16 そばにいたくて・公爵視点
三日間、ジャネットは夫婦の寝室に姿を見せなかった。俺たちの関係は、いわゆる“白い結婚”だ。それは俺が望んだことで、彼女は一切責めることもなく受け入れ、当然のように同じ寝室で眠っていた。だから、俺もそこにいるのが当たり前になっていた――ただ隣で眠る、それだけのことだ。特別な意味はない……はずだった。
だが、気がつけば俺は、ジャネットがいることに慣れてしまっていた。広すぎるベッドの片側が空いている夜。ふと目を覚まして、隣に誰もいないと知るたびに、胸の奥にぽっかりと穴が開いたような虚しさが広がる。
……なぜ、ジャネットは来なくなったのだろうか。
四日目の夜、俺はついにジャネットの部屋を訪ねた。扉の前に立ち、軽く咳払いをしてから声をかける。
「ジャネット。その……なぜ、夫婦の寝室にこないんだ?」
扉越しに返ってきた彼女の声は、至って明るく当然のようにこう言った。
「決まってますわ。アベラール様が一緒に寝たがるんですもの。公爵様は私がいなくても眠れるでしょうけれど、子供ってよく悪夢を見るのですわ。そんなときは、私が慰めてあげないと」
その理屈が正しいことは、頭ではわかっていた。
だが、彼女があまりにもあたりまえのように言い放つので、つい、口が勝手に動いてしまった。
「……いや。俺だって、たまには悪夢を見るんだ」
言った瞬間、後悔した。
なにを言ってるんだ、俺は?
騎士団長がそんなことを言うなんて……情けない。
恥ずかしさが一気にこみ上げてきた……。
もともと一人で寝るほうが気楽だったはずだろう。
そう思い直し、踵を返して自分の寝室へ戻ろうとした。
そのとき、キィ……と音を立てて扉が開き、ジャネットがひょこりと顔をのぞかせた。
「なんですって? 公爵様も悪夢をご覧になるのですか? なんてことでしょう……。さぁ、こちらへいらして。解決策がありますわ」
そう言ってジャネットは俺の手を取り、部屋の中へと招き入れた。
「ここで皆で眠りましょう。そうすれば、アベラール様も公爵様も、たとえ悪夢を見たって大丈夫。私が背中をトントンして、悪い夢を追い払ってさしあげますわ」
言葉通り彼女はアベラールを真ん中にして、俺と向かい合うように横になり、にっこりと優しくほほえみながら子守歌を口ずさみ始めた。
……あぁ、なんだろうな。こういうの、悪くない。
いや、すごく……いい。
隣にジャネットがいると、不思議と心が落ち着く。
すると、アベラールが小さく寝返りを打ち、うっすら目を開けて「おとーしゃま……?」とつぶやいた。その言葉に胸がじんわりと熱くなる。
「お父様もね、アベラールがかわいくて一緒に寝たいのですって」
ジャネットが優しく言うと、アベラールはぼんやりとしたまま「うん」とうなずき、俺の胸元に顔をすり寄せてきた。そして、すぐにスヤスヤと穏やかな寝息を立て始めた。
子供ってあたたかいんだな。それにアベラールを見つめるジャネットの眼差しは聖母のようで……俺はその瞬間、自分がもっと彼女に優しくしていたら……と反省したんだ。
『妻として君を愛するつもりはない』などと言ってしまった俺は、なんと愚かだったことか。よくもそんなことを、嫁いできたばかりの新妻に言えたものだ。
しかも、自分より六歳も年下の女に……俺があの失言を思い出し後悔していると、ジャネットは俺を心配してくれた。
「公爵様、温かいミルクをお持ちしましょうか? きっと、なにか酷い夢をご覧になったのですね? かつては戦場を駆け回っていた公爵様ですもの。きっとその時の心労が、今やってきたのかも……ですが、公爵様。私は公爵様を家族として支え、家族として愛そうと思っていますから、どうか頼ってくださいね。あ、間違っても男女間の恋愛とは別物だとお考えくださいませ。私、公爵様に言われたことは覚えておりますので」
爽やかな笑顔で言われたら『あの発言は取り消しだ』とも言えない。
「……家族として……あぁ、そう……だな。うん、ありがとう」
家族としての愛はもちろん嬉しい。だが、そうではなくて本当の夫婦になりたいという思いが俺のなかに、芽生えつつあって……。
しかし、彼女は家族の愛を俺に与えてくれようとしている。下手に告白すればこの関係がこわれてしまう……。
悩ましいな。……どうやら俺は自分の発言で、本来ならバラ色になるはずだった結婚生活を複雑にしてしまったようだった。