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2 冷たい公爵

 そのまま案内された先――私の“部屋”だと言われた空間を見た瞬間も、思わず立ち尽くしてしまった。天井近くまで届く大きな窓には、金糸で繊細な花の模様が描かれたカーテンが揺れていて、壁際に並ぶ調度品は王都の職人が作ったものだと一目でわかるほどの高価な品だった。重厚でありながら、どこか可憐さを感じさせる。まるで、美術館に展示されていそうな家具たちが“普段使い”としてそこに並んでいた。


 クローゼットの扉を開ければ、舞踏会でも着られそうな華やかなドレスがずらりと掛けられていて、その数の多さに思わず言葉を失った。


「これ……全部、私のかしら?」


 気が遠くなりそうだった。今まで袖を通したことのない、指先がすべるような、なめらかな手触りのドレスがずらりと並ぶ。ひとつひとつに控えめながらも美しい装飾が施されており、派手すぎずデザインも落ちついていた。


 嫁入り前にただ一通、公爵様からもらった手紙に、私の身長や体型を聞いてきたのはこのためか……。普段よく着るドレスのデザインや、好きな色や好む香りの種類まで、つぶさに聞かれていたことを思い出す。


 そしてそれは、この部屋にしっかりと反映されている。精緻な彫刻が施されたマホガニー素材の天蓋付きベッドに、ひときわ滑らかな感触の寝具。その寝具カバーは、私の大好きなローズピンクで、優雅なバラの刺繍が施されており、ラベンダーの香りがする。ベッドをさりげなく隠すレースのカーテンもローズピンク。端には小さなフリルが丁寧にあしらわれていた。


 天蓋付きベッドは実家にもあったけれど、ありきたりのものだった。公爵家ともなると、ベッドひとつでもここまで華やかなものになるんだと感心したし、さりげない心遣いが嬉しい。


 まるで、おとぎ話の中に足を踏み入れたみたい。

 でも、これは夢じゃない。私の新しい暮らしなのだと、ようやく実感がわいてきた。


 この部屋で暮らすことが、私に与えられた“新しい役目”。

 キーリー公爵夫人として、ここで生きていくのだ。


 不安はない、と言えば嘘になる。

 けれど、それ以上に心のどこかが、ほんのりとあたたかくなっている気がした。


 こんなに素敵なお部屋を用意してくださったのだもの。

 私の好みを細やかに汲み取って、ここまで準備してくださったということは――きっと、キーリー公爵はお優しい方に違いない。


 父様と母様のように仲の良い夫婦になれたら素敵だし、子供たちと笑い合える明るい家庭を築けたら……それは、きっと最高に幸せなことだと思う。


 使用人に案内されてからの数時間、緊張のせいか何をしていたのか覚えていない。部屋まで侍女が紅茶とお菓子を持ってきて……それをいただいたはずだけれど、味の記憶がまるでなかった。


 身を清められ用意された寝衣に着替えるまでの間も、ずっとそわそわしていた。寝衣は初めて見るほど薄い生地。まるで羽衣のようで、袖を通したときさえ驚くほど軽かった。


 肩が出ているだけでも落ち着かないのに、腰のあたりで絞られたリボンがまた、なんというか……やたらと可愛らしい。淡い色合いと小さな花の刺繍。少し艶めかしい寝衣に、鏡に映った自分の姿を見て、思わず頬が熱くなった。


 エッジ男爵家ではこんな格好、一度もしたことがない。

 鏡に映った自分を見ても、なんだか別人みたいで、どこかくすぐったかった。


 でも、これが“結婚した”ってことなのよね


 案内された夫婦の寝室は広く、薄暗い照明がやけに落ち着かない。

 ベッドの端にちょこんと腰を下ろしながら、私は何度も深呼吸を繰り返す。


 案内されてから、どれくらい経っただろう。

 時間の流れがやけに遅く感じた。


 いつ、いらっしゃるのかしら?

 もしかして、このままいらっしゃらないかも……ううん、そんなはずないわ。

 きっと、もうすぐいらっしゃるわよ。


 そんな不安と期待が入り混じって、落ち着かないまま何度もベッドに座り直した。ドアの前で足音が止まったような気がして、思わず体が跳ねる。


 ……でも、何も起こらない。


 自分の心臓の音ばかりがやけに大きく聞こえた。落ち着こうとすればするほど、頬が熱くなる。


 そして、静かにノックの音が響き扉が開いた。そこに立っていたのは、まるで絵画の中から抜け出したような美しい男性だった。


 魔導灯を浴びて揺れる深紅の髪は、光を受けるたびに柔らかな炎のような輝きを放つ。切れ長の瞳も燃えるような赤。冷ややかなのに、なぜか引き込まれそうなほど澄んでいて、美しい宝石のようだった。


 整った顔立ちに影を落とす長い睫毛、無駄のない所作、端正な輪郭。その全てが、緻密に作られた芸術品のようだった。触れることすらためらわれるほどの、完璧な男性。


 この世にこんな美しさがあるなんて、知らなかった。声も出せずじっと見つめた、その瞬間。その唇が、淡々とした声で告げた。


「最初からはっきり言っておくが、君を妻として愛するつもりはない」

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