幕間:作戦参謀の日常
成層圏での戦いが終わりを迎えた翌日、海洋国家レヴァンドの王宮に朝が訪れていた。
大理石の会議室の窓からは、白い城下町が陽光に輝き、遠くで波の音が穏やかに響き合っている。
戦いの残響が遠くに消え、平和な光景が広がっていたが、室内には微かな緊張が漂っていた。
楕円形のテーブルの両端に座るのは、エリシオンの代表セレーナ・エクリプスと、作戦参謀のギン。
セレーナの金髪が朝陽を反射し、白いローブが気高さを際立たせるが、その瞳には迷いと疲れが宿っている。
一方のギンは、長い銀髪を纏めて背に流し、底知れない瞳に柔らかな笑みを浮かべていた。
指先でペンをくるくると回しながら、彼女の言葉に耳を傾けている。
セレーナは内心で知っていた。
ここまでの計画を緻密に練り、裏で手を回してきたのは、この目の前の青年だということを。
タンドリアの加盟も、レヴァンドの調印も、ギンの策略がなければ成し得なかった。
自分はそのコマに過ぎない───その自覚が、彼女の心に重くのしかかっていた。
かつて東武連邦に拉致された時、どこからともなく現れた特殊部隊に救われた記憶が蘇る。
あの時、ギンは流れを読んで部隊を待機させていたのではないか?
疑問が頭をよぎるが、それを口にする勇気はなかった。
もし真実を問えば、ギンの柔らかな笑みの裏に隠された何か───例えば冷徹な計算、例えば彼女を駒としか見ない視線───が露わになるかもしれない。
それを恐れ、セレーナは黙って報告を続けた。
「昨日、タンドリアに続いてレヴァンドがエリシオンの傘下に加わったわ」
「うんうん」
「大陸西のリープランドからも加盟の声が上がっていて、近日中に使者が来る予定よ」
セレーナは地図に視線を落としながら言った。
赤い線が勢力範囲を示し、新たな印がエリシオンの成長を現す。
ギンはペンを止め、柔らかく頷いた。
「素晴らしいよ、セレーナ。キミの手腕がなければ、ここまで勢力を広げられなかった。政治家として、本当に有能だ」
「有能だなんて……私はただ指示に従っただけよ」
セレーナは苦笑いを浮かべた。
視線が窓の外に逃げ、城下町の白い屋根を見つめる。
セレーナの心に、別の話題が浮かんでいた。
「それと、サーペントと呼ばれる新型機のパイロットについて」
「ほう」
「烈火の報告によると、幼い少女だったそうよ。それなのに、とても強かった、と」
ギンの瞳が一瞬鋭く光り、すぐに笑みに戻った。
「そうだろうね。ネクスターが人類進化の一つだとすれば、若い世代ほどその能力が進化しているはずだ。例えば、烈火や兎歌も20歳に満たない若者で、ネクスターの素質を持っている。ノヴァ・ドミニオンが同じようにネクスターを用意していても、不思議じゃないよ」
セレーナは頷きつつも、眉を寄せた。
「確かにそうかもしれない。でも、プロメテウス隊の過酷な戦いの日々を思うと……私が彼らを死地に追いやっているんじゃないかって、不安になるの。私の決断のせいで、年端もいかない子たちが犠牲になるのよ」
その言葉に、ギンは静かに立ち上がり、テーブルの端に腰を掛けた。
銀髪が揺れ、セレーナを優しく見つめる。
「セレーナ、都合よく戦いを避けられる方法なんてないよ。もしあったら、オレがとっくに実行している。戦わなければ、何も手に入らないし、奪われるだけだ」
「それは……」
「それに、プロメテウス隊が戦うのは、キミじゃないくて、オレがそのように計画したからだ」
ギンの声は柔らかくも確信に満ちていて、セレーナの心に染み込んだ。
だが、セレーナの胸にはまだ重い影が残っていた。
ギンの言う通りかもしれない。戦いは避けられないし、プロメテウス隊はギンの作戦によって戦場に立つ。
けれど、それで納得して良いものかどうか、セレーナには分からなかった。
「キミが東武連邦に拉致された時も、ただ運が良かっただけじゃないよ」
ギンが突然口を開いた。
セレーナの心臓が跳ね、視線がギンに釘付けになる。
「流れを読んで、部隊を待機させていた。キミが無事に戻ってきてくれて、本当に良かったと思っている」
「……ッ!」
その告白に、セレーナは息を呑んだ。
やはりギンは全てを見越していたのだ。
セレーナを救った特殊部隊も、彼の手駒だった。
驚きと同時に、奇妙な安堵が胸に広がる。
ギンが裏で動いている限り、自分は守られている───その事実が、彼女に微かな安心を与えた。
「ありがとう、ギン……でも、私にはまだ分からないわ。自分が本当にこの役割にふさわしいのか」
セレーナは小さく呟いた。
ギンは笑い、地図を手に取って広げた。
「キミがふさわしいかどうかは、結果が証明してるよ。タンドリアもレヴァンドも、キミがいなければエリシオンの一部にはならなかった。オレが計画を立てても、それを形にするのはキミだ。キミは傀儡なんかじゃない。エリシオンの顔なんだ」
セレーナは地図を見つめ、赤い線が広がる様子に目を細めた。
ギンの言葉が、彼女の迷いを少しずつ溶かしていく。
確かに、セレーナが動いたことで国々は繋がり、巨大国家への対抗策が形になりつつあった。
「次はリープランドだね」
ギンが話題を変えた。
「彼らが加盟すれば、大陸西の拠点が手に入る。こっちの方でも作戦を調整しておくよ」
セレーナは頷き、地図に新たな印を付け加える
「ええ、リープランドの交渉は私が引き受けるわ。ギンには軍事面を頼みます。プロメテウス隊のことも……お願い」
「任せて。できる限りの援護をしよう」
ギンはうなずき、魔法のように姿を消した。
否、最初からここにはいなかったのだ。
ギンは立体投影でセレーナに対応してくれていたにすぎない。
「ギン……」
窓の外では、城下町の人々が日常を送り、白い風景が朝陽に輝いている。
セレーナは思わず胸に手を当てた。
窓の外の人たちの中には、裕福ではないものも多くいる。
エリシオンに加盟したことで、軍事費の供出を要求され、人々は貧困に喘いでいる。
そして、その予算で動く者たちがセレーナを支えている。
ギンはこの貧困国家を指定し、言外に伝えているのだ。
自分に課せられた役目と、その責任の重さを。
「……そうね。私が、くよくよしてちゃいけないものね」
セレーナは以前、烈火という青年に諭されたことがある。
寝るところも食事もあるのに悩むのは、贅沢だと。
言われたのに、悩んでばかりだ。
もっともっと、強くならなくては。
「そうね。私も、がんばらないと」
そう呟いて、セレーナも部屋を後にした。
やることは山積みだ。
防衛軍の配備、予算会議、加盟国間の対立の仲裁……。
まずは、このレヴァンドの民が飢えずに済むよう、支援をしなくては。
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エリシオン本国は、大陸南の熱帯気候に抱かれた小国家だった。
青い海に囲まれ、ヤシの木が揺れる首都の地下には、秘密の庭園が広がっている。
色とりどりの熱帯植物が咲き乱れ、人工の滝がさらさらと流れるその場所で、ギンは通信パネルを開いた。
青年の瞳が、ホログラムに映る技術者たちを捉える。
『オレだ。進捗はどうかな?』
ギンの声は軽やかだが、鋭い意図が隠れている。
ホログラムの向こうで、開発担当のおやっさんが首を振る。
無精ひげを生やした中年男の顔に、疲れと苛立ちが滲む。
『まいったな、ギンさん。プラズマリアクターの建造に必要なレアメタルが足りねぇ。一部の工程が完全に止まっちまってる』
ギンはニヤリと笑い、予想通りだとばかりに肩をすくめた。
『そろそろ困ってる頃だろうと思ったよ。いいさ、リアクターは後回しで構わない。機体本体を優先してくれ。プロメテウス隊が戻ってくる前に、使えるものを揃えておきたい』
ギンは考える。
プロメテウス隊は強いが、無限に勝てるわけではない。
烈火、兎歌、マティアス、ギゼラ……可能な限り腕の立つものを用意したが、いつかは負ける日が来るかもしれない。
その時のために、機体を強化し、戦力を整えておく必要がある。
『了解だ。本体の建造もまだまだかかるしな』
おやっさんが少し明るい声で続ける。
『ところで、ルナの改修は順調だ。進捗はバッチリだぜ。言われた通り、両腕のマルチプルユニットを増設した。ファングパックがなくても、これなら十全に戦える』
ギンは頷き、地下庭園の滝を見ながら考える。
ルナとアズールは本国防衛の要だ。
追い詰められた敵がこの場所を狙ってくる可能性は高い。
その時を見据え、戦力を増強しなくては。
『そういえば、リベルタとダフネの状態は? リアクターはともかくとして、機体そのものに遅れは?』
ギンが尋ねると、おやっさんが少し声を低くする。
『リベルタは兎歌ちゃんのネクスター適性に合わせて調整中だ。ブレイズとのシンクロ率を上げるのが課題だが、順調っちゃ順調。ダフネは……パイロットがいねぇから、テストが遅れてる。誰かいい候補いねぇか?』
『パイロットか……頭に入れとくよ。とにかく、ルナを最優先で仕上げて欲しい。敵はいつ来るか分からないからね』
『あいよ。任せときな。できる限りのことをしてやる』
ギンは通信を切り、地下庭園のベンチに腰を下ろす。
熱帯の花の香りが漂い、滝の音が静かに響く。
いつの間にか、隣には猫耳の帽子をかぶった少女が立っていた。
「大変だねぇ、カイ」
ギン……今はカイと呼ぶべきか……は、首を振った。
「そんなに大変でもないよ。陰ながらフォローしてくれる相方がいるから」
「そう? 睡眠時間は削ったらダメだよー」
少女は隣に座り、金髪を揺らして肩を寄せた。
「わかってる。ここまで来たんだ。今さら寝不足で倒れたなんて間抜けなことはしないぜ」
「そう? ならいいケド」
カイは腕を伸ばして少女を抱き寄せる。
「ミィ。世界平和とか、大それたことは考えてないけどさ。この小さな家を守るために、ここまで苦労するとは思わんかったよ」
「それは……そうだね」
カイの頭脳は冷酷な計算結果を持っていた。
軍事同盟を結び、仲間を増やし、世界を相手に戦争をする。
そこまでしなければ、この地下庭園は守れないのだ。
愛する少女を一人守れればそれでよかった。
それなのに、100年以上をかけて、随分と大事になってしまった。
「カイ……」
「面倒だけど、まぁ、頑張ってみるさ」