エピソード・オリジン:ギゼラの場合
プロメテウスの格納庫は薄暗く、金属の壁に反響する低いうなりが響いていた。
カタン、カタンと工具が床に転がる音が時折混じる中、ギゼラ・シュトルムは一人、隅のモニターに目を凝らしていた。
金髪が肩に無造作に落ち、鋭い顔つきに映る青い瞳が、戦闘記録映像の光を浴びてキラリと光る。
画面では轟音が炸裂し、粒子砲の閃光が空を切り裂く。
ズガァァン!
管制塔が爆散し、オレンジと黒の炎が渦を巻いて舞い上がる。
続いて、敵のシェンチアンがアサルトライフルの連射を浴びせ、弾丸がビュンビュンと風を裂く。
ギゼラの唇がわずかに吊り上がり、満足げな笑みが浮かんだ。
「派手でいいねぇ。飽きねぇよ、これ」
彼女の手元でタブレットがカチリと音を立て、次のシーンへ切り替わる。
爆発と銃撃の応酬は、過去の戦いを反省するにも、敵の動きを分析するにも最高の教材だ。
ウェイバー・ザ・スカイホエールの重厚な紫の機体が映り、飛行形態で低空を滑る姿がド迫力で迫る。
ミサイルコンテナが開き、シュパパパ!と連続で炸裂弾が放たれる。
ふと、ギゼラは視線を格納庫の窓へと移した。
外では雨が降り始めていた。
ザァァ……と細かな水滴がプロメテウスの装甲を叩き、視界をぼやけさせる。
熱帯地域特有の湿った風が、わずかに開いた通気口から流れ込んでくる。
彼女は眉を軽く上げ、鼻で小さく息をついた。
「雨か。こりゃ敵に見つかりにくいし、冷却水もケチれるな」
プロメテウスが熱帯域に入った証だ。
雨の中を飛べば、索敵レーダーの精度が落ち、ウェイバーの大型プラズマリアクターも過熱を気にせずフル稼働できる。
戦術的には悪くない状況だが、ギゼラの胸にはなぜかアンニュイな気分が広がっていた。
彼女は背もたれにドサリと凭れ、金髪を指で軽くかき上げた。
「ったく、こんな天気だと気分までジメジメしちまうよ」
独り言が格納庫に響き、金属壁に反響して消える。
モニターでは再びウェイバーが映し出され、粒子キャノンが唸りを上げて敵陣を薙ぎ払う。
紫の巨体が爆撃機形態に変形し、空を切り裂く姿は壮観だった。
だが、ギゼラの目はどこか遠くを見ているようだった。
雨音がザァザァとプロメテウスの装甲を叩く中、彼女の意識は静かに過去へと滑り込んでいく。
20年前──まだ戦争の影が遠く、日常が緩やかに流れていた頃の記憶だ。
当時のギゼラは、肩まで伸びた金髪を無造作に結び、制服のネクタイをだらしなく緩めた少女だった。
男勝りでヤンチャな性格は学校でも有名で、男子生徒に混じってロボット研究部───通称「ロボ研」に顔を出しては、周囲を煙に巻いていた。
ガチャン! と工具を手に持つ音、ギィィと金属が擦れる響きが、彼女にとっては何よりも心地よかった。
「なぁ、先輩! このパワードスーツ、もっとスピード出ねぇの?」
作業場で汗まみれになりながら、ギゼラは先輩に絡むように笑いかける。
目の前には試作用のパワードスーツが鎮座し、関節がカタカタと動くたび、彼女の瞳がキラキラと輝いた。
「お前なぁ、無茶言うなよ。素人が動かせる限界ってもんがあるんだから」
先輩の呆れた声に、ギゼラはニヤリと歯を見せて笑う。
「素人じゃねぇよ。私だって立派なロボ研メンバーだろ?」
そんな日々が続き、ギゼラはパワードスーツの操縦に夢中だった。
男子たちと肩を並べ、時には殴り合いのケンカまでしてのけた。
だが、その荒々しい少女らしからぬ姿に、いつしか一人の先輩が目を留めるようになる。
部活のエースで、穏やかながらも芯の強い男───後の夫だ。
卒業の日は、予期せぬ形で訪れた。
ギゼラの腹に小さな命が宿り、二人は急いで籍を入れた。
デキ婚だった。式は質素で、友人たちが笑いものにしながら祝福してくれた。
「お前、結婚してもその性格治んねぇだろ!」
「うるせぇ! 治す気なんざねぇよ!」
笑い声が響き合い、ギゼラは照れ隠しに先輩──いや、夫の肩をバシッと叩いた。
彼は苦笑しながらも、彼女の手をそっと握り返す。
そんなささやかな幸せが、戦争の足音が近づく中でも続いていた。
新居は狭く、古びたアパートの一室だった。
朝はトーストの焦げる匂いが漂い、夜は夫が帰るのを待ちながらギゼラがジュースを煽る。
ビールは医者に止められたが、不満はなかった。
テレビからは遠くの国で戦争が始まったニュースが流れていたが、二人の小さな世界にはまだ届いていなかった。
「お前、子供できたら少しは落ち着くのかねぇ」
夫が冗談めかして言うと、ギゼラは缶をテーブルにドン!と置いて笑う。
「冗談じゃねぇ。アタシが落ち着いたら、アタシじゃなくなっちまうだろ」
夫は肩をすくめ、柔らかい笑顔を返す。
窓の外では風がそっと木々を揺らし、平和な日々が続いていた。
~~~
格納庫の現実に戻り、ギゼラの唇が微かに歪んだ。
あの頃の記憶は甘く、同時に苦い。戦争が全てを奪う前の、最後の光だった。
雨音がザァァと響き、ウェイバーの紫の装甲が薄暗い光に映える。彼女は拳を軽く握り、独り言を呟く。
「幸せだったなぁ、あの時は」
だが、その声はすぐに格納庫の金属音にかき消された。
過去は過去だ。
ギゼラは目を細め、再び戦場に向かう覚悟を静かに固める。
雨音が格納庫に響き続ける中、ギゼラ・シュトルムの意識は過去の続きをたどっていた。
戦争の足音が近づき、やがて全てを飲み込んだあの時へ。
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戦争は突然に始まった。テレビのニュースが現実となり、空が灰色に染まる日が来た。
爆音が大地を震わせ、遠くで閃光が夜を切り裂く。
ギゼラの小さな幸せは脆くも崩れ去った。
夫は志願し、前線へと赴いた。
「無茶すんなよ。帰ってこいよな。 ア・ナ・タ♡」
出発の日、ギゼラは夫の胸をバシッと叩き、笑顔で送り出した。
彼はいつもの穏やかな笑みを返し、約束した。
「ああ、帰ってくるさ。お前と子供に会うためにね」
だが、その約束は果たされなかった。
戦争が終わり、祖国が属国として屈したとき、戻ってきたのは夫ではなく、冷たい紙切れ一枚だった。
戦死通知書。
ギゼラはそれを握り潰し、焼け跡の街に立ち尽くした。
涙は出なかった。ただ、胸の奥で何かが軋む音がした。
街は瓦礫と灰に埋もれていた。
ギゼラは幼い子を抱え、建築現場で働き始めた。
ドガン!と鉄骨が打ち込まれる音、ガリガリと削られるコンクリートの響きが日常に溶け込む。
汗と泥にまみれながら、彼女は歯を食いしばった。
どれだけ失っても、人生が続くことが不思議でならなかった。
「ママ、疲れてるなら休んでいいよ」
子供が小さな声で言うたび、ギゼラは首を振って笑う。
「休んでるヒマなんざないぜ。生きるってのは戦うことだろ」
焼け跡から街が少しずつ立ち直るように、ギゼラもまた立ち続けた。
だが、いつの間にか新たな戦争が再び世界を覆い、祖国はエリシオンに加盟していた。
過去の傷が癒える間もなく、時代は再び彼女を戦場へと引き寄せる。
子供が10歳になった年、スカウトが訪ねてきた。
エリシオンの軍服を着た男が、ギゼラの前に立った。
「ギゼラ・シュトルムだな。貴女にはネクスターの適性がある」
男の言葉に、ギゼラは眉をひそめる。
「ネクスター? 何だそりゃ」
「簡単に言えば、進化した人類だ。これがあると、パイロット適性が向上することが分かっている」
「ほーん……パイロットになれってのか?」
「ああそうだ。貴女の遺伝子に、その適性が見られた。エリシオンで戦う意志はあるか?」
ギゼラは一瞬黙り、子供の顔を思い浮かべた。
あの焼け跡で懸命に生きてきた日々を。そして、夫の最後の笑顔を。
ギゼラは口の端を吊り上げ、ガサツに笑う。
「それで、そっちは何をくれるんだ?」
「望むものを。金、養育環境、居住環境、様々な補償、社会的な権利。それだけの価値がある」
「ずっとウチの馬鹿息子の面倒を見てくれるのか?」
「最高の環境を約束しよう」
「乗った」
スカウトの男が頷き、契約書を差し出す。
ギゼラは乱暴にサインを殴り書きし、立ち上がった。
背筋を伸ばすと、金髪が肩で揺れる。彼女の瞳には、再び戦いの火が宿っていた。
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格納庫の現実に戻り、ギゼラは深く息を吐いた。
雨音がザァァと続き、ウェイバー・ザ・スカイホエールの紫の巨体が静かに佇んでいる。
過去の傷も、失ったものも、ギゼラをここまで連れてきた。
プラズマリアクターが低く唸り、次の戦いを待つ。
「お前も戦う気満々だな、ウェイバー」
ギゼラは機体に手を置き、ニヤリと笑った。
戦争は終わらない。
だが、戦うしかないのだ。
復讐ではない。
使命でもない。
ただ、出稼ぎ先がここだっただけの話。
それでも、我が子と同じくらいの少年少女が死なないために、ギゼラは前線へ向かうのだ。