菊花の復讐
エリシオン本国、大陸南の熱帯気候に広がる島国である。
熱帯性の気候と、近未来的な都市が広がっている。
そんな国、エリシオンの中央病院にて。
リノリウムの床と白い壁が続く一室では、ゲイル・タイガーが精密検査を受けていた。
無菌室のベッドに横たわるゲイルの身体を、医療機器のセンサーがスキャンしていく。
その肉体は筋肉質で、しかし疲労がにじみ出ている。
顔はげっそりと痩せこけ、皮膚は色褪せ、それでも、力強かった。
少し離れた場所では、監視役の少女が腕を組み、鋭い目でゲイルを見守っていた。
シホ・フォンティーヌ、黒髪ぱっつんに巨乳、眼鏡をかけた少女である。
彼女はエピメテウス隊のパイロットだが、機体が修理中のため、ゲイルの監視という任務に回されていたのだ。
「ぬぅ……」
ドクターがモニターを凝視し、驚愕の声を上げた。
「これは……驚くべきデータだ」
その言葉にシホは眉をひそめ、眼鏡の奥の目を細めた。
「何かありましたか?」
「うん。ゲイルの新陳代謝は、常人の数倍はあるだろう。放射能によるダメージが、急速に修復されている。こんな回復力は、初めて見たぞ!」
「それは……シグマの三本槍が、ただの人間じゃないってこと?」
ドクターは首を振る。
「いや、人間だ。だが、彼の身体は極端に最適化されている。筋肉、骨格、内臓――すべてが戦闘と生存のために鍛え上げられているんだよ。言うなら、生まれながらの『超人』、といったところか」
「超人……ですか」
二人が会話する横で、ゲイルはベッドで目を閉じ、静かに息をする。
金髪が無菌室の光に映え、傷だらけだった身体は、驚異的な速度で回復していた。
シホは半裸のゲイルを見つめ、小さくため息をついた。
「烈火が連れてきた敵……私たちの、敵」
その呟きは小さく、医療機器の電子音にかき消されて消えてしまう。
ゲイルの意識は、検査の冷たい光の中で、ルシアやドレッドの記憶、シグマの裏切り、そして烈火と兎歌の焚き火を囲んだ光景を彷徨っていた。
~~~
しばらくして。
ゲイルは一般病棟へと移された。
窓の外には、南国の太陽が浮かび、暖かい風が病室のカーテンを揺らしている。
烈火・シュナイダー、兎歌・ハーニッシュ、ゲイル・タイガーはそれぞれ、ベッドに横たわっている。
烈火と兎歌は核の戦場を生き延びた疲労と、軽い放射能ダメージの治療中だ。
ゲイルは、爆心地近くにいたにも関わらず、驚異的な新陳代謝で回復しつつあった。
とは言っても、検査のための絶食で、げっそりと痩せ落ちた顔をしている。
「ズルズルッ……ズルルッ」
ゲイルはベッドの脇のトレイに置かれたフォーをひたすら啜り、まるで餓死寸前の獣のように丼に顔を埋めていた。
ベッドの横には、空になった容器がすでに山積みだ。
「あー……ヒマだ」
烈火はベッドに寝そべり、赤い髪を乱雑に広げながら天井を睨んでいた。
隣のベッドでは、兎歌が桜色の髪を枕に広げ、静かに目を閉じている。
部屋には医療機器の微かな電子音と、ゲイルの啜る音だけが響いていた。
「ん?」
ガコンッ!
その静寂を突き破るように、扉が乱暴に開いた。
ドスドスと重い足音で入ってくるのは、橙色のお団子ヘアに巨乳のツナギ姿……菊花・メックロードだ。
その顔は憮然とし、目は鬼のような怒りに燃えている。
「菊花!?」
ズン、ズン、ズンッ!
菊花は一直線に烈火のベッドに歩み寄り、ベッドの縁を叩きながら烈火の胸ぐらをガッと掴んだ。
ゲイルを鋭く指差すと、コテコテの関西弁が病室に響き渡る。
「お前! 烈火! なんやねん、こいつ!? なんでこんなヤツ連れてきたんや! ゲイル・タイガーやろ!? ウチの国を滅ぼしたヤツやんか! 頭おかしなったんか!?」
烈火は胸ぐらを掴まれたまま、面倒くさそうに目を細める。
「うるせーな、落ち着けよ」
「落ち着け!? こんなヤツ連れ込んで、落ち着けるわけないやろ! お前、こいつのせいで何人死んだか知っとるんか!? ウチの家族も、友達も、みんなくそくらえにした奴やぞ!」
菊花の声は、怒りと悲しみに震えていた。
その騒ぎに、兎歌がベッドで身を起こすと、慌てて仲裁に入ろうとする。
「菊花さん、落ち着いて! 烈火には理由が……!」
だが、菊花の鬼のような形相は収まらない。
怒りに満ちた視線がゲイルに移り、フォーを啜る彼を睨みつける。
ゲイルは丼を手に持ち、ゆっくりと顔を上げた。
げっそりとした顔に、疲弊と諦めが滲むが、目は依然として鋭い。
彼は無言でフォーを啜り続け、菊花の怒気を意に介さない。
「なんや、その態度は! お前、ウチのことバカにしとんか!?」
豊満な胸には、故国を滅ぼされた憎しみ怒りが渦巻き、呼吸が荒くなる。
病室に重い沈黙が落ち、響くのは医療機器の電子音だけ。
そんな中、ゲイルが丼を置き、静かに口を開いた。
「菊花……だったな」
「なんやねん」
ゲイルは真剣なまなざしで菊花を見つめる。
「……俺を憎むのは自由だ。ヴァーミリオン隊は、確かに多くの命を奪ってきた。俺の命で気が晴れるなら、くれてやろう。望むか? 命を」
その言葉に菊花はゲイルを睨み、唇を噛んだ。
菊花の眼に浮かぶのは、透明な涙。
「簡単に……命くれて済むと思うなよ……! ウチの国は、帰ってこんのや!」
菊花は歯をむき出しにして叫んだ。
「殺させろ! 今すぐここで、ウチの手で殺したる!」
ゲイルはベッドに座ったまま、げっそりとした顔で菊花を見据えた。
その金髪は汗で額に張り付き、赤い目は疲弊と諦めで曇っている。
「俺は元々、死んだも同然の身だ。今さら殺されて文句はない。好きにしろ」
「この……ッ!」
その言葉が、菊花の怒りにさらに火をつけた。
菊花は腰のベルトから電卓を抜くと、殴りつける。
具体的にはTI-83電卓を持ち、渾身の力でゲイルの脳天を殴りつける。
ゴスッ、ゴスッ、ゴスッ!
鈍い音が病室に響き、電卓の硬い角がゲイルの額をカチ割った。
菊花は泣きながら、何度も、何度も、何度も何度も殴り続ける。
「ウチの家族を! 友達を! 国を! 返せ、返せ、返せ!」
涙が少女の頬を伝い、電卓を握る手が震える。
その光景を眺める烈火と兎歌。
烈火は目を伏せ、兎歌は思わず止めようと動いた。
「菊花さん、やめて……!」
だが、菊花の怒りは止まらない。
電卓がゲイルの頭を叩くたび、鈍い音が響く。
ガツンッ、ガツンッ、ガツンッ!
「ハァ……ッ、ハア……!」
やがて、菊花は殴り疲れ、息を切らして手を下ろした。
カシャン、金属音を立て、電卓が床に落ちる。
驚くべきことに、ゲイルはまだ生きていた。
額に血が滲み、顔はさらに青ざめているが、意識ははっきりしている。
ゲイルは静かに菊花を見つめ、呟く。
「……まだ、終わらんのか?」
その姿に烈火は鼻を鳴らし、呆れ顔で言う。
「お前、どんだけタフなんだよ。脳天かち割られてんのに、ピンピンしてんじゃねぇか」
「お前なぁ……!」
菊花はゲイルを睨み、涙を拭う。
踵を返し、病室を出ていく直前、彼女は振り返り、声を絞り出した。
「……烈火」
「なんだよ」
「兎歌を、シャオを、守ってくれて、ありがとうな。そこだけは、認めるわ」
菊花は扉をバタンと閉め、去っていった。
病室に重い沈黙が戻る。
響くのは医療機器の電子音と、ゲイルが再びフォーを啜る音だけだ。
「あ、あの……」
兎歌は小さく息をつき、ゲイルにそっと言った。
「ゲイルさん、大丈夫……?」
「……あぁ」
ゲイルは額の血を拭い、フォーの丼を手に持ち、淡々と答える。
「死に損なっただけだ。……まだ、借りを返すまでは死ねんらしい」
その様子を眺めながら烈火はベッドに寝転がり、天井を睨む。
「……ったく、めんどくせぇ奴らばっかだ」
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さて、同時国、病室の外。
廊下の壁にもたれていたシホ、その横を菊花が通り過ぎ、去っていく。
少女は、言葉では表せない表情をしていたが、すぐに背中を向けて見えなくなった。
「菊花……さん?」
シホは、眼鏡の奥で複雑な感情を押し隠し、目を細めた。