孤独な朝
………
……
…
「……う、ああ?」
どれほどの時間が過ぎたのか。
ゲイル・タイガーは、バーキッシュのコックピット内で意識を取り戻した。
衝撃の余波で気を失っていたのだ。
目の前のモニターは暗転し、警告音が途切れ途切れに鳴っている。
オーバーリアクターは完全に停止し、機体のフレームはもはや、軋む音すら発しない。
「うぅ……生きて、いる……?」
ゲイルは呟き、震える手でコックピットハッチをこじ開けた。
ギシ……ギギギ……。
金属が軋む音と共に、砂と焦げた空気が流れ込む。
ヘルメットの電子音声が、無機質に状況を告げていた。
『警告:大気汚染レベル、極めて危険。生命維持装置、正常稼働中』
ゲイルはバーキッシュから這い出し、砂漠の大地に足を踏み入れる。
「これ、は……」
目の前に広がる光景は、壊滅そのものだった。
砂はガラス化し、岩は砕け、かつての戦場は死の静寂に包まれている。
視界の端に映るのは、ギガローダーの残骸。
半分融解し、黒焦げの機体から煙が立ち上っている。
「ドレッド?」
ゲイルは近づき、その理由を理解した。
ドレッドは愛機の装甲とシールド、そして自らの命を犠牲にして、ゲイルとルシアを庇ったのだ。
コックピットは焼け落ち、人間の焼ける匂いがヘルメットのフィルターを突き抜ける。
ゲイルは思わず手を合わせ、声を絞り出した。
「すまない……ドレッド……墓も、作ってやれん」
膝まずくゲイルの背後に、近づく足音。
ザクザクという音に、ゲイルは振り向いた。
「ゲイル様……」
背後から、弱々しい声が響く。
ルシアは鉄くずとなったウィンディアの残骸から這い出し、よろめきながら近づいてきていた。
そのパイロットスーツ(巨乳である)は埃にまみれ、ヘルメットのバイザーに傷が走っている。
「あ……」
ルシアの目が、ギガローダーの残骸に向けられた。
「ドレッドは……」
「言うな。私のせいだ」
ゲイルの声は低く、抑えた怒りと自責に満ちていた。
ギガローダーのコックピットハッチが崩れ落ち、一瞬、黒焦げの何かが覗く。
「……ッ!」
ゲイルは即座にルシアの顔を逸らせ、彼女の肩を強く握った。
「見るな、ルシア」
ルシアは唇を噛み、涙を堪えていた。
青い瞳は涙にぬれ、その視線は周囲の荒野を彷徨う。
エリシオンのパイロットたち、彼らが一体どうなったのか、知る術はない。
ブレイズやルナの残骸は見当たらず、ただガラス化した砂と焦げた大地が広がるだけだ。
「さて……」
ゲイルはバーキッシュのコックピットに戻り、携帯食料とサバイバルキットを取り出した。
ルシアもウィンディアから同様の装備を回収し、二人は言葉少なに準備を整える。
土地勘も、目的地もない。
放射能に汚染された荒野を歩き続け、誰かがいる場所に辿り着くことを期待するしかなかった。
「行くぞ、ルシア」
「……はい」
ゲイルの声は、疲弊しながらも指揮官の威厳を保っていた。
ルシアは小さく頷き、彼の背中を見つめる。
彼女の胸に交叉するのは、ゲイルへの想いと、ドレッドの犠牲への悔恨。
「……」
「……」
二人は、ガラス化した砂を踏みしめ、果てしない荒野へと歩き出した。
背後では、ギガローダーの残骸が静かに崩れ落ち、残骸だけが残されていた。
~~~
ガラス化した砂漠を踏みしめ、果てしない荒野を歩き続けるゲイルとルシア。
核の爆風が焼き尽くした戦場には、仲間たちの気配すら残っていない。
だが、ルシアが生きていること……たった一人でも仲間がそばにいることが、ゲイルの心を辛うじて支えていた。
一人ではない。
それが、彼の正気を繋ぎ止める唯一の救いだった。
完全な孤独であれば、ゲイルは発狂していたことだろう。
どれだけ歩いたのだろう。
二人は、放射能に汚染された空の下、ヴァーミリオンの残骸に辿り着いていた。
「ゲイル様……」
「あぁ」
二人は鉄くずじみたヴァーミリオンへと足を踏み入れる。
戦闘空母は無残な姿を晒し、黒焦げの死体が甲板や通路に散乱している。
融解して固まったグニャグニャの通路を、ゲイルとルシアはスーツのライトを頼りに探し歩いた。
だが、生き物の気配はどこにもない。
「輸送艇で脱出した者がいるかもしれない……」
ゲイルは呟くが、声に確信はない。
溶け、燃えた残骸からは、何も読み取れないのだ。
仲間が生きていたとしても、ここにはもういないだろう。
「これは……」
「無駄足だったな」
二人は互いに目を合わせ、涙をこらえる。
これ以上の言葉はない。
ただ、肩を並べてヴァーミリオンを後にし、再び歩き出した。
~~~
夜が訪れた。
放射能の汚染が薄い岩陰で、二人は小さな焚き火を囲んだ。
ダンブルウィードや枯れサボテンを集め、燃やし、寒さから耐える。
カシュッ……。
二人はサバイバルキットから取り出した携帯食料を分け合い、火の揺らめきを見つめていた。
足元に置かれたヘルメットが、星空を映し煌めく。
「……喰え」
「……はい」
悲劇のことを話す気にはなれず、過去の戦いやドレッドの犠牲を口にする勇気もなかった。
沈黙を埋めるため、まるで他に話題がないかのように、二人はお互いのことを話し始めた。
ゲイルは、薪をくべながら口を開く。
その声は低く、しかしどこか懐かしむように。
「俺はな、幼少期は不良だった」
「不良?」
「あぁ。喧嘩に明け暮れて、親父に何度もぶん殴られたものだ。軍に入ったのだって、半分は当てつけだった」
ゲイルの切れ長の目が、焚き火の光に照らされ、僅かに和らぐ。
ルシアは驚いたように目を丸くし、くすっと笑った。
「ゲイル様が不良……? 想像できません。いつも完璧な指揮官ですもの」
「完璧か。……そんなもん、戦場でしか役に立たんさ」
ゲイルは自嘲気味に笑い、火に新たな枝を投じる。
パチパチ……ッ。
ルシアは膝を抱え、焚き火の向こうで自分の番だとばかりに話し始めた。
「私は、平凡な家庭に生まれました。父は技師で、母は教師」
「平和なものだな」
「はい。軍人になるなんて、母は大反対だったんです。『危ない仕事なんて、ルシアには似合わない』って。でも……」
ルシアの青い瞳が、火の光に揺れた。
声に懐かしさと誇りが混じる。
「エリート部隊に入ったって話した時、母、泣きながら喜んでくれました。所属は親にも話せなかったけど……ヴァーミリオン隊に入れたこと、きっと自慢したかったんだと思います」
ルシアの声が少し震え、慌てて笑顔を作った。
その様子に、ゲイルは静かに頷き、耳を傾ける。
焚き火の爆ぜる音が、夜の静寂に響いていた。
「母さんには、悪いことしたな。こんなことになるなんて、思ってもみなかった」
ルシアの声が小さくなり、膝に顔を埋めた。
ゲイルは黙って火を見つめていたが、しばらくして口を開く。
「俺もだ。親父に『軍で出世して、家族を食わせてやる』って啖呵を切ったのに……このザマだ」
二人は顔を見合わせ、苦笑した。
なんてことない雑談。
戦場での壮絶な記憶や、ドレッドの犠牲、シグマの裏切りを忘れるためではない。
ただ、生きている今、この瞬間を繋ぎ止めるための、ささやかな会話だった。
「ゲイル様、昔の喧嘩、どんな感じだったんですか?」
ルシアが少し意地悪く笑うと、ゲイルは鼻を鳴らし、珍しく照れくさそうに答えた。
「ガキの頃は、ただ殴り合ってただけだ。路地裏で、血まみれになるまでな。……今思えば、馬鹿みたいなことだ」
「ふふ、でも、強かったんでしょう?」
「なぁな。負けた記憶はあまりない」
ゲイルの口元に、微かな笑みが浮かぶ。
ルシアは焚き火の向こうで笑い、まるで普通の夜を過ごすように話を続ける。
「私、子供の頃は本ばっかり読んでました。冒険小説とか、軍の英雄伝とか……それで、軍人になりたいって思ったんです。ゲイル様みたいな人に、なりたくて」
「俺みたいな、か。……悪い見本だな」
「そんなことないです! ゲイル様は、いつも私たちを導いてくれる……」
ルシアの声が少し熱を帯び、ハッとして慌てて言葉を切った。
ゲイルは静かにルシアを見つめ、そんな二人の顔を焚き火の光が照らしている。
夜の荒野で、なんてことない雑談が続く。
二人には、それが今、生きるための唯一の支えだった。
~~~
翌朝、焚き火の残り火が冷たく灰に変わっていた。
ゲイル・タイガーとルシア・ストライカーの二人が過ごした、ささやかな安息の時間は終わった。
岩陰に身を寄せていた二人は、放射能に汚染された荒野で再び現実と向き合う時が来たのだ。
と、ゲイルのヘルメットの通信機に、弱々しい声が響く。
ルシアの声だ。
『来ないで、下さい……ゲイル様。お願い……』
「ルシ、ア……?」
その声は、まるで風に消えそうなほど儚い。
「……まさか!」
ゲイルの脳裏に、ルシアのヘルメットに走っていた傷が閃く。
なんということ、気密が完全ではなかったのだ!
核の爆風と放射能が、知らずの内に彼女の身体を蝕んでいた。
ゲイルの軍人としての知識が、冷酷な事実を突きつける。
強烈な放射線を浴びた人間の末路――皮膚の壊死、内臓の崩壊、想像を絶する苦痛。
ルシアは今、ゲイルが見るに耐えない姿になっているだろう。
「ルシア……」
ゲイルの声は低く、抑えた感情が滲んでいた。
病院も薬も医者もないこの荒野で、彼女を助ける術は───ない。
助かる可能性はゼロだ。
それでも、ゲイルはせめてもの償いとして、通信機越しに会話を続ける。
「ルシア、聞こえるか。……昨夜の話、悪くなかったな」
『……はい……ゲイル様と、話せて……嬉しかった……』
ルシアの声は途切れ途切れで、息遣いが弱っていく。
ゲイルは岩に凭れ、目を閉じる。
彼女の最期を、静かに見守るしかなかった。
『……ゲイル様……ありがとう……』
やがて、通信が途絶える。
そこでルシアの命が消えたことを、ゲイルは悟った。
「あ、あ……」
胸を締め付ける痛みを堪え、ゲイルはヘルメットのバイザーを拭う。
涙はない。ただ、冷たい虚無が彼を包んでいた。
ゲイルは再び歩き出そうとした───
───が、そこで限界が訪れた。
「うぐ……!?」
優秀な頭脳と肉体を持つ彼だが、その分、カロリー消費も多い。
サバイバルキットの携帯食料は、とうに底をつきかけていた。
空腹が内臓を締め付け、脱力感が四肢を重くする。
虚脱感が意識を蝕み、足元がふらつく。
「くそ……ここまでか……」
ゲイルは膝をつき、ガラス化した砂に手を突く。
視界がぼやけ、意識が遠のいていく。
最後に見たのは、幻覚だったのだろうか。
砂嵐の彼方、ブレイズ・ザ・ビーストの赤い機体。
その足先が、ゆっくりと近づいてくるように見えた。
「エリシオンの、少年……」
ゲイルの呟きは、荒野の風に溶け、意識が闇に沈んだ。