46 なにを言おうとしたの?
それは、曇り一つない晴天のある日のこと。公爵家の正門前に、一台の荘厳な馬車が横付けされた。帝国の紋章が燦然と輝くその車体の周囲には、馬車に同行してきた帝国の護衛騎士たちが無言のまま整列している。
「帝国よりの書簡と贈答品でございます」
従者が恭しく差し出した書簡には、マルケイヒー帝国の皇帝名が記されていた。視察の前触れとして送られた、正式な文書である。そこには、帝国側からキーリー公爵領の職人専門学校を視察したいとの希望が記されており、その際には短期間ながら公爵家に滞在させてほしいという申し入れも添えられていた。もちろん、私たちはその申し出を歓迎するつもりだ。
帝国からの贈り物は素晴らしかった。私には澄んだ湖でしか採れない真珠のネックレス。公爵には銀細工のマント留めに、同じ真珠がひとつあしらわれていた。
濃厚な香りを放つ茶葉と共に添えられていたのは、アベラール宛の金箔入りの焼き菓子と、繊細な細工が施された飛び出す絵本だった。色とりどりの魔法生物が舞うその絵本は、どう見てもアベラールの好みを調べてから選んだ物のように思われる。アベラールは小さな動物たちが大好きだから。
「ずいぶんと、アベラール様に興味をお持ちのようね」
私は思わず、口元に微笑を浮かべる。好意を感じさせる、洗練された贈り物。けれど、その周到さゆえに、こちらも気が抜けない気がして、身が引き締まる思いだった。
***
皇帝夫妻歓迎会の前日、私の部屋の扉が静かにノックされた。開けると、公爵が立っていた。
「ジャネット、少し時間をもらえるか?」
彼の手には、上質な布で包まれた箱がある。
「あら、それはなんですか? とても綺麗な布張りの箱ですわね? 宝石箱にでもしたいぐらいですわ」
「いや、これは宝石箱ではないよ。宝石箱が必要なら、銀細工職人にでも作らせる。これは明日の歓迎会のために、君に贈りたいものなのだ」
私が使っているものは実家から持ってきた木製の宝石箱。それほど高価ではないが、精緻な彫刻が彫られていてお気に入りのものだった。公爵に『今使っているもので十分ですわ』と笑って言うと静かにうなずいた。
「そういうところも好ましいと思う。今あるものを大事にする心がけが素晴らしいよ」
最近はいつも褒めてくださるけれど、いつまで経っても慣れなくて……つい照れてしまう。箱を開けると、そこには見事なドレスが収められていた。クリーム色のシンプルなドレスの胸元と袖口には、優美な色とりどりの薔薇が刺繍され、ルビーのネックレスとイヤリングも添えられていた。
「こんなに美しいドレス、見たことがありません。この、緻密な刺繍はルカさんですよね? ドレスのことは聞いていませんでしたわ」
「このドレスは、ずいぶん前から君のために用意していたんだ。刺繍は後からルカに頼んだ。君に内緒にするように言ったのは……驚かせたかったからさ。元々はルビーを散りばめるつもりだったが、今やこの刺繍こそが、キーリー公爵領の誇る特産品だからね。そして、君はその美しさを体現する、最高の『歩く広告塔』というわけだよ」
公爵の言葉に、胸が熱くなった。
「『歩く広告塔』だなんて……とても私など役不足ですわ。……このルビー、とても綺麗です」
「そのルビーは俺の髪や瞳の色を模している。つけてくれると嬉しい」
公爵の真剣な眼差しに、私は頬を染めた。
「ありがとうございます、公爵様」
その後、公爵が立ち去ったあと、私は侍女に手伝ってもらい、さっそく袖を通す。身体にぴたりと合っていて、とても私らしいドレスだと感じた。
「公爵様が奥様を愛されている証拠ですわね。とてもお似合いですもの。奥様の清楚な美しさをより引き立てていますわ」
侍女のほめ言葉に、私はうっとりと自分の姿に見とれた。平凡な私を、まるで別人のように美しく見せてくれる素敵なドレスだと思う。
「本当に凄いわね。自分自身、目立たない容姿だと思っていたけれど、これを着ると不思議と公爵様の隣に並んでも見劣りしないんじゃないかと、うぬぼれそうだわ。仕立てがいいのね。私の長所を生かしてくれていますわ」
侍女は首を振りながらなにか言いたそうだったが、諦めたようだ。ただ、去り際ポツリと独り言が聞こえた。
「うちの奥様の自己評価がおかしい……あんなにお綺麗なのに……」
少しもおかしくないと思う。私は王立貴族学園に通っていた頃も、特別目立つような存在ではなかった。綺麗な子は他にたくさんいたような気がする。まぁ、あの頃の私は、家風にしたがって華美に着飾ることもなかったけれど。
***
翌日、ドレスに身を包んだ私を見て、公爵は一瞬目を見張り、やがてどこか照れたような笑みを浮かべた。
「とても美しい。ジャネットのそんな綺麗な姿を他の男に見せたくないな」
「社交辞令は結構ですわ」
「いや、本当にそう思っている。君は、誰よりも美しい。そろそろ俺達は――」
「ジャネ! うわぁーー、すっごくきれい! きょうのかんげいかいでは、ジャネがいちばんだね!」
けれど、その時、アベラールとミュウがサロンに入ってきて、アベラールは私に最上級のほめ言葉をくれた。
「あぁ、公子様。タイミングが悪すぎますわ。今にも公爵様が何か告白しそうでしたのに……」
侍女長がため息混じりにそうつぶやくのが聞こえた。
こんなに大切にされて、私……期待してしまっていいのかしら?
公爵はなにをおっしゃろうとしていたの?
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※さぁ、次は皇帝歓迎会でのお話になります。47話は少し長いのでふたつに分けました。47-1では皇帝夫妻とのやりとりを47-2では愚王が……48話では国王退場、という流れになりますよ。もう少しで最終話! 最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




