後編
時間は現代へ、場面は監視塔に戻る。
マティアスの声が、静かに烈火に届く。
「いやな話をしたね。まぁ、殺し合いとは嫌なものだ。嫌な思いをしているのは、君だけでもないのだよ」
「マティアス……」
「君が今、感じているその葛藤は、決して無駄ではない。戦う理由を見失いそうになる時こそ、己の心と向き合う時なのだ、烈火」
「……」
広がる青空を背に、マティアスの銀髪が微かに揺れる。
烈火は壁にもたれ、拳を握りしめながら、マティアスの言葉に耳を傾ける。
過去の記憶を語り終えたマティアスの瞳には、遠い痛みと、なお消えぬ覚悟が宿っていた。
「烈火君。何が正しいのか、私には今も分からない。いや、勝手に決めるべきではないのだと思う」
マティアスは窓から視線を外し、烈火をまっすぐに見つめた。
普段の穏やかな物腰に、ほのかな熱が混じる。
彼の声は、まるで自らに言い聞かせるようでもあった。
「だが、一つだけ確かなことがある。引き金を引かなければ、仲間が死ぬ。これだけは、紛れもなく正しい」
烈火の瞳が揺れる。
マティアスの言葉は、烈火の心に重く響いた。
マティアスは一瞬、視線を落とし、かすかに唇を噛んだ後、言葉を続けた。
「君が子供を殺せないと悩むこと。それは恥ではない。むしろ、正しい。正しくなければいけないのだ、烈火」
「……ッ」
烈火は息を呑む。
マティアスの声には、どこか切実な響きがあった。
彼はゆっくりと近づき、烈火の肩に手を置いた。
その手は、戦場で無数の引き金を引いてきた重みを感じさせるものだった。
「代わりに、私が引き金を引く。少女から家族を奪い、部下を殺したこの手は、どうせ地獄に落ちる運命だ。もう一人分、二人分の罪を背負ったところで、何も変わりはしない」
マティアスの瞳に、かすかに涙が滲む。
烈火は初めて見るその光景に、言葉を失った。
マティアスは微かに微笑み、声を低くした。
「だから、烈火君。君のその思い───子供を殺したくないという心を、決して消さないで欲しい。それが、君が戦う意味なのだから」
烈火はマティアスの瞳を見つめ返し、胸の内で何かが軋むのを感じた。
戦うことの重みが、改めて肩に食い込む。
敵はゲームのキャラクターではなく、血の通った人間だ。
少女パイロットの恐怖の表情が、烈火の心に焼き付いて離れない。
それでも、仲間を守るため、村を守るため、人を殺さなければならない。
「俺、は……」
烈火にとって、殺人は特別なことではなかった。
幼少期から、生きるか死ぬかの過酷な世界を生き抜いてきた。
家族を奪われ、故郷を灰にされた日から、戦うことは彼の存在そのものだった。
だが、今、マティアスの言葉は、烈火に新たな視点を与えていた。
殺すことの重さ、守ることの重さ。
それを背負いながら戦い続ける覚悟……。
マティアスの涙と、静かな決意に満ちた眼差しは、烈火の心に火を灯した。
烈火は拳を緩め、ゆっくりと頷く。
「マティアス……俺、戦うよ。どんなに重くても、仲間を守るためなら、引き金を引く。けど、俺も、子供を殺したくないって気持ち、捨てねえ」
マティアスは烈火の言葉に小さく微笑んだ。
涙の滲んだ瞳が、わずかに安堵を湛える。
「それでいい、烈火君。君のその心が、エリシオンを導く光になる」
監視塔に静寂が戻り、モニターの微かなノイズだけが響く。
灰色の空の下、烈火はマティアスの覚悟に勇気をもらい、胸に新たな決意を刻んだ。
二人の間に流れる沈黙は、もはや重苦しいものではなく、互いの信念を確かめ合うような静けさだった。
烈火はマティアスの言葉を胸に刻み、静かに頷くと、ヘルメットを脇に抱えて監視塔を後にした。
ウィーン……。
ハッチが閉まる音が響き、狭い空間に再び静寂が戻る。
マティアスは窓の縁に手を置き、青い空を見やった。
雲が形を変え、流れていく。
「……」
烈火の背中が遠ざかる気配を感じながら、彼の心は語らなかった続きへと彷徨った。
〜〜〜
私の立ち直りには、もう一つの理由があった。
戦場を離れ、答えのない問いに苛まれていたあの頃、田舎町の片隅で一人の女と出会った。
埃っぽいバーのカウンターで、彼女は静かに微笑み、私の疲れた話を聞いてくれた。
彼女の名はエリナ。
飾らない笑顔と、温かな眼差しが、私の凍てついた心を溶かした。
やがて私たちは結婚し、家族に恵まれた。
娘が生まれた日の喜びは、戦場で味わったどんな勝利よりも深く、私の魂に刻まれた。
あの家族が、私を再び戦場へと立たせたもう一つの理由だった。
だが、私はそれを烈火に語らなかった。
必要ないからだ。
烈火の傍らには、桜色の髪を揺らし、彼を支える兎歌がいる。
あの少女の明るさと優しさは、烈火の心を照らす光となるだろう。
彼らは一人ではないのだ。
支え合う片割れが、必ずや絶望を跳ね除けるだろう。
私がそうであったように。
だから、ここで私が過去の幸福を語る必要はない。
〜〜〜
マティアスの視線は、遠くの荒野を越え、故郷の小さな家へと飛んだ。
エリナの笑顔、娘の無邪気な声。
戦場から遠く離れたその場所で、家族が彼を待っている。
マティアスは小さく息をつき、モニターの光に目を戻した。
モニター越しに、変わらぬ青空が広がる。
マティアスは静かに呟いた。
「エリナ、君たちのために、私は戦い続けるよ」
監視塔の静寂は、マティアスの決意をそっと包み込んだ。