40 子竜は家族
あの大騒動の測定会が終わり、帰り道も魔導高速馬車に揺られていた。子竜はその馬車がよほど気に入ったのか、アベラールの膝の上で後ろ足で立ち、窓の外の景色に夢中になっている。
屋敷に着くと、サロンでは紅茶と菓子が用意されていた。アベラールは疲れた様子でソファに沈み込んでいたが、その腕にはしっかりと小さな白銀の竜が抱かれている。竜は安心したように彼の胸に頬を押しつけた。ときおり、小さな声で鳴く。
「ミュウ……」
私と公爵は、アベラールの前のソファに腰を下ろした。
「よくがんばったな、アベラール」
公爵が優しく頭を撫でると、アベラールは嬉しそうに笑い、膝に乗せた竜をもう一度抱き直す。竜もじっと公爵を見つめ、撫でてほしそうに小さな頭を差し出した。
「おまえもとてもお利口だったな。大広間を少しばかり焦がしたのは感心しないが、人に危害を加えなかったし、王に自分の気持ちをしっかり伝えられて偉かったぞ」
子竜は大きな手に撫でられ、満足そうにうなずいた。
「この子、きっとぼくたちのことば、わかるんだね。ジャネット、なまえ、つけていい?」
「えぇ。どんな名前がいいかしら?」
「家族として名を与えるのは自然なことだな。この竜は成長すると、とんでもなく大きくなるだろうから、勇ましい名前にするか?」
公爵がそう言って、強そうな名前をいくつか挙げていたけれど、アベラールは可愛らしい名前ばかりを口にした。
「今は可愛い名前にしておいて、成長して大きな竜になったら、雄々しい名前に付け替えたらどうかしら? 幼名はミュウって鳴くから『ミュウ』にして、成長したら『ミュウザール』とか『ミュウベルク』とか、ちょっと語尾に言葉を足すのはどう?」
「ジャネ、それすごくいいね! そしたら、きみのなまえは『ミュウ』だよ。そして、おとなになったら『ミュウザール』ってよぶよ。どうかな?」
アベラールが子竜に問いかけると、ミュウはとても嬉しそうに翼を広げ、私たちの周りをパタパタと飛び回った。
「まぁ……喜んでいるようね。とても気に入ったのね?」
そんなわけで、この子の名前は『ミュウ』に決まった。
「ミュウ。ぼくたち、ずっといっしょだよ」
アベラールがそっと頭を撫でると、ミュウは彼の胸にすり寄り、目を細めて甘えるように喉を鳴らした。その光景を見ながら、私は思わずほほえんだ。
「ふふ……ミュウは、私たちを家族だと思ってくれているみたいね」
白銀の鱗、七色に輝く小さな翼、きらきらとした宝石のような金色の瞳をもつ白銀竜が、家族になった瞬間だった。
***
昼下がりの穏やかな陽射しが庭園を包む中、私はアベラールとミュウを伴って庭の一角に立っていた。そこは、ちょうど芝生が開けており、花壇や木々から少し離れた、安全な場所だった。
「ミュウと火魔法で遊ぶ時は、この中で遊ぶのよ。絶対に、ここから出ちゃだめよ? ミュウも加減して炎を操ってちょうだいね。アベラールもよ」
そう言いながら私が静かに手をかざすと、透明な水の壁がゆっくりと立ち上がり、庭の一角を円形に囲み始めた。陽の光を受けて、それは虹色のきらめきを浮かべ、風に揺れて小さく波打っていた。
「これで大丈夫。さあ、思いきり遊んでいいわ」
私はふたりの背をそっと押した。アベラールもミュウも目を輝かせて、中へ駆けていく。アベラールがくるりと指先を回すと、その軌跡に沿ってふわりと火の鳥が生まれた。紅い羽を揺らしながら空を舞う幻想的な鳥に、ミュウがぱっと跳ね上がる。くるくると空を旋回するそれを追って、ミュウは小さな翼をばたつかせながら空中に跳び、口から小さな炎を吐き出していたが、よく見るとアベラールの真似をし始めていて、その炎を子鳥の形にし始めていた。
「わぁー、ミュウ、うまいうまい! じゃあ、つぎは――ひのうさぎさんだよ! ぼくの、まねができるなんておりこうさんだね」
アベラールが両手で形を描くと、今度はぴょんぴょん跳ねる火のうさぎが現れた。その隣には、ミュウが真似をして生み出した、少し歪な火のうさぎが跳ねている。
二人の周囲を、火の動物たちがくるくる跳ね回る。ミュウとアベラールは笑い声を上げながら、仲睦まじく遊び続けていた。
私の張った水壁が、風にそよぐようにわずかに揺れた。その一瞬を、アベラールは鋭く見逃さなかった。
「……もっと、つよく、できないかな」
彼は小さくつぶやきながら、両手をそっと水壁に向けてかざした。次の瞬間、水の壁が二重に重なり、その中心を魔力の渦が走る。外側と内側で水圧が変化し、まるで防御層が自動的に調整されるような高度な結界が完成した。
「……やった、できた!」
その技術はもはや“子供の遊び”の域を超えていた。属性外の水魔法を自在に操るだけでなく、それを応用して新たな結界構造を発明するとは――アベラールの才能は素晴らしい。
ミュウは目をきらきらと輝かせながら、アベラールのまねをして口からちょろりと水を吐き出し、自分の体のまわりに巻きつけた。はじめはぽたぽたとした水滴だったが、やがてぐるぐると回転を始め、少しずつ形になっていく。
ミュウは目を見開き、思案するように一度羽ばたいたあと、思い切って地面に体を擦るようにして勢いよく水を撒いた。その水流がアベラールの作った水結界と交差した瞬間、パァッと鮮やかな光があふれ、ふたりの魔力が共鳴するようにして、さらに強固な結界が生み出された。
「……ミュウ、すごいよ! ぼくたち、いっしょに魔法をつくれたね!」
アベラールの声が、喜びに満ちていた。
私は公爵の執務室が見える側へと足を運んだ。この光景を見せたくて、声をかけようとした──その瞬間、すでに窓辺に立っている公爵の姿を見つけた。彼は、庭のふたりを静かに見守っていたのだ。
「自分の息子ながら、末恐ろしいな……あの歳で属性外の水魔法まで習得し、それで結界までつくるとは……」
そのつぶやきは驚きでも恐れでもなく、どこか誇らしさを含んでいた。
「まったくですわ。アベラール様は公爵様に似て、やはり天才なのですわね。将来、どんな青年になるのか楽しみすぎます」
私と公爵はふんわりと笑みをかわしあい、アベラールを眩しげな眼差しで見つめた。