4 公爵視点
【公爵視点】
俺は十歳まで離れで暮らしていた。膨大な魔力は時に暴走し、使用人達を恐怖に陥れたから。父上もそうだったというから、異例なことではない。キーリー公爵家はステイプルドン王国の名門貴族。代々火魔法の最も優れた使い手として知られてきた。それは名誉なことでもあるし、公爵家の血を継ぐ正統な後継者の証でもあった。
母は俺を産んですぐに亡くなったらしい。物心がつくころには母はいなく、メイドや侍女が代わる代わるやって来ては最低限の世話をし、本邸に戻って行くのが当たり前だった。父上もたまにやって来て、声をかけるだけだった。
内容はおもに勉強のことで、「キーリー公爵家の跡継ぎとして、雄々しく育て!」と最後に締めくくる。両親と触れあい細やかな愛をもらった記憶はないが、特に不幸とも思わなかった。それが自分にとっての当たり前すぎたから。火魔法の制御が身についた十歳を過ぎたあたりで、王立貴族学園騎士科に通いはじめた。
そこから女難が始まった。
毎日、誰かが告白してきたり、取り巻きができたり、泣きつかれたり。演習中にわざとらしく恋文を落とされたり、キーリー公爵家の家紋を刺繍したハンカチを無理やり押しつけられたり。
騎士科の訓練後、やたらと差し入れの菓子が届くのにも困った。丁寧に断っても恨み言を言われて、相手にしないと一方的に悪者にされる。
俺はなにもしていないのに……ウザい。
成長するにつれ状況は悪化し、 夜会や舞踏会では媚薬入りのワインを、俺に飲ませようとする令嬢が後を絶たなかった。
話したこともない女性から一方的に思いを寄せられる恐怖と、その思い込みの激しさへの呆れ。
俺の外見だけを見て好きだと言ってくる女たちしかいない。
だから、俺は女が大嫌いになった。
「アンドレアス卿よ。そなた、早く伴侶を決めよ。妻を持てば、女たちも諦めようぞ」
国王は背の低い小太りの男だが、俺を見上げながら、わざとらしい笑みを浮かべた。
あぁ、なるほど。それも道理だと、国王の言葉に乗ったのが間違いだった。
相手はバルバラ・レニエ伯爵令嬢。王妃の年の離れた妹で、国王夫妻に強く勧められた相手だった。俺に恋い焦がれていたという話だったから、嫌な予感はしたんだが……結婚したその日から、我が儘と嫉妬の連続だった。
呆れるほどささいなことで泣きわめかれ、仕事で少しでも帰りが遅くなれば、「自分を蔑ろにした」と詰め寄られる。他に女などいないのに、「きっといる」と決めつけて、悲劇のヒロイン気取りだった。
女とは、これほど理不尽で、わけのわからない生き物なのか?
バルバラの媚薬のせいで、世継ぎには恵まれた。子供ができたのは、良かったのか悪かったのか。生まれたアベラールの容姿は妻にそっくりだったが、バルバラは子供に対して愛情を注げず、日常的に言葉の暴力や手を挙げだした。
公子への虐待と日頃の金遣いの荒さや使用人への暴行で、離婚を申し立てたがなかなか成立せず、ようやくバルバラと離婚できた頃には、すでにアベラールの心はすっかり閉ざされていた。
そのうち魔力が膨大になり制御が効かないうちは危険だと判断し、離れに隔離した。……俺自身もそうだったからで、特別虐げたつもりもなかった。
やっとバルバラと離婚し、こざっぱりとした気分になった矢先のことだった。またしても王が、俺にこんなことを言い出した。
「誰でもいいから再婚しろ。ステイプルドン王国騎士団長が独り身では格好がつかんぞ」
「いや、俺にはすでに跡継ぎのアベラールがいる。再婚の必要はない。やっとバルバラと離婚が成立したんだ。女はもうこりごりだ」
「しかし、来年にはマルケイヒー帝国皇帝夫妻の公式訪問がある。形式的な妻で構わぬから迎えておけ。パートナーなしでおまえが出席すれば、また女どもが騒ぎ出すわ」
そんな理由で再婚とは、気が進むはずもなかった。前の妻のような女は、もう懲り懲りだ。だからこそ、選定には慎重を期した。
高位貴族の令嬢は最初から除外。権力者を身内に持つ者も避けた。そんな女性は総じてプライドが高すぎて、わがままな場合が多いからだ。バルバラのように姉が王妃、などという面倒の極みは二度とごめんだった。だから、身内に高位貴族がいないかどうか徹底的に調べ、評判の悪い令嬢も候補から外していった。
そして最後に残ったのが、ジャネット・エッジ男爵令嬢だった。エッジ男爵家は堅実な家風で家族仲がよく、その長女は真面目で気がきくと評判の令嬢だった。
これなら俺に迷惑をかけることもなく、おとなしく“お飾りの妻”として収まってくれるだろう。そう考えた俺は、密かにほくそ笑んでいた。
初夜に初めて対面したジャネットは、社交界で名だたる美女たちを見慣れてきた俺にとっては、少し綺麗な程度の令嬢という印象に過ぎなかった。
ありふれたダークブラウンの髪と瞳。しかし、真っ直ぐに伸びた長い髪には清潔感があり、瞳は利発そうにきらめいていた。よく見れば、整った顔だちをしていたし、肌は抜けるように白い。
王立貴族学園では、かなり優秀な成績を収めていたと聞く。俺の言葉にも静かに耳を傾け、無駄な感情を表に出す様子もない。
俺が彼女に伝えたのは『妻として愛するつもりはない』そして、『子供も望まない』という、事実だけだった。
その瞬間、ジャネットはわずかに暗い表情を浮かべたが、すぐに気持ちを切り替えたようだった。
「そうですか。それなら、緊張せずに眠れそうです。正直におっしゃってくださって……ありがとうございます」
そう微笑むと、ベッドの端にコテンと身を横たえ、そのままスヤスヤと寝入ってしまった。さすがに、これには拍子抜けした。
泣かれるか、責められるか――そのどちらかは覚悟していた。だが、あまりにもあっさりと受け入れられてしまった。
モヤモヤした気持ちを抱えたまま眠りにつこうとしたが、結局、一睡もできなかった。ようやく明け方になって少しだけまどろんだところで、彼女は明るい声で「朝食をご一緒に」と言い出したのだ。
俺には、朝からしっかり食べる習慣はない。
少し剣の稽古をした後、汗を流してそのまま騎士団本館へ向かう――いつも通りの流れだ。
そう伝えると、彼女は少し驚いた顔をしてから、すぐにこう言った。
「まぁ、朝はきっちり食べないといけませんのに。ですが、まぁ、それが旦那様の《《普通》》なら仕方がありませんわね。では、私は食事をしてきますわ」
あっさりと受け入れ、俺のやり方に口出しはしなかった。
前妻は違った。
健康に悪いだの、果物だけでも食べろだの――挙げ句の果てには、「私と朝食を共にしないのは、私を蔑ろにしているからだ」と言い出す始末だった。
自分の価値観をすべて押しつけてくる女だった。
それに比べて、ジャネットはどうだ。
こんなにも、うるさくまとわりつかない女がいるとは。
なんとも不思議で……妙に、おもしろい存在だと思った。