3 望まれぬ妻
その言葉だけでも十分すぎるほど冷たかったのに、彼はさらに続けた。
「跡継ぎなら、既にいる。……だから子供も、必要ない」
まるで冷水を浴びせられたような気分だった。
当然とばかりの淡々とした口調だったからこそ、公爵が本気でそう思っていらっしゃることがうかがえた。
その言葉に、一瞬だけ胸がきゅっと痛む。
家族がみんな仲良しだったから、自分もそんな家庭を築けたらいいな、と思っていたのに……。
けれど、望まれていないのなら仕方がない。貴族の結婚なんて、元々そういうものだ。
政略結婚から始まっても、父様と母様のようにお互い恋をして、心を通わせて結ばれる――そんな理想が叶うのは、ほんの一握りだけだとも知っていた。だから、そこは諦めることにした。
それに、夫婦生活も望まれず、子供もいらないのなら……案外、気楽でいいのかもしれない。
「……そうですか。それなら、緊張せずに眠れそうです。正直におっしゃってくださって……ありがとうございます」
私はそう言って、寝台の隅っこにそっと身体を横たえた。
肩の力が抜けていく。ふかふかの寝具に体を沈めると、緊張しすぎて疲れていたのか、思っていたよりもすんなりとまぶたが重くなっていった。
「公爵様、おやすみなさいませ……」
翌朝。目を覚ますと、キーリー公爵家に嫁入りしたことが夢だったような気さえして、一瞬ぼんやりと天井を見上げてしまった。
昨日の出来事が遠い幻のようで、現実味がない。でも、肌に感じる寝具の柔らかさと、部屋に漂うベルガモットの香りが、ここが夢でないことを優しく告げていた。爽やかな柑橘の香りの中に、どこかフローラルな甘さが感じられるこの香りは、キーリー公爵がつけている香水だと思う。
目に映るのは、豪奢な夫婦の天蓋付きベッドと、隣に眠る公爵の背中。私のほうに向いていらっしゃらなかったことに少しホッとした。あんなに美麗な公爵の寝顔を寝起きに見たら、目が潰れてしまいそうになるもの。
背中越しにも伝わってくる圧倒的な存在感。近くにいるのに遠い、不思議な感覚だった。
しばらくすると、公爵が目を覚まされ、低く落ち着いた声が聞こえてきた。
「早いな。もう起きていたのか?」
「はい。おはようございます。よくお休みになれましたか? 私はおかげさまで、ぐっすり眠れたように思います」
にっこりと微笑むと、公爵はぎこちない表情でさっと目をそらした。
……私の容姿がお気に召さないのかしら?
そう思うと、ほんの少し胸がちくりとした。
私の外見は、公爵ほど人目を引くものではない。圧倒的な美しさとは違うと思う。
ダークブラウンの髪と瞳は、この国ではよくある色だ。
公爵の好みは、傾国の美女タイプの女性なのかもしれない。彼にはそういう感じがしっくりくる。
そうだとしても、あまり深く考えないことにしよう。私が彼の好きなタイプではないのなら、それは仕方がないこと。人の気持ちというのは、無理に変えられるものではない。キーリー公爵家からの結婚の申し込みなんて、エッジ男爵家に断れるはずもなかったし……こちらから離縁なんて言えるはずもない……。
『人を変えようとするより、自分が気持ちを切り替えて、できるだけ幸せに生きる方法を見つけなさい』――母様がよく言っていた言葉だった。
だから、私は元気に朝食を食べに行きましょう。
「すっかりお腹が空きましたわ。食堂に行って一緒に朝食をいただきましょう」
私が誘うと、公爵は眠そうにおっしゃった。
「朝は食欲がないし、これから剣の稽古をする。君だけ行けばいい」
そうか……そんなかんじなのね……
「まぁ、朝はきっちり食べないといけませんのに。ですが、まぁ、それが旦那様の《《普通》》なら仕方がありませんわね。では、私は食事をしてきますわ」
長年そうしてきたのなら、今さら変えるのは難しいわよね。
公爵は朝からしっかり食べる習慣はないらしい。少し剣の稽古をした後、汗を流してそのまま王宮に隣接している騎士団本館へ向かう、とだけ言い残して出ていかれた。
王宮の隣にそびえる大きな建物は、重厚な石造りで、整然とした姿がひときわ目を引く。騎士団の旗が掲げられ、その奥には独身寮や訓練場なども備わっているのだとか。
私は詳しいことは知らない。ただ、この館に集うのは、公爵様に忠誠を誓う精鋭たちだと言われている。
私は気を取り直して、ひとり食堂へ向かった。