表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/76

孤独な朝

 ………

 ……

 …


「……う、ああ?」


 どれほどの時間が過ぎたのか。

 ゲイル・タイガーは、バーキッシュのコックピット内で意識を取り戻した。

 衝撃の余波で気を失っていたのだ。

 目の前のモニターは暗転し、警告音が途切れ途切れに鳴っている。

 オーバーリアクターは完全に停止し、機体のフレームはもはや、軋む音すら発しない。


「うぅ……生きて、いる……?」


 ゲイルは呟き、震える手でコックピットハッチをこじ開けた。

 ギシ……ギギギ……。

 金属が軋む音と共に、砂と焦げた空気が流れ込む。

 ヘルメットの電子音声が、無機質に状況を告げていた。


『警告:大気汚染レベル、極めて危険。生命維持装置、正常稼働中』


 ゲイルはバーキッシュから這い出し、砂漠の大地に足を踏み入れる。


「これ、は……」


 目の前に広がる光景は、壊滅そのものだった。

 砂はガラス化し、岩は砕け、かつての戦場は死の静寂に包まれている。

 視界の端に映るのは、ギガローダーの残骸。

 半分融解し、黒焦げの機体から煙が立ち上っている。


「ドレッド?」


 ゲイルは近づき、その理由を理解した。

 ドレッドは愛機の装甲とシールド、そして自らの命を犠牲にして、ゲイルとルシアを庇ったのだ。

 コックピットは焼け落ち、人間の焼ける匂いがヘルメットのフィルターを突き抜ける。

 ゲイルは思わず手を合わせ、声を絞り出した。


「すまない……ドレッド……墓も、作ってやれん」


 膝まずくゲイルの背後に、近づく足音。

 ザクザクという音に、ゲイルは振り向いた。


「ゲイル様……」


 背後から、弱々しい声が響く。

 ルシアは鉄くずとなったウィンディアの残骸から這い出し、よろめきながら近づいてきていた。

 そのパイロットスーツ(巨乳である)は埃にまみれ、ヘルメットのバイザーに傷が走っている。


「あ……」


 ルシアの目が、ギガローダーの残骸に向けられた。


「ドレッドは……」

「言うな。私のせいだ」


 ゲイルの声は低く、抑えた怒りと自責に満ちていた。

 ギガローダーのコックピットハッチが崩れ落ち、一瞬、黒焦げの何かが覗く。


「……ッ!」


 ゲイルは即座にルシアの顔を逸らせ、彼女の肩を強く握った。


「見るな、ルシア」


 ルシアは唇を噛み、涙を堪えていた。

 青い瞳は涙にぬれ、その視線は周囲の荒野を彷徨う。

 エリシオンのパイロットたち、彼らが一体どうなったのか、知る術はない。

 ブレイズやルナの残骸は見当たらず、ただガラス化した砂と焦げた大地が広がるだけだ。


「さて……」


 ゲイルはバーキッシュのコックピットに戻り、携帯食料とサバイバルキットを取り出した。

 ルシアもウィンディアから同様の装備を回収し、二人は言葉少なに準備を整える。


 土地勘も、目的地もない。

 放射能に汚染された荒野を歩き続け、誰かがいる場所に辿り着くことを期待するしかなかった。


「行くぞ、ルシア」

「……はい」


 ゲイルの声は、疲弊しながらも指揮官の威厳を保っていた。

 ルシアは小さく頷き、彼の背中を見つめる。

 彼女の胸に交叉するのは、ゲイルへの想いと、ドレッドの犠牲への悔恨。


「……」

「……」


 二人は、ガラス化した砂を踏みしめ、果てしない荒野へと歩き出した。

 背後では、ギガローダーの残骸が静かに崩れ落ち、残骸だけが残されていた。


~~~


 ガラス化した砂漠を踏みしめ、果てしない荒野を歩き続けるゲイルとルシア。

 核の爆風が焼き尽くした戦場には、仲間たちの気配すら残っていない。

 だが、ルシアが生きていること……たった一人でも仲間がそばにいることが、ゲイルの心を辛うじて支えていた。

 一人ではない。

 それが、彼の正気を繋ぎ止める唯一の救いだった。

 完全な孤独であれば、ゲイルは発狂していたことだろう。


 どれだけ歩いたのだろう。

 二人は、放射能に汚染された空の下、ヴァーミリオンの残骸に辿り着いていた。


「ゲイル様……」

「あぁ」


 二人は鉄くずじみたヴァーミリオンへと足を踏み入れる。

 戦闘空母は無残な姿を晒し、黒焦げの死体が甲板や通路に散乱している。

 融解して固まったグニャグニャの通路を、ゲイルとルシアはスーツのライトを頼りに探し歩いた。

 だが、生き物の気配はどこにもない。


「輸送艇で脱出した者がいるかもしれない……」


 ゲイルは呟くが、声に確信はない。

 溶け、燃えた残骸からは、何も読み取れないのだ。

 仲間が生きていたとしても、ここにはもういないだろう。


「これは……」

「無駄足だったな」


 二人は互いに目を合わせ、涙をこらえる。

 これ以上の言葉はない。

 ただ、肩を並べてヴァーミリオンを後にし、再び歩き出した。


~~~


 夜が訪れた。

 放射能の汚染が薄い岩陰で、二人は小さな焚き火を囲んだ。

 ダンブルウィードや枯れサボテンを集め、燃やし、寒さから耐える。

 カシュッ……。

 二人はサバイバルキットから取り出した携帯食料を分け合い、火の揺らめきを見つめていた。

 足元に置かれたヘルメットが、星空を映し煌めく。


「……喰え」

「……はい」


 悲劇のことを話す気にはなれず、過去の戦いやドレッドの犠牲を口にする勇気もなかった。

 沈黙を埋めるため、まるで他に話題がないかのように、二人はお互いのことを話し始めた。

 ゲイルは、薪をくべながら口を開く。

 その声は低く、しかしどこか懐かしむように。


「俺はな、幼少期は不良だった」

「不良?」

「あぁ。喧嘩に明け暮れて、親父に何度もぶん殴られたものだ。軍に入ったのだって、半分は当てつけだった」


 ゲイルの切れ長の目が、焚き火の光に照らされ、僅かに和らぐ。

 ルシアは驚いたように目を丸くし、くすっと笑った。


「ゲイル様が不良……? 想像できません。いつも完璧な指揮官ですもの」

「完璧か。……そんなもん、戦場でしか役に立たんさ」


 ゲイルは自嘲気味に笑い、火に新たな枝を投じる。

 パチパチ……ッ。

 ルシアは膝を抱え、焚き火の向こうで自分の番だとばかりに話し始めた。


「私は、平凡な家庭に生まれました。父は技師で、母は教師」

「平和なものだな」

「はい。軍人になるなんて、母は大反対だったんです。『危ない仕事なんて、ルシアには似合わない』って。でも……」


 ルシアの青い瞳が、火の光に揺れた。

 声に懐かしさと誇りが混じる。


「エリート部隊に入ったって話した時、母、泣きながら喜んでくれました。所属は親にも話せなかったけど……ヴァーミリオン隊に入れたこと、きっと自慢したかったんだと思います」


 ルシアの声が少し震え、慌てて笑顔を作った。

 その様子に、ゲイルは静かに頷き、耳を傾ける。

 焚き火の爆ぜる音が、夜の静寂に響いていた。


「母さんには、悪いことしたな。こんなことになるなんて、思ってもみなかった」


 ルシアの声が小さくなり、膝に顔を埋めた。

 ゲイルは黙って火を見つめていたが、しばらくして口を開く。


「俺もだ。親父に『軍で出世して、家族を食わせてやる』って啖呵を切ったのに……このザマだ」


 二人は顔を見合わせ、苦笑した。

 なんてことない雑談。

 戦場での壮絶な記憶や、ドレッドの犠牲、シグマの裏切りを忘れるためではない。

 ただ、生きている今、この瞬間を繋ぎ止めるための、ささやかな会話だった。


「ゲイル様、昔の喧嘩、どんな感じだったんですか?」


 ルシアが少し意地悪く笑うと、ゲイルは鼻を鳴らし、珍しく照れくさそうに答えた。


「ガキの頃は、ただ殴り合ってただけだ。路地裏で、血まみれになるまでな。……今思えば、馬鹿みたいなことだ」

「ふふ、でも、強かったんでしょう?」

「なぁな。負けた記憶はあまりない」


 ゲイルの口元に、微かな笑みが浮かぶ。

 ルシアは焚き火の向こうで笑い、まるで普通の夜を過ごすように話を続ける。


「私、子供の頃は本ばっかり読んでました。冒険小説とか、軍の英雄伝とか……それで、軍人になりたいって思ったんです。ゲイル様みたいな人に、なりたくて」

「俺みたいな、か。……悪い見本だな」

「そんなことないです! ゲイル様は、いつも私たちを導いてくれる……」


 ルシアの声が少し熱を帯び、ハッとして慌てて言葉を切った。

 ゲイルは静かにルシアを見つめ、そんな二人の顔を焚き火の光が照らしている。

 夜の荒野で、なんてことない雑談が続く。

 二人には、それが今、生きるための唯一の支えだった。


~~~


 翌朝、焚き火の残り火が冷たく灰に変わっていた。

 ゲイル・タイガーとルシア・ストライカーの二人が過ごした、ささやかな安息の時間は終わった。

 岩陰に身を寄せていた二人は、放射能に汚染された荒野で再び現実と向き合う時が来たのだ。

 と、ゲイルのヘルメットの通信機に、弱々しい声が響く。

 ルシアの声だ。


『来ないで、下さい……ゲイル様。お願い……』

「ルシ、ア……?」


 その声は、まるで風に消えそうなほど儚い。


「……まさか!」


 ゲイルの脳裏に、ルシアのヘルメットに走っていた傷が閃く。

 なんということ、気密が完全ではなかったのだ!

 核の爆風と放射能が、知らずの内に彼女の身体を蝕んでいた。

 ゲイルの軍人としての知識が、冷酷な事実を突きつける。

 強烈な放射線を浴びた人間の末路――皮膚の壊死、内臓の崩壊、想像を絶する苦痛。

 ルシアは今、ゲイルが見るに耐えない姿になっているだろう。


「ルシア……」


 ゲイルの声は低く、抑えた感情が滲んでいた。

 病院も薬も医者もないこの荒野で、彼女を助ける術は───ない。

 助かる可能性はゼロだ。

 それでも、ゲイルはせめてもの償いとして、通信機越しに会話を続ける。


「ルシア、聞こえるか。……昨夜の話、悪くなかったな」

『……はい……ゲイル様と、話せて……嬉しかった……』


 ルシアの声は途切れ途切れで、息遣いが弱っていく。

 ゲイルは岩に凭れ、目を閉じる。

 彼女の最期を、静かに見守るしかなかった。


『……ゲイル様……ありがとう……』


 やがて、通信が途絶える。

 そこでルシアの命が消えたことを、ゲイルは悟った。


「あ、あ……」


 胸を締め付ける痛みを堪え、ゲイルはヘルメットのバイザーを拭う。

 涙はない。ただ、冷たい虚無が彼を包んでいた。

 ゲイルは再び歩き出そうとした───

 ───が、そこで限界が訪れた。


「うぐ……!?」


 優秀な頭脳と肉体を持つ彼だが、その分、カロリー消費も多い。

 サバイバルキットの携帯食料は、とうに底をつきかけていた。

 空腹が内臓を締め付け、脱力感が四肢を重くする。

 虚脱感が意識を蝕み、足元がふらつく。


「くそ……ここまでか……」


 ゲイルは膝をつき、ガラス化した砂に手を突く。

 視界がぼやけ、意識が遠のいていく。

 最後に見たのは、幻覚だったのだろうか。

 砂嵐の彼方、ブレイズ・ザ・ビーストの赤い機体。

 その足先が、ゆっくりと近づいてくるように見えた。


「エリシオンの、少年……」


 ゲイルの呟きは、荒野の風に溶け、意識が闇に沈んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ