検した。扉の鍵、窓、浴室、クローゼット。侵入の形跡はない。だが、ベッドの下から一つの箱が出てきた。

中には、服。私が持っていないはずの、けれど見覚えがあるようなジャケットやパンツ。サイズも、匂いも、私のものとしか思えなかった。

手帳が一冊、そこに入っていた。

開くと、几帳面な文字で日記が書かれていた。


《9月5日 職場の斎藤と接触成功。好感度良好。自然体を心がける》

《9月6日 昼休みに一緒に弁当を食べる。話題は適当に合わせる》

《9月7日 飲み会参加。私らしく笑うの、まだ苦手。練習必要》


私は震えながらページをめくっていく。日記は“私”の視点で書かれていたが、内容は「私の知らない日々」ばかりだった。

それはまるで——「私を模倣し、社会に溶け込もうとしている誰かの記録」だった。


次の瞬間、インターホンが鳴った。

モニターを見ると、玄関の前に“私”が立っていた。

笑っていた。

本当に、私そのものだった。髪型も、服も、目の動きすら完璧に同じ。

「……こんにちは」

モニター越しに、彼女が口を動かした。まるでカメラの中の顔がこちらを見ているように、ぞっとするほどの目線。

「ちょっと、お話ができるかな?」

私は恐怖で震えながら、モニターを切った。

——でもその声は、今度はすぐに部屋の中から聞こえてきた。

「……ねえ、いるんでしょ?」

玄関からじゃない。リビングの奥、鏡のある洗面所のほうから。

私は、動けなかった。

そして、そのとき気づいた。

鏡に“私”が写っていない。


第三章:鏡の世界


私の姿は、鏡から消えていた。

洗面所に立ち尽くし、何度も手を振り、顔を近づけ、目を凝らす。だが、そこには何も映らない。ただ、空っぽの洗面所が映っているだけ。背景だけが、誰もいないように映り続けている。

「……なんで……どうして……」

私の手が震える。これまでの違和感が、すべて一つにつながっていく。

職場の“私”。外にいた“私”。私が知らない私。

――今、鏡に映っていない“私”。

ふと、スマホを手に取り、自撮りモードにしてみた。そこには、ちゃんと私の顔が映っていた。やはり、私はここにいる。存在している。

なのに。

鏡だけが、私を拒絶している。

その瞬間、鏡の奥で、わずかに“何か”が動いた。

――「私」だった。

鏡の中から、こちらを覗いている「私」が、にやりと笑って手を振った。

一瞬、部屋の明かりがちらつく。

「こんにちは、私」

鏡の中の“私”が、口を動かす。けれど、音はない。私の耳には、ただ、鼓動だけが鳴り響いていた。

「もう、外の生活には慣れたよ。みんな、私のこと好きになってくれた」

私の喉が乾く。

「あなた、もういらないんじゃない?」

そう言った瞬間、鏡の中の“私”がこちらに手を伸ばしてきた。

ガラスの向こう側から、指がゆっくりと、こちらの現実に滲むように突き出てくる。

私は悲鳴を上げ、後ずさった。だが、その手はもう止まらなかった。

“私”が、鏡から這い出してきた。


次に気づいたとき、私は鏡の中にいた。

正確には、鏡の向こう側、鏡に“映る”べき場所。

そこから私は、部屋を見渡していた。鏡の外の現実の中で、“私”がくつろいでいた。

コーヒーを飲み、スマホを見て、私のソファに座っている。

「返して……」

私は叫ぼうとしたが、声が出ない。鏡の中では、言葉を発することすらできなかった。

“私”がふと、鏡のほうを見た。

目が合った。

彼女は微笑み、唇を動かした。

「ね? ちゃんと私でしょ?」


数日が過ぎた。

鏡の中で私は、ただ“彼女”の生活を眺めることしかできなかった。

両親に電話をかける“私”。

同僚と笑い合う“私”。

斉藤にキスをする“私”。

私はそのどれにも触れられず、ただ“観察する存在”として取り残されていた。

それでも時折、“彼女”は私の方を見て、こう言う。

「ねえ、あなたさ――」

「そもそも、“最初の私”って、どっちだったと思う?」


終章:入れ替わり


鏡の中で過ごす時間に、終わりはなかった。

食事も、睡眠も、時間の流れすらもない空間。私はただ、日々“私”が生きるのを見つめ続けていた。

初めは怒りと恐怖だったが、やがてそれは呆然とした諦めへと変わった。

誰も私のことを思い出さず、探さず、疑いもしない。

“彼女”は完璧に私を演じ、そして……私よりも“私らしく”生きていた。

唯一変わらないのは、彼女が時折鏡に向かって語りかけてくることだった。

「今、私がどれだけうまくやってるか、見ててね」

「あなたじゃ無理だったでしょ、あんな風に笑うの」

「でもね――私も、あなたのことがうらやましいよ」

その意味が分からなかった。なぜ、私の存在がうらやましい?

だがある日、彼女はこう言った。

「私は“あなた”がいたから、この世界に生まれた。だから、代わってもらったの」

「でも、私も――こっち側には、行きたくない」


その夜、鏡の中で異変が起きた。

光が差し込んだのだ。初めての光。

鏡の外で、“私”が泣いていた。

静かに泣きながら、鏡を見つめていた。

「……疲れたよ。もう……ずっと、誰かを演じてるの」

彼女は呟くように、鏡に向かって言った。

「ねえ、帰ってくる? 元に、戻ろうか」

私は思わず、手を伸ばした。

すると、鏡の表面が波打ち、向こうとこちらが、ふたたび繋がっていくのがわかった。

私は進んだ。身体が鏡を越え、光のある部屋へと――


気づけば私は、現実にいた。

足の裏の冷たい床の感触。微かに流れる換気扇の音。すべてが現実のものだ。

鏡を見ると、そこには“私”が映っていた。

ちゃんと、私だった。

「……戻れた」

安堵とともに、私は深く息を吐いた。

けれど、ふと気づいた。鏡の“私”が、微かに微笑んだ気がした。

私は動いていないのに、鏡の“私”が、口だけ動かしていた。

「ありがとう。これで、あなたも“私”になれるね」

そして、私の姿は――鏡に映らなくなった。


エピローグ

誰も覚えていない。

私という人間が、かつていたことを。いや、今いる私が、“誰だったのか”すら。

記憶も、履歴も、写真も。すべて、“新しい私”として整えられている。

私は今、確かにこの世界にいる。

でも、鏡を見るたび、心がざわめく。

それはきっと――“元の私”が、鏡の奥でこちらを見ているからだ。

鏡に映る“私”は、今日も笑っている。

でもその笑顔は、本当に私のものなのだろうか。

それを確かめる方法は、もう一つしかない。

「……鏡を、壊すこと」

それをしてしまえば――もう、”私”は戻れない。


タイトル:

鏡の向こうの私 

(完)


どうでしたでしょうか?

怖いのを描こうとしたのですが、少しホラー要素が減ってしまった。というのが私の感想です。

次はもっと怖くできるよう精進していきます!


もしこの作品が好評でしたら、斉藤から見た視点を書いて見ようかなと思います。


設定

“私”は”鏡の世界”に存在するもう一つの自我で、

元々は主人公の無意識、抑圧された願望、もしくは「こうありたかった自分」という理想の影として鏡の中で存在です。けれどそれは徐々に自己を持ち、**「本物と入れ替わりたい」**という欲望に変化していく、という形です。

でもこの”私”は私を完璧に演じることに疲れてしまう。


これからもホラー短編を書いていきますのでよろしければブックマークなどお願いします!

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