滅びの故郷
と、シャオの声が、烈火の回想を軽やかに切り裂く。
「でさ、烈火、兎歌! オレのカレシ、めっちゃイケメンでさ、しかも強いんだから!」
「なに?」
烈火は眉を上げ、兎歌と顔を見合わせた。
烈火の記憶に、シャオの昔の言葉が蘇る。
シャオは孤児院で、拳を振りながら笑って言っていた。
『オレの王子様は、絶対オレよりケンカの強い奴じゃなきゃ嫌だ!』
「ところで、シャオ」
烈火は腕を組み、探るような視線を向ける。
「そのカレシってどんな奴だ? お前、昔、自分よりケンカの強い王子様を見つけるとかほざいてなかったか?」
シャオはニヤリと笑い、大きな胸を張って答えた。
「へへーん。いるんだな、これがー!」
「何だと!?」
「ええー!?」
烈火と兎歌の声が重なり、病室に驚きのコエが広がった。
二人は本気で目を丸くし、互いに顔を見合わせた。
兎歌の脳裏に、幼少期の記憶が鮮明に浮かぶ。
あの頃の烈火は、灰色の街で恐れられるほどの存在だった。
だからこそ、兎歌は生きてこれた。
素手で鋼鉄を砕くほどの身体能力を持ち、武器を持った強盗を複数相手にしても、血まみれになりながら笑って勝つような少年だった。
そして、そんな烈火と唯一互角に渡り合えたのが、シャオだった。
その拳は鋭く、動きは獣のようにしなやかで、孤児院の子供たちの間では「烈火とシャオには誰も勝てない」と言われていたのだ。
そのシャオより強い男とは、一体どんな化け物なのだろう?
烈火の想像は暴走を始める。
身長2メートルを超える巨漢で、顔に無数の傷を持つ傭兵。
あるいは、コマンドスーツを素手で引きちぎるような筋肉の怪物。
兎歌もまた、目をキラキラさせながら妄想を膨らませる。
彼女の頭には、戦車を軽々と持ち上げる超人や、戦艦を一撃で沈める伝説の戦士が浮かんでいた。
「な、なあ、シャオ……そのカレシって、どんな奴なんだ? まさか、熊みたいな大男とか……?」
烈火の声には、どこか本気の好奇心が滲む。
兎歌も身を乗り出し、頷きながら続ける。
「う、うん! もしかして、コマンドスーツを素手で壊すくらいの力持ちとか……?」
シャオは二人の様子を見て、呆れたように鼻で笑った。
「何!? 何そのバカみたいな妄想! そんな怪物じゃねーよ。ゴウって名前で、エリシオンの防衛軍のパイロット兼メカニックだ。まあ、見た目はクマみたいにデカいけどな。2メートル近くあって、投げ技の達人。筋力なら烈火、お前より上だぜ」
「俺より上だと……!?」
烈火の声に驚きが滲む。
素手で鋼鉄を砕く烈火の身体能力を、さらに超える筋力を持つ男。
ぞくッ。
シャオの言葉に、烈火の闘争本能がわずかに疼く。
兎歌も目を丸くし、シャオに尋ねた。
「ゴウさんって、そんなにすごい人なの? どんな機体に乗ってるの?」
シャオはニヤリと笑い、軽く肩をすくめた。
「アイツの愛機? そりゃあ本国の守護神サマだよ。詳しくは言えねえけど、烈火のブレイズやオレの機体と同じプラズマリアクター搭載の最新型だ。ゴウの性格はのんびりでマイペース、口癖が『焦らない焦らない』って感じ。ケンカの強さもすげえけど、なんかこう、包容力に勝てないんだよなぁ」
シャオの声が少し柔らかくなり、頬がほんのり赤らむ。
烈火は目を細め、からかうように笑った。
「包容力? お前、ずいぶんロマンチックになったじゃねぇか。昔は、相手をぶっ倒す強さしか認めねえって言ってたのに」
「うっせ! いいだろ、人が変わったって!」
シャオは照れ隠しに烈火の肩を軽く叩いた。
兎歌はそんな二人を見て、くすりと笑った。
だが、その笑顔の裏で、恋心が揺れる。
シャオの恋の話は、兎歌の心に小さな火を灯していた。
「ゴウさん、素敵な人なんだね。シャオ、幸せそう」
「当たり前だろ! まあ、兎歌もさ、烈火のことちゃんと捕まえなよ。オレみたいに、幸せゲットしろって!」
「う、うう……!」
兎歌はまた顔を赤らめ、烈火は気まずそうに頭をかく。
シャオの豪快な笑い声が病室に響き、窓の外から南国の風が吹き込んでいた。
病室は三人の笑い声と軽快な雑談で満たされていた。
シャオは孤児院時代の思い出を掘り起こし、烈火が木の枝を剣代わりに振り回して皆を笑わせた話や、兎歌が初めて作った泥団子ケーキの悲惨な味をからかう。
烈火はシャオの話にツッコミを入れ、兎歌は恥ずかしそうに笑いながらも、時折烈火の横顔をそっと盗み見る。
窓の外の青空も、この一瞬だけは遠い存在に感じられた。
「なあ、烈火、覚えてるか? お前がヴァイスマンの隠してた酒盗もうとして、尻叩かれたこと!」
シャオがケラケラ笑いながら言うと、烈火は顔をしかめて反撃する。
「ハッ、お前だってその酒、こっそり一口飲んで吐き出したじゃねえか! あの顔、忘れねえぞ!」
「う、うそ! そんなことなかった! 兎歌、証言してよ!」
兎歌は両手を振って慌てて仲裁に入る。
「え、えっと、わたし、怖くて隠れてたから……」
「だぁーッ!」
「うははは!」
三人の笑い声が重なり、病室に温かな空気が広がる。
だが、その瞬間───
シャオの動きがピタリと止まった。
『……次の……スで……』
シャオの鋭い耳が、隣の病室から漏れるかすかな音を捉えたのだ。
モニターのニュースの声。
シャオの顔から笑みが消え、代わりに青ざめた表情が浮かぶ。
烈火と兎歌が怪訝な顔で彼女を見ると、シャオは無言で立ち上がり、隣の病室のドアをそっと開けた。
開けっ放しの窓から、南国の熱を帯びた風が流れ込む。
誰かがつけっぱなしにしたモニターが、冷たく響くニュースキャスターの声を吐き出していた。
『東武連邦軍は、大陸中央の砂漠地帯への侵攻を完了。抵抗勢力は壊滅し、金属資源の採掘が本格化する見通しです。砂漠地帯は国境が存在せず、戦略的要衝として……』
「……ッ、……ッ」
シャオの瞳が揺れた。
日焼けした手が、ドアの枠を握りしめ、白くなるほど力を込める。
烈火と兎歌はその背中を見つめ、言葉を失う。
烈火の声が、静かに、だが重く響いた。
「なあ、シャオ……お前の故郷って……」
シャオは振り返らず、ただ小さく頷いた。
その声は震え、普段の豪快さはどこにもなかった。
「……ああ。砂漠の民の村だ。もう、何も残ってねえ」
震える背中を見て、言葉を飲み込む二人。
シャオの過去は、二人の知る断片的な記憶の中でしか存在しない。
彼女は砂漠の民の出身だった。
広大な砂漠地帯に点在する小さな村で生まれ、戦争の炎に両親を奪われた。
東武連邦が金属資源を求めて侵攻を始めたとき、砂漠の民は抵抗したが、圧倒的な武力の前に次々と壊滅した。
村には孤児を引き取る余裕などなく、シャオは泣く泣く老紳士……ヴァイスマンに預けられた。
灰色の空の下、孤児院で烈火と兎歌に出会う前の話だった。
シャオの瞳に、燃えるような衝動が宿る。
心は叫んでいた。
今すぐ愛機───ルナ・ザ・ウルフファングに飛び乗り、砂漠の民を助けに行きたい。
だが、その衝動は冷酷な現実によって押し潰される。
シャオはエリシオン本国の防衛の要であり、彼女が離れれば、その隙を突かれて本国は巨大国家の餌食となる。
東武連邦が金属資源を求めて侵攻した今、砂漠の民の生き残りは、奴隷鉱夫として酷使されている可能性が高い。
シャオにはそれを知りながら、何もできない無力感が刃のように胸を刺す。
「くそっ……オレが、もっと早く……」
シャオの声は途切れ、拳が震える。
烈火は彼女の肩に手を置こうとするが、その手は宙で止まる。
烈火の胸にも、シャオの故郷を奪った東武連邦への怒りが渦巻くが、かける言葉が見つからない。
兎歌はシャオの手をそっと握り、桜色の髪を揺らしながら、ただ静かに寄り添う。
桜色の瞳には、シャオの痛みを共有したいという純粋な願いが宿っていた。
「シャオ……ごめん、わたし、なんと言えば……」
兎歌の声は小さく、涙でかすれる。
シャオは無理やり唇の端を引き上げ、兎歌の手を握り返した。
「バーカ、泣くなよ。オレが弱音吐いたのが悪い。戦争なんて、いつものことだろ?」
だが、その言葉とは裏腹に、シャオの瞳からは雫がポタポタと落ちる。
烈火は歯を食いしばり、感情を振り払うように首を振った。
と、その時───
びーろーりーろーるーッ。
兎歌の通信パネルのブザーが鋭く鳴り響いた。
「ほぁ!?」
慌ててパネルを手に取ると、画面に映ったのはプロメテウスの艦長───
「レゴン艦長!」
『うむ』
痩せぎすの中年男性の表情は、いつもより幾分か引き締まっている。
レゴンは通信パネル越しに、病室に揃った三人を一瞥し、落ち着いた声で告げた。
『3人ともいるな? よかった』
「あー、いますけど、どうしたんですか?」
『六番地区のドックに来てくれ。烈火とシャオも一緒にな。詳しくは現場で話そう』
「は、はい」
ピコンッ。
通信が途切れ、三人は互いに顔を見合わせる。
シャオの瞳にはまだ砂漠の民の痛みが残り、烈火の拳には抑えきれない怒りが宿っていたが、レゴンの呼び出しに疑問を抱く余裕はなかった。
兎歌は小さく頷き、立ち上がる。
「レゴン艦長が言うなら、きっと大事な話だよね。行こう、烈火、シャオ。」
「「ああ」」
烈火は小さくうなずき、シャオも気を取り直すように髪をかき上げた。
「ったく、こんな時に何だよ。ま、行ってみりゃ分かるか」
三人は病室を後にし、病院の白い通路を急ぐ。
金属の壁に反響する足音が、戦争の足音と重なるようだった。