前編:シグマ帝国の現状
火炎、塵芥、燃えかす。
焼け焦げた大地が、どこまでも広がっていた。
かつてはシグマ帝国の誇る工業都市だったこの場所は、今や黒い煙と灰の海に沈んでいる。
戦闘空母『ヴァーミリオン』の艦橋から見下ろすゲイル・タイガーの瞳は、冷たく、しかしどこかやるせなさに曇っていた。
金髪が薄暗い照明に映え、鋭い顔立ちに深い影が刻まれる。
「チ、一足遅かったか」
低い呟きが、艦橋の静寂を破った。
眼下では、崩れた工場の残骸が赤くくすぶり、風に舞う灰がまるで亡魂のように漂っている。
遠くの空、雲を裂くように悠々と飛び去る巨大な影───ノヴァ・ドミニオンのコマンドスーツ、サーペント・ガレル。
「ノヴァの新型か……! 国が疲弊しているところを突いてくるとはな」
リパルサーリフトの唸りが遠ざかっていく。
追いすがるには遅すぎる距離だ。
「くそっ……またやられたッスよ、隊長」
隣に立つドレッド・ドーザーが、太い腕を握り潰すようにしながら唸る。
褐色の肌に汗が光り、荒々しい声には怒りと無力感が滲んでいた。
彼の視線は、焼け落ちた街の地獄絵図に釘付けだ。
「こんな……こんなことが……」
ルシア・ストライカーの声は小さく、震えていた。
青い髪をポニーテールにまとめたルシアは、普段の凛々しさとは裏腹に、唇を噛みしめ、拳を握っている。
眼下の惨状は、先日、自分たちが作り出した地獄絵図と重なり、言葉では表せない感情が巡っていた。
ゲイルは二人を一瞥し、静かに息を吐く。
「帰るぞ。ヴァーミリオンに人命救助の装備はない。人を殺すための軍人がここにいても、誰も助けられん」
「隊長……」
その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせるようだった。
冷徹な指揮官の仮面の下で、ゲイルの胸には微かな苛立ちが渦巻いている。
敵を討つことしか知らない自分たちの無力さが、ひどく重く感じられた。
「隊長……このままじゃ、またどこかの街が……」
ルシアが顔を上げ、すがるような目でゲイルを見つめる。
だが、ゲイルは首を振り、モニターに視線を戻す。
「ルシア、ドレッド。帰投するぞ」
その声は低く、感情を押し殺していた。
ヴァーミリオンのリアクターが唸りを上げ、艦はゆっくりと向きを変える。
焼け野原を背に、シグマ帝国の戦闘空母は暗い雲海へと消えていった。
〜〜〜
シグマ帝国の中枢都市『アヴァルシア』。
その王宮は、重厚な石造りの壁に囲まれ、まるで要塞のようにそびえ立っていた。
高い天井に吊られたシャンデリアが、冷たい光を放ち、議場を照らす。
だが、その光の下で行われる議論は、熱を帯び、混沌としていた。
「リープランドの離反は、軍の失態だ! なぜあんな小国を見逃した!」
「失態だと? ノヴァ・ドミニオンの襲撃がなければ、こんな事態にはならなかった! 情報部の怠慢だろう!」
政治家たちの声が、議場に響き合う。
誰もが責任を押し付け合い、解決策を提示する者はいない。
「……」
戦争の長期化により、軍人が政治の中枢に食い込むようになって久しい。
議場の片隅、ゲイル・タイガーは無言でその光景を眺めていた。
刺々しい金髪が揺れ、切れ長の目には軽蔑の色が浮かんでいる。
((無能が喚き合ったところで、何も変わらん))
ゲイルの心は冷え切っていた。
シグマ帝国の未来は、このままでは暗い。
リープランドの離反、ノヴァ・ドミニオンの襲撃、そしてエリシオンの新型コマンドスーツによる軍事的損失───全てが、帝国の基盤を揺さぶっている。
だが、議場に響くのは、ただの言い争いだけだ。
「ふぅん、また逃げられたの?」
と、揺らめくような声がした。
振り返ると、戦闘空母『ドラゴナイト』の艦長、イオ・ロックウェルが近づいてくる。
「後ろ、通るわよ」
豊満な胸を揺らし、赤い軍服に身を包んだイオは、鼻を鳴らすように笑った。
そして胸を当てるように後ろを通り、席に着く。
黒髪を緩いウェーブにまとめ、鋭い緑の瞳がゲイルを捉える。
「だから言ったじゃない。アタシに任せれば、こんなことにはならなかったのに」
その声は軽やかだが、どこか挑発的だ。
イオは、戦場での手柄を嗅ぎ分けるのが得意な女だ。
ゲイルも、その追跡能力と戦術眼は認めている。
((だが、イオの実力では、街を焼き払うような強敵を相手にするのは難しいだろう……))
ゲイルは内心でそう考えながらも、表情を変えず応じる。
「イオか。ドラゴナイトの準備はできているのか?」
「あら、話を逸らさないでよ、ゲイル」
イオは唇を尖らせ、腕を組んで胸を乗せた。
その視線は、ゲイルの冷徹な表情を突き刺すように鋭い。
「ノヴァ・ドミニオンのあの化け物、追うならアタシの艦が最適だって知ってるでしょ? ヴァーミリオンじゃ、ちょっと鈍重すぎるんじゃない?」
「……追跡はできても、仕留められなければ意味がない」
ゲイルの声は静かだが、言葉には棘があった。
イオの眉がピクリと動く。
「ふーん、随分と自信満々ね。じゃあ、ヴァーミリオンでどうやってあの化け物を倒すつもり? まさか、またエリシオンに美味しいところを持っていかれるつもり?」
イオの言葉に、ゲイルの目が僅かに細まる。
エリシオンの名を聞くたび、胸の奥で燻る炎が揺れる。
何度も戦い、そして敗北した。獣のような炎が、ゲイルと、その仲間を焼き尽くしたのだ。
───その事実は、ゲイルのプライドに傷をつけた。
「次は逃がさん」
ゲイルの声は低く、抑えた怒りが滲む。
イオは一瞬その眼光に気圧されたように見えたが、すぐに笑みを浮かべる。
「ふふっ、頼もしいこと。じゃあ、ゲイル、賭けでもしない? 次の戦いで、どっちが先にノヴァ・ドミニオンの化け物を仕留めるか」
「賭けか。……子供じみたことを」
「いいじゃない、ちょっとした刺激よ。負けたら……そうね、ゲイルの秘密の携帯食料のストック、全部アタシにちょうだい」
イオがウインクしながら言う。
ゲイルは小さく鼻を鳴らし、横目でちらりとイオを見た。
イオの赤い軍服が議事堂の冷たい光に映え、挑発的な緑の瞳がゲイルを捕らえている。
「……ん?」
ふと思いついたように、ゲイルは口の端を僅かに吊り上げ、低く尋ねた。
「イオ、……賭けと言うなら、俺が先に仕留めた場合、何をくれるんだ?」
その声は静かだが、どこか意地悪な響きを帯びていた。
イオの動きが一瞬止まり、緑の瞳がわずかに揺れる。
だが、彼女はすぐに持ち前の調子を取り戻し、豊満な胸を張って笑い返す。
「ふーん、ゲイルったら欲張りね! アタシが負けたら、好きなもの差し上げちゃうわよ。金? 手柄? それとも……」
ここで言葉を切り、わざとらしく唇に指を当て、艶っぽく微笑むイオ。
勢いに乗ったイオの声が、議場のざわめきの中で囁かれた。
「なんなら、アタシの処女だって捧げちゃってもいいわよ……!」
その瞬間、前方で物音。
聞き耳を立てていた政治家たちがギョッと振り返り、イオの顔がみるみる赤く染まる。
心臓がドクンと跳ね、内心の動揺が隠しきれなかった。
((あ、しまった……! な、なんでそんなこと言っちゃったの、アタシ!?))
ゲイルは一瞬驚いたように目を細め、すぐに冷たい笑みを浮かべた。
上半身をイオに寄せ、声を低くして囁く。
「ほう、処女か。イオ、ずいぶん高い価値を提示するじゃないか。だが……」
ゲイルはわざと間を置き、イオの赤面した顔をじっと見つめる。
「本当なら、是が非でも勝ちにいかねばな」
「な、ななっ!?」
イオの声が裏返り、顔がさらに真っ赤になる。
慌てて両手を振って取り繕うが、言葉がうまく出てこない。
「ち、ちょっと! ゲイル、からかわないでよ! 冗談、冗談だってば!」
「冗談か? ふむ、残念だ」
ゲイルは肩をすくめ、冷たくもどこか楽しげな視線を投げる。
対して、唇を尖らせ、恥ずかしさを隠すようにそっぽを向くイオ。
「もう、ゲイルのバカ! 絶対アタシが勝つんだから、覚悟しなさいよ!」
そんな二人のやり取りなどとは無関係に、議場では愚にもつかぬ議論が続いていく。
〜〜〜
シグマ帝国の軍事要塞『バグラザード』。
その格納庫は、鋼と油の匂いに満ち、巨大なコマンドスーツが整然と並ぶ。
蛍光灯の白い光が、金属の表面を冷たく照らし出す。
「うぉおお、凄いッスねぇー」
「これが新型ですか……」
ゲイル・タイガー、ドレッド・ドーザー、ルシア・ストライカーの三人は、格納庫の中央に立つ新型機を前に、メカニックのキュロンの説明に耳を傾けていた。
キュロンは橙色の髪をポニーテールにまとめ、眼鏡の奥で少し申し訳なさそうな瞳を揺らしている。
作業服の隙間から覗く豊満な胸が、説明のたびに軽く揺れる。
「これが、ジャガノート・ゼオラの戦闘データを基に改良を加えた新型機です。ゲイル隊長の『バーキッシュ』、ルシアさんの『ウィンディア』、ドレッドさんの『ギガローダー』……それぞれのパイロット特性に合わせて、専用チューニングを施しました」
彼女の声は真剣だが、どこか自信なさげだ。
格納庫に並ぶ三機は、それぞれ異なる個性を持つ。
バーキッシュは流線型の軽量装甲に高精度の火器を搭載し、全距離に対応できる。
ウィンディアは機動性重視で、ルシアに合わせてブースターを増設してある。
ギガローダーは重装甲と追加ブースターを追加され、ドレッドに合わせ、パイロットの負荷を考慮しない仕様になった。
「これらの機体には、オーバーリアクターに加え、パイロットの闘争本能を引き出すシステム……インスティンクツを搭載しています」
「インスティンクツ……?」
「はい」
キュロンは小さくうなずく。
「パイロットの脳を刺激して、強制的に精神波を増幅するシステムです。これにより、機体の反応速度を向上できます」
「おお!」
「凄いですね」
キュロンの言葉に目を輝かせるルシアとドレッド。
「もちろん、アニムスキャナーの受信容量も通常のものより多くなっていますので、これで暴れ馬な機体でもしっかり動かせるはずです」
「すげぇッスね! これならエリシオンのヤツらもぶっ潰せそうじゃねぇッスか!」
ドレッドが拳を握り、豪快に笑う。だが、キュロンは小さく首を振る。
「実は……申し訳ないんですけど」
キュロンは眼鏡を押し上げ、言葉を慎重に選ぶ。
「これらの機体、予算を惜しまず高性能化を推し進めました。ですが、エリシオンの科学力にはどうしても及ばなくて……。無理な設計ですから、機体にもパイロットにも負担がかかるんです。それでも、性能では、エリシオンの機体を上回ることはできませんでした。むしろ、負担を考えたら負けてるかもしれません」
「そ、それは……厳しいですね」
「正直、性能差は残酷ッスよ……」
ゲイルは無言でバーキッシュを見つめる。
流線型の機体は、確かに美しい。
だが、ゲイルの鋭い目はその限界を見抜いていた。
エリシオンの機体───特に二人を撃墜した、あの炎じみた赤い機体。
それらに比べ、バーキッシュはまだ足りない。




