おまけ:四人の日常
時系列的には第三章のころのお話。
一話完結の番外編です。
カチ───ッ。
兎歌の私室のドアが閉まる。
プロメテウスの廊下は硬化樹脂に満ちているが、この部屋は桜色に染まっていた。
ベッドに桜色の毛布、机に冬用コートと烈火が買ってきたウサ耳の帽子、棚には小さなウサギのぬいぐるみが佇む。
「ふぅ……」
兎歌・ハーニッシュはベッドに寝転がり、天井を見つめていた。
ギシッ。
身をよじるとベッドが軋む。
桜色の髪がシーツに広がり、瞳には苛立ちと切なさが揺れていた。
「烈火のバカ…」
呟きが空気に溶ける。
烈火・シュナイダー。赤毛に赤い瞳、プロメテウス隊のエース。
鍛えられた長身に赤黒いパイロットスーツ。
あの野性的な笑顔とぶっきらぼうな口調。
……兎歌にとって、ただの幼なじみではない。
ピッ。
兎歌はタッチパネルを操作し、照明を落とした。
薄暗い光の中、胸に手を当てる。
前開きのパイロットスーツ。
着替えるたび、烈火の視線と小さなガッツポーズを見逃さない。
「女として……見てるよね?」
その声は自分に言い聞かせるよう。
だが、烈火は一線を越えない。
混浴の事故でも触れなかった。
庇護の意志だけが赤い瞳に宿る。
「うぅ……」
……ムズムズ。
兎歌は無意識に太ももをすり合わせ、頬が熱くなる。
パネルを操作し、サポートAI・ハミットに接続。
「ねえ、ハミット、男性の…その、勃起時の膨張率って?」
声が震える。
ハミットは、まるで同年代の少女のような、ちょっとツンとした声で答えてくれた。
『はぁ? そんなこと聞くなんて、兎歌ったら大胆ね。長さ約40%、太さ役25%増よ。もういい?』
「う、うん、十分!」
兎歌はパネルを切り、心臓の高鳴りを抑えた。
お風呂で見た烈火の姿。
あれが……。
二人の身長差は20cm、それで、鍛えられた体で押し倒されたら───。
『や、やあ……!』
『はんッ、暴れんなよ、兎歌。お前の細腕で抵抗しても無駄なの、分かってるだろ?』
『でも、こんなの……ダメだよ』
『今更遅いぜ。ほら、ここが感じるんだろ?』
「うぅ、だめ、こんなの…!」
両手で頬を叩き、妄想を振り払う。
だが、烈火の庇護対象でしかない現実が、悔しくてたまらない。
彼女もコマンドスーツを操るパイロットなのに。
「フー……ッ」
兎歌はため息をつき、仰向けになる。
桜色の髪が乱れ、大きな胸が揺れる。
このままでは、烈火との距離は縮まらない。
兎歌には耐えられない未来だった。
~~~
ガコン───。
烈火の私室のドアが重々しく閉まる。
プロメテウスの無機質な回廊とは裏腹に、この部屋は彼の息遣いを感じさせる。
簡素なベッド、壁には冬用のコートと、兎歌が編んだ赤いマフラー、床には赤いダンベルが転がっている。
機能的だが、どこか烈火の野性味を映す無骨な空間だ。
「……あぁ」
烈火・シュナイダーはベッドに腰かけ、グッと拳を握りしめる。
赤い瞳に苛立ちが滲む。
……原因は、幼なじみの女の子、兎歌・ハーニッシュ。
あの桜色の髪、桜色の瞳、そして───ドクン───前開きのパイロットスーツから覗く、目を逸らせない谷間。
訓練中、薄着で笑う彼女の姿が脳裏に焼き付く。
「くそっ、なんであんな無防備なんだ…!」
低く、吐き捨てるように響く声。
兎歌は幼なじみだ。
守るべき妹のような存在。
だが、彼女の成長は止まらない。
華奢な体は、今や紛れもない「女」の曲線を描いていて、烈火の血が騒ぐ。
本能が、彼女を腕に抱きたがる。
だが、理性がそれを押しとどめていた。
「傷つけるわけには……いかねえだろ」
烈火は頭を振った。
兎歌を失うことへの恐怖が、彼の性欲を鎖で縛っている。
彼女はプロメテウス隊のパイロットとして戦場を駆ける。だが、烈火の心には、かつての小さな少女の姿が今も残っているのだ。
ピピッ! 突然、部屋に呼び出し音が鳴り響く。烈火のタッチパネルが光り、AI・ハミットの声が流れる。兎歌用のツンとした口調とは違い、烈火用のハミットは少し柔らかい。
「烈火、急いで! 出撃要請よ。格納庫にダッシュして!」
「なんだって? 今かよ!」
烈火は怪訝な顔で立ち上がり、赤黒いパイロットスーツに身を包む。シュッとスーツが体にフィットし、鍛えられた筋肉を際立たせる。彼は部屋を飛び出し、金属の回廊を疾走する。ドドドッ。足音が反響する。
ゴゴゴォ───。
エリシオン加盟国の一つ、『レヴァンド』の港は、潮風と機械油の匂いに満ちていた。
戦闘空母プロメテウスが停泊し、補給作業が急ピッチで進む。
港のクレーンが低く唸り、貨物コンテナが次々に甲板へ運ばれていく。
海鳥の鳴き声が、夕暮れの空に響いていた。
ギゼラ・シュトルムは紫の大型コマンドスーツ、ウェイバーのコックピットに収まり、機体を操る。
金髪が紫のパイロットスーツの隙間から覗き、戦闘直後とは思えぬ洗練された動きで、ガコンと貨物を正確に積み上げていく。
機体から粒子キャノンやミサイルコンテナは外され、ウェイバーは戦闘機から作業機械へと姿を変えていた。
『よっし、次! テキパキやんな!』
「おーっす!」
「あいよー!」
ギゼラの声がスピーカーから響く。
豪快だが温かみのある口調に、作業員たちは笑顔で応えた。
「うおッ!?」
ガタ───ッ!
若い作業員が操る小型コマンドスーツが、港の段差でバランスを崩した。
コンテナが傾き、キシッと金属が軋む。
だが、ギゼラは素早く動いた。
「うわっ! あ、ありがとうございます!」
紫の巨大な腕がコンテナを支え、転倒を防いでいた。
作業員の声が慌てて響く。
ギゼラはコックピットで笑い、スピーカー越しに応えた。
『いいんだよ、気をつけな。ほら、続きをやんな!』
「は、はい……!」
冷や汗を流して答える作業員。
エリートのパイロットでありながら、驕らない気さくな態度は、作業員たちの間でギゼラを人気者にしていた。
「ん……?」
ウェイバーはふと、その首を振り向けた。
視界の端に映るのは、港の柵越しに子供たちが手を振る光景。
レヴァンドの漁師町の子供たちだ。
ギゼラはウェイバーの手を軽く上げ、ブンブンと振ってみせた。
「わあっ!」
「おーい!」
子供たちの歓声が港に響く。
ギゼラの唇に、柔らかな笑みが浮かんだ。
子供たちの笑顔に、彼女は遠くにいる息子の顔を思い出す。
同じくらいの年頃。
やんちゃで、でも笑顔が愛らしい息子。
「アイツも…こんな風に笑ってるかな。」
ギゼラの声は小さく、潮風に溶けた。
戦場でウェイバーを駆り、命をかける理由。
それは息子の養育費のため。
彼女の豪快な笑顔の裏には、静かな決意が宿っていた。
「さて、次の荷物さね」
グオォオン……。
プロメテウスのリアクターが低く唸り、補給作業は続いていく。
ギゼラは再び操縦桿を握り、ウェイバーを動かす。
次の貨物が、夕陽に照らされて輝いていた。
ゴオオ───ッ。
戦闘空母プロメテウスの左舷砲撃室は、小さな振動と空気の震える音に包まれていた。
硬化樹脂の壁に囲まれた部屋には、レーダーモニターや操作パネルが並んでいる。
砲撃シミュレーターのモニターが青白く光り、画面に映るのは仮想の敵艦。
「うぅ……ん」
ミラノはシミュレーターの画面を睨み、額に汗を浮かべていた。
金髪のポニーテールが揺れ、灰色の制服が彼女の小さな体を包む。
「ああー!?」
ピピ───ッ。
再びミスを犯し、画面に「MISS」の赤い文字が点滅する。
放たれた弾丸は空を切り、反撃が画面を白く染めた。
「ふぅ…。あたしって、ダメダメですね…」
ミラノの小さなため息は、砲撃室に溶けて消えた。
彼女はプロメテウス隊の砲打手だが、艦のエリートたちに比べ、自信が持てずにいた。
パイロットたちは鬼神のように強く、一人一人が機動要塞より強い。
メカニックたちは最新鋭の機体を任されるエリート揃いであり、ミラノの頭では理解できないことをいつも考えている。
ブリッジにいるのも、食堂にいるのもエリートばかり……。
そんな中で、ミラノは良くて普通、相対的には落ちこぼれだった。
カツン。
「ん……?」
革靴の音が響き、ミラノは顔を上げた。
そこには銀髪の紳士が立っていた。
プロメテウス隊のパイロットで、落ち着いた物腰の紳士、マティアス・クロイツァー。
銀髪に青い瞳、紺色のパイロットスーツが彼のいぶし銀な風貌を引き立てる。
「マ、マティアスさん!」
ミラノは慌てて立ち上がり、ピシッと敬礼する。
だが、マティアスは穏やかな笑みを浮かべ、手を振った。
「そんなに畏まらなくとも良いよ、ミラノ。…苦戦しているのかね?」
彼の声は柔らかく、砲撃室の冷たい空気を和らげるようだ。
その声に、ミラノの頬はわずかに赤くなる。
「え、えっと…はい、ちょっと…シミュレーター、思うようにいかなくて…」
マティアスは隣の椅子に腰かけ、彼女の隣に視線を向けた。
隣にたたずむ姿に、ミラノの胸(やや大きめ)はドクンと高鳴っていく。
「どれ、ちょっとやっているところを見せてくれないか? 何かコツを掴めるかもしれない」
ミラノの指が震える。
((エリートのパイロットに自分なんかの下手な操作を見られるなんて……))
ゴクリ。
ミラノは唾を飲み込み、シミュレーターのコンソールを握った。
「は、はい! やってみます!」
ピ───ッ。
画面が再起動し、仮想の敵艦が迫ってくる。
灰色の空を背景に、浮遊する戦闘艦がこちらへと砲台を向けた。
「そこッ!」
ミラノの指がコンソールの上を踊るが、照準はわずかにぶれ、放たれた荷電粒子砲は目標を外れ飛んで行った。
画面に再び「MISS」が点滅。
「うぅ…やっぱりダメです…」
ミラノの肩が落ちる。
だが、マティアスの目は優しく、彼女の操作をじっと見つめていた。
「……ふむ」
マティアスは静かに彼女の隣に座っている。
その目はゆっくりと画面を走っていた。
「ご、ごめんなさい……」
ミラノの声は消え入りそうだった。
だが、マティアスは穏やかに微笑み、そっと彼女の肩に手を置く。
「緊張しているな。深呼吸して、肩の力を抜き給え。」
「は、はい……」
ミラノの頬が熱くなる。
「スー……ッ、ハー……ッ」
言われた通り深呼吸すると、心臓の鼓動が少し落ち着いてきた。
マティアスの手は温かく、落ち着いた指導が続く。
「少しトリガーから指を放して……相手の機動に呼吸を合わせて。そう、良い感じだ……」
ピピ───ッ。
画面の照準が、仮想の敵艦にじわりと重なる。
ミラノの指がコンソールを滑り───
───バシュン!
荷電粒子砲が命中。
画面に光る、緑色の「HIT」の文字。
ミラノは目を輝かせ、思わず振りむいた。
「や、やった…!」
マティアスは静かに頷き、紳士らしい笑みを浮かべた。
「その調子だ、ミラノ。君には才能があるよ。」
「は、はい……!」