二人の過去 ~貧民街にて~
「いいじゃん、別に。戦場じゃいつも背中預けてるんだからさ」
彼女はそう言って、恥ずかしそうにしながらも湯に浸かる。
豊満な胸が浮力で浮き上がり、 桜色の髪が水面に広がった。
兎歌は顔を綻ばせた。その優しい笑顔が烈火を少しだけ落ち着かせる。
「わーったよ……」
烈火は仕方なく湯に戻り、二人で肩を並べる形になった。
「……お前、ほんと真っ直ぐすぎるよな」
「烈火だって、昔から変わらないよ。強がってばっか」
兎歌がくすっと笑うと、烈火は鼻を鳴らして目を逸らす。
「うるせぇ。つーか、筋トレで疲れてんだよ」
「ふふ、烈火なら、見てもいいんだよ?」
「ほぉー。じゃあ遠慮なく」
「あ、ちょ、ちょっと……! あ、あんまり見られると……恥ずかしいよ」
烈火の舐めるような視線に、兎歌は思わず身体を隠した。
湯気の中で、二人の声が静かに響き合う。
戦闘空母の喧騒から離れたこの瞬間は、幼なじみの二人にとって、束の間の安らぎだった。
湯気立ち込める浴場の中、兎歌は湯船に浸かりながら、隣に座る烈火をチラチラと見つめていた。
桜色の髪が水面に揺れ、その瞳には複雑な感情が宿っている。
烈火の体は筋肉質でたくましいが、至るところに傷跡が刻まれていた。
鋭い刃物で切られたようなもの、焼け焦げた痕、鈍器で殴られたような凹み───
その一つ一つが、兎歌にとって見覚えのあるものだった。
兎歌の視線が烈火の肩に止まる。
そこには特に深い傷が走っていて、かつて兎歌を守るために負ったものだと、すぐに思い出した。
「ふぅ……」
湯の中で静かに息をつき、兎歌の心は遠い過去へと遡る。
~~~
さかのぼること10年。
エリシオンに入る前。
烈火と兎歌は、貧民街で暮らす戦争孤児だった。
お互いに家族はいない。
全部死んだから。
灰色の空の下、崩れかけた建物が並ぶその場所は、略奪と暴力が日常だった。
ある日、兎歌が食料を探して路地を歩いていると、数人の荒くれ者に囲まれた。
「おい、お前。そのパンよこせよ」
リーダー格の男がナイフを手に笑う。兎歌は怯えながらも、黒パンの袋を胸に抱える。
「だ、だめだよ……これ、わたしたちの分だもん」
「うるせぇ!」
男が手を振り上げた瞬間、背後から烈火が飛び込んできた。
ドゴンッ!
まだ幼かった彼は、細い体に似合わない勢いで男に体当たりし、兎歌を庇う。
「トウタに手ぇ出すな!」
「クソ……生意気言ってんじゃねぇ!」
男たちが烈火に襲いかかり、殴る蹴るの暴行が始まる。
兎歌は泣きながら叫んだ。
「やめて! お願い、やめてってば!」
だが烈火は立ち上がり、血まみれの顔で兎歌を睨む。
「逃げろ! おれが何とかする!」
「でm」「いいから!」
その言葉に押され、兎歌は涙をこらえて走り出した。
後ろで聞こえる殴打の音と烈火のうめき声が、心に深く刻まれた。
しばらくして。
兎歌が物陰に隠れていると、傷だらけの烈火が歩いてくるのが見えた。
「あ……」
「ワリぃ、ちょっと手こずった」
烈火は、多人数に囲まれ、武器を使われても負けなかった。
激闘の末、武器を奪い、めった刺しにして勝った。
あの日、烈火は肩に深いナイフの傷を負いながらも、兎歌を守り抜いたのだ。
二人は物陰に隠れ、パサパサの黒パンをかじった。
とても惨めだけど、暖かい感じがした。
~~~
「……」
湯船の中で、兎歌は目を伏せた。
烈火の傷だらけの体は、あの貧民街の日々を思い出させる。
彼は何度も兎歌を庇い、そのたびに傷を増やしてきた。
エリシオンに入ってからも、ブレイズのパイロットとして最前線で戦い、兎歌や仲間を守るために身体を張り続けている。
「……烈火」
兎歌が小さく呟くと、烈火が怪訝そうに振り返る。
「あ? なんだよ、急にしんみりして」
「ごめんね、昔のこと思い出してただけ」
兎歌が微笑むが、その声には負い目が滲んでいる。
烈火は湯をかき混ぜて鼻を鳴らす。
「ったく、お前はすぐそんな顔するよな。昔のことなんざ気にしてねぇよ。俺が勝手にやってただけだ」
「でも、わたしのために傷だらけになって……」
「うるせぇって。傷くらいなんでもねぇよ。お前が無事ならそれでいい」
烈火がぶっきらぼうに言うと、兎歌は少しだけ笑って目を潤ませる。
「烈火って、本当に変わらないね」
湯気の中で、二人の間に懐かしい空気が流れる。
兎歌は心の中で思う――次は自分が、彼を守らなきゃ、と。
そのための力がある。
最新型のプラズマリアクター。
兎歌のために改良された次世代型アニムスキャナー。
兎歌のために作られたリリエル。
「烈火……」
兎歌は烈火の背中に抱き着いた。
裸の胸(筆者注:特大サイズである)ごしに、ごつごつとした感触が伝わってくる。
「兎歌……?」
烈火の少し驚いたような声。
「わたしも……戦うから。だから、無茶しないで」
戦場で背中を預け合う今、兎歌はその決意を新たにしていた。
~~~
場面は一転し、シグマ帝国と中東の小国家タンドリアの国境付近の戦場へと移る。
砂塵が舞い上がり、乾いた大地に砲撃の轟音が響き渡っていた。
空は黄褐色に濁り、遠くで燃え上がる炎が地平線を赤く染めている。
ドォーン……ドォーン……。
激しい戦闘が続き、シグマ帝国の量産型コマンドスーツ『タイタン』の部隊が、重砲とガトリング砲を惜しみなく撃ち込み、タンドリア軍の旧型コマンドスーツ『ボルン』を圧倒していた。
タイタンは無骨で重厚な機体だ。
土色の頑強な装甲に覆われ、肩に搭載された重砲が連続して火を噴く。
腕のガトリングガンが回転し、弾丸の嵐を撒き散らす。
一方、タンドリア群のボルンは時代遅れの設計で、灰色のモノコックフレームに、さび付いたマシンガンを抱えている。
タイタンと比較すれば、火力も耐久力も劣るボルンは劣勢だった。
灰色の巨体は重火力の前に次々と撃たれ、砂漠の大地に倒れていく。
『クソ、硬すぎる……!』
『ダメだ、押し込まれる!』
『う、うわぁあああ!!』
ズドォオン!!
また1機、ボルンが散った。
タイタン1機を撃破する間に、ボルンは3機破壊されている。
爆発の閃光が戦場を照らし、金属の破片が飛び散っていた。
その上空、雲間を縫うように飛行する機影。
ギゼラ・シュトルムの愛機『ウェイバー・ザ・スカイホエール』だ。
その下にぶら下がるリリエルのコックピットの中で、兎歌・ハーニッシュは戦況を静かに見守っていた。
リリエルの兎耳アンテナが風に揺れ、頭部が微かに動く。
視界には、タイタンとボルンの戦闘がリアルタイムで映し出されている。
兎歌はリリエルの眼を通じて、目の前の戦場をじっと見つめる。
桜色の瞳には、優しさと決意が混在していた。
「タイタンの火力すごいね……ボルンじゃ歯が立たないよ」
鈴の音を転がすような声がコックピットに小さく響いた。
リリエルの各部に搭載されたセンサー群が戦場を解析し、敵の位置や動きを詳細に表示する。
兎歌はコンソールを操作しながら、状況を冷静に分析する。
『このままじゃタンドリア側が全滅しちゃう。でも……』
『まだだよ、兎歌。アタシらは今、無関係な国の人間なんだ』
『うん……』
タンドリアはエリシオンの加盟国ではない。
ただの集落ならまだしも、特定の国に肩入れするのは、さすがにリスクが大きい。
『今ごろ、加盟に向けた交渉が行われているはず……。あぁもう、イライラするねぇ! さっさと突撃すれば話は済むってのにさァ!』
『ギゼラさん……』
キュオオォーン……。
ウェイバーのリアクターが低く唸り、リリエルを抱えて戦場の上空を旋回する。
兎歌は深呼吸し、リリエルの武装を点検する。
両手の粒子サブマシンガン、前足の粒子開放機、肩のブレード、オールグリーン───
出撃の準備は整っている。
「烈火なら、ここで突っ込むんだろうな。でもわたしは、烈火みたいにはなれないや」
兎歌はそう呟き、戦場を見下ろす。
その間にも、また一機、ボルンが爆散。
倒れ込む巨体に、小型コマンドスーツの歩兵が一人巻き込まれて死んだ。
砂塵と砲煙の中、シグマ帝国のタイタンが次々と進撃を続ける。
少女の心には、幼なじみのように強くなりたいという思いと、戦場での冷静な判断が交錯していた。
と、その時
兎歌の耳に、突然ギゼラから通信が割り込んできた。
少しノイズ混じりの声が響き、兎歌の緊張を解すように明るく響く。
『兎歌、朗報だ! タンドリアの連中、エリシオンに加わるってさ!』
『ホント!?』
通信の向こうで、ギゼラが豪快に笑う声が聞こえる。
ウェイバーのパイロットである彼女は、紫のパイロットスーツに身を包み、首をゴキゴキと鳴らす。
『そういうワケだから、今から援軍に向かうよ。準備しといてくれな!』
『ギゼラさん……! 了解、いつでも行けるよ!』
兎歌が即座に返答し、コンソールを操作する。
視界の隅にレーダー画面が映り、タイタン一個中隊が進軍しているのが分かる。
「すぅ……はぁ……」
兎歌は深呼吸し、リリエルの出撃準備を整える。
「タンドリアが加盟してるなら……遠慮はいらないね」
兎歌は呟き、合図を送った。
『よっしゃ、行ってきな!!』
ギゼラが力強く叫ぶと、ウェイバーの爪が開いた。
ウェイバーの下でリリエルが切り離され、兎歌は一瞬の浮遊感を味わう。
次の瞬間、反重力エンジン……リパルサーリフトが作動し、桜色の機体が音もなく戦場へと降下していく。